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アメリカで活躍する博士人材①松葉 由紀さん Yuki MATSUBA, Ph.D.

はじめに(このシリーズ記事の説明)

 博士人材の活躍の場は、国内に限らず、世界中にチャンスが広がっています。そこで、世界中から様々な研究者が集まっているアメリカで活躍している6名の先輩博士にインタビューをしました。「どうやって渡米先を探したの?」、「どんな準備をしたの?」、「行ってみてどうでしたか?」、そして「海外での活躍を目指す若手博士人材へのアドバイス」もいただきました。全6回のシリーズで、2022年7月15日より毎週金曜日に公開します。どうぞお楽しみに!

※このマガジンに掲載しているインタビューは、北海道大学 先端人材育成センターがTechnology Partnership of Nagoya University, Inc.(通称NU Tech)およびNagoya University Friends in the Statesの協力を得て行ったものです。インタビューをご快諾してくださった松葉由紀さん、岩月猛泰さん、Enkhee PUREVさん、高久誉大さん、清水鈴菜さん、金城智章さん、そして取材協力してくださったNU Techの皆様、どうもありがとうございました!

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略歴

2018年- BASF Corporation, Senior Scientist
2015-2018年 North Carolina State University, Postdoctoral Research Scholar
2011-2015年 University of Michigan, Postdoctoral Research Fellow
2008-2011年 東京農工大学 大学院工学府 生命工学専攻 博士課程
2006-2008年 東京農工大学 工学府 生命工学専攻 研究生
2003-2006年 化粧品会社 営業部 フィールドスーパーバイザー
1999-2003年 東京農工大学 工学部 生命工学科

留学準備

1. 米国での研究留学(就職)を志望した理由をお聞かせください。
 将来、権威のある教授の元で数年間仕事をしてみたい、また日本以外で仕事をしてみたいという思いは東京農工大在学中からありましたが、同大学を卒業した後は日本国内の化粧品商社の営業職として就職しました。在職中にミネアポリスにあるR&D部門に研修に行く機会があり、そこでアメリカでの研究環境を見た時、自分もアメリカで働いてみたいという思いが強くなりました。退職してアメリカの大学院に行くことを考えましたが、卒業研究の指導教官に相談したところ、まず日本で学位をとってからアメリカに行ったほうがいいとアドバイスを頂き、同大学大学院に入学し、博士号を取得しました。

2. 米国での研究留学(就職)を考えた時、懸念点はありましたか?
 アメリカに行くこと自体には迷いはなかったのですが、当時の私には語学力がなかったため、果たしてアメリカで成果を残せるのだろうかという不安はありました。日本で仕事を辞めて博士課程に進む決意をした時、両親には「2-3年で帰ってくる」と伝えていたので特に止められはしませんでしたが、同年代の友人は結婚・出産する人も出て来る頃だったので、周りからは反対されました。しかしアメリカに来てみて、私のように社会人経験後に大学に戻る人が多い事に驚くと同時に、あの時の限られた価値観に惑わされて物事を決断しなくて良かったと思っています。

3. 米国留学以外の選択肢はありましたか? その場合、選択肢はどのようなものがありましたか。
 日本でポスドクのポストの当てはありましたが、アメリカでのポジションが最優先だったので他はほとんど考えていませんでした。

4. いつ頃から留学の準備を開始し、またどのようなアクションを取りましたか?
 最初にアメリカに来たのは2011年で、University of MichiganのEran Pichersky教授のラボでした。Eranのラボを志望した理由は、普段から彼の論文を読んでいて、Eranのもとで研究をしたいと思ったからです。ウェブサイト等でEranのラボの事を調べたところ、過去に日本人ポスドクが在籍していたことが分かり、その方々に直接連絡を取り、日本国内の学会でお会いしたりするなどして、Eranの元で働いた経験についてお話を伺いました。さらに、直近までEranのラボにいた方に連絡を取り、ポスドクを取る予定はあるか、その方からEranに探ってもらいました。
 アメリカに来る約一年前の2010年、自分の研究論文がパブリッシュされ、博士課程を修了する目途がたった時にEranにメールを送りました。メールの本文にはいかに自分が彼の研究に興味があるか、自分がどんな事が出来て、彼のラボでどんな事が出来るか、ということについて熱意を示し、CV、論文とともに送りました。さらに、学術振興会の海外特別研究員に採用されたので、その予算を旅費にしてラボに見学に行きたい、ということも付け加えました。根回しがきいたこともあり、すぐ返信があり、ぜひラボにきて研究のプレゼンもしてほしい、という返事を頂きました。メールを貰った1か月後にラボに見学に行きましたが、それが同時にオフィシャルなジョブインタビューとなり、その2か月後には渡米してポスドクを始めることになりました。

5. 準備を始めてからオファーを受け取るまでにかかった期間はどれ位でしたか? また、その研究室を選んだ理由はなんですか。
 水面下での準備自体には数年間かけましたが、最初にメールを送ってからオファーをもらうまでに掛かったのは3か月くらいです。そのラボを選んだ理由は、彼の研究が好きだったのが一番大きな理由です。また、研究内容(植物の揮発系物質に関する研究)が、企業で働いていたときの専門に近いということがあります。

6. 留学先を探す際に参考にした情報はなんですか?
 研究論文やホームページなどを参考にし、研究内容について調べました。また、過去に在籍していた方々に連絡を取り、話を聞きました。

7. 情報収集する際、費用はかかりましたか?
 書籍等は購入せず、面接時の渡航費用も学術振興会の海外特別研究員の研究費を使ったので、特にかかっていません。

8. 就職活動の際に苦労したことはなんですか? 
 アメリカに来て最初の2つのポジションはアカデミアでのポスドク職だったので割と簡単に決まりました。一方で現在の仕事(民間企業の研究職)を得るには数年を要し、色々努力しました。具体的には、アカデミアからインダストリーへいきなりキャリアチェンジをするのは難しい事は分かっていたので、一歩ずつ段階を経て自分のゴールに近づけるようにしました。特に業界のネットワーキングイベントやその分野で実際に働いている人が集まる会合などに積極的に参加し、自分のネットワークを広げることに力を注ぎました。
 また、就職する会社の場所も絞り込みました。いろいろ調べた結果、現在のノースカロライナ州にあるリサーチ・トライアングル・パーク(RTP)が、多くのバイオテック企業が集まっていることや物価が比較的低いことなどから、最終的な候補地として決めました。また、新しい求人情報が公開されてからアプライするのでは他の応募者に先を越されてしまうと思い、ネットワーキングイベントで知り合った人に前もってお願いし、一般公開される前に情報を流してもらうようにしていました。
 現在のポジションはIndeedで見つけましたが、このポジションの職務内容を見た時、自分のスキルや経験、また興味にピッタリだということが分かりました。そこでまず取った行動は、応募すると同時に、ネットワーキングイベントで知り合った同社の職員にお願いし、採用担当者に根回ししてもらうようにしました。結果、正式な採用試験を経て最終的にオファーをもらうことが出来ました。
 就職活動とは直接関係ないですが、アメリカで外国人が職を得るにはどうしてもビザの問題がつきまといます。そこで、ポスドク時代からグリーンカード(永住権)はできるだけ早く取得できるように努力しました。当時はまだJ1ビザだったのですが、評判の良い弁護士を雇い、通常は難しいJ1からグリーンカードの取得を渡米から3年で達成することが出来ました。

9. 渡米前に想像していたことと違ったことはなんですか?
 アメリカに来てからの変化やはり精神面の部分が大きいと思います。特に、アメリカでは日本のような同調圧力、流行を追わないといけない、周りを気にしないといけないといったことがなく、非常にストレスフリーです。特に、あまり人に気を使う必要がなく、自分は自分と思えるという部分は私にとっては大きな変化です。あと、アメリカは車社会なので、通勤が楽というのも良い点です。東京で働いていたときは毎日の通勤電車が苦痛でたまりませんでした(笑)。
 悪かった点は特にないですが、自分の英語力の低さを改めて認識したことでしょうか。当時は、ジョブインタビューの際にメモを用意し、それを目の前で読まないといけないほどのレベルでした。しかし、当時のボスが非常に理解力のある方で、私のつたない英語でも真剣に聞いてくれたので、研究を通じてコミュニケーションを取っていくうちに次第に上達していきました。

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米国の研究環境

10. 現在の仕事はどんな内容ですか?
ドイツ系化学会社のAgriculture部門で、農作物のゲノム編集をするチームのMolecular biologistとして研究をしています。

11. 日米における研究環境の違いはなんですか?
アカデミアでも民間企業でも、教授やマネージャーレベルでの女性研究者の比率が高いというのが日米間の大きな違いだと思います。また、アカデミアや企業に関わらず成果主義によるところが多く、長時間労働したからと言ってそれが直接評価にはつながりません。女性が社会的に活躍できる環境というのもあり、目標としたい研究者が多いです。

12. 将来のキャリアパスの目標はなんですか?
まずは今の業界で研究者としての実績を積み、評価を得られるように頑張っています。5〜10年後にはプロジェクトをマネージできる立場になる、というのが当面の目標です。

これから米国を目指す若手博士人材へ

13. これから米国を目指す若手博士人材へのアドバイスなどはありますか?
海外でのキャリアを考えるときは、なぜ米国で働きたいのか?、それがどう自分の将来に生かされるのかをまず考えるとよいと思います。それでもまだ不安があり、留学を躊躇するようだったら、「大丈夫、なんとかなる!」と背中を押してあげたいです。海外生活というのは実際に自分の目で見て経験しなければわからないことがほとんどです。特に、英語に自身がないから海外留学諦めてしまう人がいると思いますが、英語はただの「ツール」であるということを知って欲しいです。もしアメリカにポスドクなどの研究者として来るのであれば、コミュニケーションツールは英語ではなく実験データや研究内容です。実際アメリカは移民による国なので、英語ができない人はたくさんいます。逆の見方をすれば、アメリカは世界中から人が集まるので、いろんな人に会えて様々な価値観を知ることが出来ます。それだけでも財産になると思います。

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