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「イメージ」選挙とメディアの怠慢

7月7日に行われた東京都知事選挙は、「イメージ」の選挙だったと言ってよい。
現職の小池百合子が都政をつつがなく運営できているという「イメージ」。
石丸伸二の改革者としての「イメージ」。
蓮舫の「左翼」または「怖い」という「イメージ」。

なぜ現職が圧勝したのか、なぜ石丸氏が得票率で2位になり、蓮舫氏が3位になったのか。メディアの分析や有権者に対する取材では、数々の「イメージ」が並んでいる。
特に現職の対抗馬となる石丸氏や蓮舫氏に対しては、ほぼ「イメージ」だけで選ばれた「印象」がある。
石丸氏に対しては、政治を変えてくれ「そう」、有能「そう」、政党色がない(ファクトに反する)などの「イメージ」が並ぶ。蓮舫氏に対しては、怖「そう」、いつも攻撃的な「印象」、笑顔が怖い(印象論)、共産党「色が強い」、などの「イメージ」が並んでいる。

私は、メディアがどんな顔をしてこの報道ができているのか分からない。
恥を知れ!恥を!
メディアの報道によれば、1千万都市東京の知事を選ぶ重要な選挙の決定的な投票理由は「イメージ」だったことになる。本当にそれでいいのだろうか?
有権者は「イメージ」ではなく、出来る限りファクトに基づいて投票することが、民主主義社会を上手く維持していくためには必要だ。
「蓮舫さんは、怖いというイメージをもたれていたようですね」
え?それで終わり!?
本当に蓮舫さんは怖いのかどうか、取材するのがメディアの仕事なんじゃないの!?
そしてその成果を選挙期間中に伝え、有権者の判断材料にするのが、メディアの公器としての使命なんじゃないの!?

振り返ってみれば、今回の都知事選において、メディアが報道しないことにかけては群を抜いていた。立候補者の写真を並べてタレントに「イメージ」を語らせることは報道とは呼ばない。

主要候補者のテレビ討論会を各局は必ず行うべきだった。もし現職都知事が「公務」を理由にそれを拒否したため開催されなかったのだとすれば、各局は出席の拒否を強く非難しなければならなかった。バイデンは、どんなにボロボロの姿であろうと、テレビの前に現れた。もしアメリカ大統領候補者が、「公務」等を理由に討論会を欠席したら、討論会に敗北するよりも大きな支持率の低下を招いていたことだろう。

また、選挙後にメディアに現れた石丸伸二氏については、その言動がおかしいと、はやくも「若き有能な改革者」の「イメージ」が崩れ始めているという。しかし「イメージ」の更新は選挙期間中に行っておかなければフェアではない。
もしかすると、メディアが誠実に報道し、各候補者を深堀りしなかったために「誤ったイメージ」によって投票してしまった人がいたかもしれない。
明確なメディアの責任である。

一方、逆に選挙期間中、メディアは積極的に「イメージ」づくりに加担していた。各局は選挙報道を全く行わなかった一方で、現職の東京都知事の「公務」は報道した。このことによって、小池百合子氏は自分自身でアピールせずとも、多数の有権者の目に触れる機会を得たことになる。

都庁の記者クラブが小池都知事と蜜月関係なのは有名な話で、会見ではクラブの限られた記者しか会場に入れず、質問も極めて微温的なものとなっている。
たとえばプロジェクションマッピング。今回の都知事選で問題になる前、都知事の記者会見で行われた会見でメディアが行った質問は、「都庁のプロジェクションマッピングで多くの観光客を集めているが、休日は都庁の売店がコンビニ含めて閉まっているのでせっかくの観光客が土産物も買えないのではないか?」というものだった。
極めてどうでもいい。
これでは、現都政で出来ていることと出来ていないこと、評価すべき点と批判すべき点を公平に有権者の目の前に提示することなどできるはずがない。

私は、メディアの報道のせいで現職が圧勝したと言うつもりはない。だが、メディアが各候補者のファクトを光も影も出来る限り提示し、有権者がそれに基づいて「イメージ」を修正し、じっくり考えて投票する。これは選挙の前提であり、その前提が保障できないのであれば、いかなる真っ当な選挙戦略も無駄である。
各候補者は「イメージ」だけを考えればよいのであり、メディアが誘導する「イメージ」のよい候補者だけが勝利することになるからだ。

私には、メディアは、投票すべき候補者が「イメージ」によって有権者に選ばれてしまっていることは、メディア自身のの敗北であるのだぞということを認識していない「イメージ」がある。3位となった蓮舫氏の「イメージ」は悪かった。それが自分たちメディアの責任でもあることについて、反省することなく、嬉々として報道している。
恥を知れ!恥を!

日本の選挙には、公職選挙法も含め、様々な改善点がある。しかし法律を変えるハードルは高く、容易には進まない。
一方、「イメージ」選挙を改善することは簡単にできる。メディアが選挙報道サボタージュをやめて、各候補者の深堀りに真面目に取り組み、真っ当な取材と報道を行えばよいだけだ。本人たちがやろうと思えばだが。

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