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少年と犬と夜と霧と

ハチ公、パトラッシュ、ラッシー…。
優しくて飼い主に寄り添ってくれる名犬に憧れて、実家で犬を飼っていたことがある。
しかし、その犬は可愛い黒柴の仮面を付けた、とんでもなくかしこく、狂暴な生き物だった。

飼い主に従うのではなく、飼い主を使う。
ジャンプしたかと思えば、飼い主の二の腕に食いついてぶら下がっている。
食いしん坊で、いつも何かよこせと癇癪起こす。

そんな犬が、私たちと家族になってゆく中で、群れの一員として『待つ』という役割を担うようになった。
私が学校から帰る時間に、バス停で待っていた。
祖父母の世話で、母が家を長時間留守にしても大人しく待っていた。

我が家の愛犬はひたすら、生きるということしか考えていなかった。人のように、自分の生死を選択する術を知らない。
ただひたすら生きたいがために、自分が属する群れを活かし、生かそうとする。

数年前に愛犬はこの世を去ったが、私はもう犬を飼うことはないだろう。
私にとって、この子以上の犬はないし、犬は生涯にひとつの主しか持たないと聞くからだ。
それに、犬を飼うことは、いつも心身、特に身体が健康が必要で、ちょっとのケガでも飼育の支障になる。犬の生涯の責任を負うのは、相当な覚悟と労力がいる。

『少年と犬』で直木賞を受賞した、馳星周さんが軽井沢で犬と生活している特集をテレビで観たことがある。
都会に疲れた人は、人とではなく、犬との関係を築きたくなるのだろうか。
私も馳さんのような生活を望んでいる気がするが、今のところ土木の仕事が好きだから、まだ自分をどこかに固定する気はない。

最近、そんな生活をされている馳星周さんの『少年と犬』を読んだ。
『母を訪ねて三千里』の犬版『少年を訪ねて三千里』といったところだろうか。
東日本大震災で被災した犬(多聞)が、熊本に引っ越してしまった少年を探し求める中での、寂しさを抱える人たちとの出会いと別れ、そして、少年と再会した後のエピソードが描かれた小説である。

さらっと読んだらただ感動した、で終わってしまった。
でも、その後、なぜか不思議な妙な違和感のようなものがモヤモヤと残ってしまった。

このもやっと、の原因は何だろうか。

先日、会社でコミュニケーション研修を受けた。
そこで、講師の人から、半径5メートル以内の人間関係を良くするように意識を変えてゆくことと、その人間関係が改善されたら、共依存にならないように、一気に自分の意識を外部に向けたらいいとのことだった。
その講師の人生を変えた言葉とは、ビクトール・E・フランクルの『夜と霧』の中にあった。

『夜と霧』とは、精神科医であるユダヤ人のフランクルがナチスドイツにより強制収容所に送られたときの体験を綴ったものである。
今、もう一度、読んでおきたい名著のひとつだ。

その講師が感銘を受けた言葉とは本書の『第二段階 精神の自由』に記載されているものだ。

強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するのに十分だ。

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』より

すると『少年と犬』に感じた、もやっとの原因は、あたえられた環境の中で、いかにふるまうかということを本能的にではあっても、行動していたのは犬の多聞だけだったからではないかということに気付く。

多聞が道すがらで出会った、犯罪集団の運転手、犯罪集団の頭、妻と価値観や方向性のずれが生じていて夫婦関係が崩壊していることに全く気付かない男、身体を売って金を男に貢ぐ女は、物理的自由と精神的自由を、病の治療を拒むまたぎの老人は、精神的自由を持っている。
それなのに、多聞を守り神や、癒しの存在として依存し、ある者は足を洗おうとしながらも短時間で多額の金を手にできることを最期まで止められず、そして別の者は自身の趣味に没頭し、また別の者は家族と自身の病と向き合わなかった。

どんな環境下であっても、人はいかにふるまうかの自由をもっている、それを証明したのは犬の多聞だけだった。

思いがけず、いい収穫があった。

『夜と霧』の作者、フランクルは、強制収容所での経験を『わたしたちは、おそらくどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った』と記している。
それでもなお、どんな人であれ、他者の全ての自由を奪うことはできず、どんな状況下であっても、全ての人が生きてゆく意味はあると、今も、本書を通じて人々に重要なメッセージを送り続けているのだと思う。


本記事に記載の書籍は、以下のとおりです。


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