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夏休みの蟬

今年は、近隣の自然の音BGMに仕事をしている。
すると、時間によって、啼く鳥の声や種類が変わったり、季節の移り変わりに気付くようになった。
今日は一番ウグイスが啼いた日、とか、一番アブラゼミが啼いた日、とか、一番ヒグラシが啼いた日とかに敏感になる。

そして、今までどうして気付かなかったのか、さっぱり分からないのだけれど、たくさんの蟬が一気に啼き出すのは、学生の夏休みの始まりの日だという発見もあった。

暑い夏は大嫌いだが、全ての音がかき消されて、蟬の声一色に染まる時期はすごく好きだ。

高校三年生の受験生だった私の夏休みは、7月はまるまる学校で補習授業、8月は盆明けから全日補修授業で、夏休みの半分は登校する毎日だった。
エアコンが効いていて窓が閉めきられた教室の中でも、授業をする先生の声が蟬の声にかき消され、ほとんど聞こえなかった。
窓際の席に座っていた私は、勉強が嫌いで、無数に蟬が止まっているであろう木を見つめていた。

私のクラスでは、数人のクラスメイトによって授業妨害がしょっちゅう起き、授業が中断されることがしばしばだった。
ある日、補習授業を完全に止めて、説教を始めた先生がいた。先生の声は、蟬の声に負けて、なにを言ってるのか全然届いてこなかった。
だから咄嗟に先生は、思い付いてしまったのだろう。
「あなたたちは、蟬に負けてますよ」と、言った。

その先生は、そのわずか二年後、この世を去った。まだ若い、優しい女性の先生だった。

夏になると、その先生の言葉を思い出す。
そして、蟬を想ってみる。
ジャストタイムで姿を現して、精一杯生きる方法と、その場所を自然に見つけ、次の代を残し、八日目(厳密には、八日目ではないらしいのだけれど)で完全に生を全うして自然に還る蟬のような最期にどこか憧れたりする。
もちろん、人と蟬とは違うから比べようがないのだけれども。

東日本大震災が起きた年、角田光代さんの小説『八日目の蟬』を映画化したものが公開された。
誘拐犯に子どもが育てられるという設定が受け入れがたかったのだが、テレビでこの映画が放送されたときに観てみたら、家族とは血の繋がりがあるからだけで愛せるものではないということを知ったし、法を犯していようとも、子どもの真の幸せはそれとは無関係であることを知った。
『八日目の蟬』を先駆けにして、その後、犯罪と擬似家族の物語が生まれ続けているように思う。

コロナ禍に突入する少し前に、小豆島に行ったことがある。
行った理由は、醤油だった。
私が絶対これじゃないとダメという調味料のひとつが小豆島の醤油で、これを使うか使わないかだけで、料理の味が変わってしまう、私にとってそんな魔法のような醤油なのだ。その醤油ができてしまう、不思議な島に行って観てみたくなったのだ。

島に行ったのは、真冬の2月だった。
そこで醤油は、大豆、小麦、塩といった素材に、人が手を掛けることで、杉樽や空気中に住み着いた菌が、自然に発酵して、醤油になることを知った。
醤油の他に、オリーブに、素麺等、そこの風土や環境に適した美味しい食べ物がたくさんあった。

そこに行くまですっかり忘れていたが、小豆島は『八日目の蟬』の擬似親子が、親子として生きられるように逃げ続け、最後に流れ着いた場所だ。
『八日目の蟬』という表題を、私は観念して諦めることと捉えていたのだけど、どうもそうではないのだと感じた。
暗い暗い刑務所のようなトンネルを抜けてようやく陽の当たる場所に出てきてからが、どんな場所で、どんな生き方をするか、そして、どんな最期を迎えるかという、人生のもっと前向きな再スタートであって、それが『八日目の蟬』なんだと今では思える。
そして、人は寿命が長い分、何度も失敗して挫けて失って、積み上げたものを全部壊しては再構築して生き方を何度でも見直すチャンスがあるんだと思う。

仕事の設計が間違っていることに自分で気付いた夜、自分のバカさに苛立ちながら、立て直しをすべく一から計算をやり直していた。
そんな中、夜に啼く蟬の声がそっと聞こえてきた。
ふと図書館で借りたDVDで観た、映画『3月のライオン』を思い出す。
図書館の子どもコーナーで借りて、期待せずに暇潰し程度に観ていたら意外に面白くて前編と後編をとおして一気に観てしまった。

『3月のライオン』は、家族を失い、自身の居場所と生きる方法を探し続けるプロ将棋士と、彼を支える人々、そして、将棋の世界の人々の悩みと葛藤を描いたものである。
家族も、仕事も、崩れてきたら、そこでじたばたせずに、一回全部崩して立ち上げ直すのは、遠回りなようで、近道だということ。そして、必ず光をつかめる方法が誰にでもあるとこの映画は語る。

気合いを入れるべく、いつもなら聴かないタイプの音楽、『3月のライオン』の前編の主題歌『be-noble(気高くあれ)』をエンドレスに流す。

そして、先生に心の中で「私はまだ、八日目を迎えたいと思える、自分の居場所と生き方を探し続けてますよ」と話しかけた。
(了)


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