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DEATH 「死」とは何か

適当に手に取った本だったけどまぁまぁおもしろかったので記録と感想。
1つ1つ細かいとこは筆者と考え違うけど、色々考えるキッカケになる良い本だったと思う。「死」に対して、宗教的な言葉とか背景、思想を排除して自分の考えを説明してる感じ。例えや図で理解しやすくなってるけど、その分冗長な気もする。



■ざっくり要約・意訳

筆者(表紙のおじいちゃん=シェリー)の主義・主張はこんな感じ。

■魂は存在しないよ、つまり私は物理主義者だよ
■なぜ死が悪いかは「剥奪説」で説明できるよ
■不死はきっと良いものじゃないよ
■死は恐れるものじゃないよ
■自殺が絶対ダメ、とは言い切れないよ



■魂は存在しないよ、つまり私は物理主義者だよ

めっちゃ浅学な私はこの本で物理主義、二元論って言葉も初めて知った。
二元論ってのは『身体は物質的なと非物質的なで構成されてる』ってことで、それに対しての物理主義ってのは『身体はP(パーソン=人格)とB(ボディ=身体)で構成されてる。事実上ただの機械』とする考えのこと。

筆者(シェリー)は物理主義者で、「死って何?」に対しての答えとしてこんな感じのことを言ってる。

人間はP機能+B機能の状態からP機能を失って、同時かその後にB機能を失う。単純にB機能ができなくなることが死ぬこと。
 ※P機能=考えることとか、思うこととか、精神的な機能
 ※B機能=食物消化したり、心肺動かしたりする身体的な機能

このへんはふーんって感じ。
まぁそうだよね、って受け入れやすい。


■なぜ死が悪いかは「剥奪説」で説明できるよ

剥奪説、つまり死んじゃうと人生これから起こるはずだった良いことが剥奪されるから死は悪いんだ、ってこと。筆者(シェリー)はこの考え方を支持していて、↓のような反論も予想してる。

『剥奪されてる状態は死んでいる状態=非存在なんだから、存在してないやつに対して良いも悪いもないんじゃね?』

…うーん確かに。いないやつにプラスもマイナスもないよなぁ。そして続けてこう言う。

『もし非存在でも悪いってことにしちゃったら変なことになるよ。例えばこんな例を考えてみて。実際にはいないけど「いたかもしれない」人のこと。これを読んでる男女が出会って子供を作る。そんな子供は実際はいないけど、可能性としては考えられる。でも「その子供がもし生まれてたら楽しかっただろうに!生まれなくて可哀想になぁ」と憐れむ人はいない。つまり非存在は悪いわけではない。

※ちなみに、「いたかもしれない人」はほんとはもっともっといっぱいいる。計算としては、卵子と精子の組み合わせを考えればいい。ざっくりこんな感じ。男女各々35億人いて、女は1年に12個x30年間卵子を作る。男は50年間1日あたり4000万の精子を作る。これを掛け合わせて計算すると3x10^33。これだけの数が「いたかもしれない」。更にこの後の世代を考えると6x10^80。その後もどんどん「いたかもしれない人」の数は増えていく。(けど、その人のことを考えて憐れむ人はいない)

これに対して筆者(シェリー)はこう言ってる。

『ある人にとって何かが悪いことでありうるのは、その人がいずれかの時点で存在しているときだけ。』という解釈・考え方をすればいい。そうすると、我々は今生きているのだから、「いずれかの時点で存在している」ことになり、その後死ぬことで剥奪されることが悪いって言える。
更に、この考え方は「いたかもしれない人」を憐れまくていい理由にもなってる。だって、「いたかもしれない人」は存在していないので、悪いことになりえないよね。

「剥奪説」って聞くとアレだけど、今後得るプラスを死のせいで剥奪されるから死は悪いんだ、って説明されるとそうだな〜ってなるよね。まぁ普通に受け入れられる考え方だ。



■不死はきっと良いものじゃないよ

死は人生における良いことを剥奪するから悪い、ってことは、望むべくは不死なんだろうか?って疑問に対して答えてる。筆者(シェリー)の考えとしては以下の通り。

  • 何するにしても永遠ってなると不可能だし絶望しかない。

  • 脳に電極ぶっ刺して永遠にオルガスム的快感を得続けられるとしても、俺はそんな人生ヤダね。

  • 本気で「永遠の不死」を楽しもうとすると、興味・趣味・嗜好を移していかないと保たないはずで、そうすると多分10万年後の自分と今の自分って何もかもが違ってるはず。そんな自分ってほんとに自分か?もはや私ではない他の誰かだろ。

  • だから、ベストは、自分が望むだけ・満足するまで生きられて、自分のタイミングで「死ねること」

  • こう考えると、死そのものが悪いというより、我々の人生100年そこらで死ぬのが悪いこと、ってことになる。「人生は何かをするには短すぎて、何もしないにしては長すぎる」ってこと。

不死は私も安易に憧れるけど、ちゃんと考えたら絶望しかないよなぁと改めて考えさせられたよ。



■死は恐れるものじゃないよ

筆者(シェリー)の意見はこう。

大体の人が死を恐れてるけど、そもそも、恐れを感じるのが理にかなったものであるためには、恐れるものが次の条件を満たす必要があるよ。
❶悪く、❷可能性がそれなりにあり、❸ある程度の不確実性がある

❶悪いこと、に関してはすんなりわかるよね。
❷可能性がそれなりにあること、に関して。これは例えば虎に八つ裂きにされるのは恐ろしいけど、可能性としてはめちゃくちゃ低いから、実際は恐れる必要はないし、そんな人いないよねってこと。つまり、恐れるにはそれなりの可能性がないといけない。起こる可能性が0%とかほぼ0%だと恐れを感じるのが理にかなわない。
❸ある程度の不確実性がある、に関して。これは例えば最強の怪盗ルパンに盗みを宣告されて「明日100%PCが盗まれる」と分かっているなら、被害に見舞われることも被害の大きさも正確に分かってるから恐れる必要がないってこと。「50%の確率で所持品の何かが盗まれるかもしれない」となると、PCを盗まれるのを恐れる必要がある。つまり、恐れるにはそれなりの不確実性がないといけない。起こる確率が100%だと恐れを感じるのが理にかなわない。

こう考えると、筆者(シェリー)曰く、死は100%必ず訪れるわけで、恐れるのは理にかなってない。らしいんだけど、明日確実に死ぬって分かってたら恐ろしいけどなぁと思ってしまった。

筆者(シェリー)は「それは死に伴うプロセス=痛みが恐ろしいんだろ」とか「死は必ずしも悪いわけじゃない(先の不死の例から、死は恵みにもなる)から❶に当たらない」とか「怒り・悲しみなら抱く感情としてわからんでもない」といったことを言ってる。

まぁこのへんは屁理屈っていうか、理屈としてはそうなんだろうけど納得はできないなぁって感じだった。


■自殺は絶対ダメ、とは言い切れないよ

ここは筆者(シェリー)と私、結構考え似通ってるなぁと思ったところ。
筆者(シェリー)の考えはこう。

自殺は、常に正当であるわけではないが、正当な場合もある。以下のかなり高いハードルを設定しているが、「決して認めない」ではない。

・現状死にたいほどの苦痛にさらされていて(不治の病とか)
・今後回復する見立てがかなり低いことが客観的にみても明らかで(医療的な手当は延命のみで治せない、奇跡を待つしかない状態)
・本人が必要な情報を得ることができ、それを基に正常な判断ができる状態であって(痛み、ストレスからおかしくなってしまっているわけではなく)
・本人が自分の意思で行動していることが客観的に確信できる

かなり厳しい条件だし実際当てはまる事例があるかどうかは置いといて、正当な場合もあるって言ってる。だからこそ、巷の自殺は良くない(=この条件を満たしているとは思えない)と言ってる。まぁ実際、死にたいほどのストレス・苦痛にさらされている状態で、健全な情報から正常な判断できるかっていうところが一番矛盾しているというか、難しいところではあるよね。



■考えたこと、思ったこと

■人生グラフ

人生は良いと悪いで構成される。
この本にはなかったから手書きだけど、グラフにするとこんな感じかな。

人生のグラフ

良いは人によって様々だろうし、快楽主義でいうと「快感」
悪いも人によって様々、快楽主義でいうと「痛み」になる。

快楽主義は、本質的(相対的・間接的ではなく)の良し悪しの唯一のものを以下の2つとして考える。
・本質的に良いもの=快感
・本質的に悪いもの=痛み

この足し引きが人生の価値なんだという考えがこの本でも紹介されてる。つまり①-②がプラスかマイナスかってこと。①-②をどう考えるかで3つに分けられるって言ってる。

a)いつでもプラスだよ派(楽観主義者)
b)いつでもマイナスだよ派(悲観主義者)
c)時期とか人によるよ派(穏健派)

筆者も私もc)だし、大半の人はc)なんじゃないかと思う。

更にこれは人生の「中身」の話であって、人生そのものの価値(生きていることの価値)をどう考えるかでいろんな種類があるよって言ってる。
本の中では人生を器に例えて、「価値ある器説」「控えめな器説」「夢のような器説」「ニュートラルな器説」とかごちゃごちゃ言ってたけど、簡単に図にするとこんな感じだと思う。

人生のグラフ

さっきのグラフに定量プラスかマイナスするってこと。人生そのものの価値をプラスと考えるかマイナスと考えるかプラマイゼロと考えるか、そしてその程度はどんくらい?ってこと。③が上(良い)にいけばいくほど人生の価値は上がるしa)楽観主義者になりやすい。逆もしかり。

あと考えないといけないのは死の価値をどう見るか、とかね。

あと、本の中でもあったのはこのグラフの形をどうしていきたいか(ピークをどこにもっていくか)とかだけど、そのへんは結構どうでもいいかなと思う。どうにもならないし、どうにでもなるし。

根本的に人生の価値がこの単純な足し引きでは表せないだろ、って意見もわかる。オルガスムの直後に小指ぶつけたら相殺して何もなかった状態になるのかというとそうでもないし。いろんな良い・悪いがあるし、それぞれの重み付けが必要っていうのもある。


■ホルマリン漬けの脳に電極繋いで脳の中では最高無双状態をどうみるか

この本にも、思考実験としてこういう状態を考えていた(こんな表現ではなかったけど)。筆者(シェリー)はこの状態を否定していた。どんなに脳の中で実績あげようが、実際には何もしてないわけで、どんだけ脳の中で愛を育もうが実際は何も生まれていない。そのような人生には何かが欠けている、と。でもこの人生を完璧だという人は必ずいるらしい。

私もそのうちの1人で、私はこの状態を完璧な人生だと思う。まぁ今からホルマリン漬けしますか?と言われると答えはNOだけど。現実世界があることを知っている今はそれをほっぽり出してホルマリン漬け幸福人生を歩みたいとは思わない。今まさにホルマリン漬け状態であることを祈るのみ。

■直近見た映画「余命10年」が想起された

この本読むちょっと前にアマプラで見た「余命10年」が想起された。難病で余命10年を宣告されるわけだけど、恋しちゃいけないと思いつつ恋しちゃって、みたいな恋愛映画。10年っていう「終わり」が分かってるのは悲しいだろうけど、良いこともあるんじゃないかなぁと思ってしまった。ひねくれてるなあ、私。

死の「予測不能性」についてはこの本でも論じてる。ほとんどの人が予測不能なので人生をどう計画していくか、形作っていくかが悩みなわけだし、志半ば・道半ばで死ぬ人が哀れなわけだし。終わりが分かってるとその分で少し有利なのかもなって思ってしまいました。

詳しくは別で書こうと思う。


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