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アメリカで活躍する博士人材③Enkhee PUREV, Ph.D.

左から2番目がPUREVさん

略歴

2021年- Lewis Katz School of Medicine, Temple University
2014-2020年 名古屋大学生命農学研究科 博士課程
2011-2013年 University of Turku, Department of Oncology and Cancer Biology
2005-2010年 National University of Mongolia, Department of Genetics and Molecular Biology

留学準備

1.    米国での研究留学を志望した理由をお聞かせください。
実は最初からアメリカだけを考えていたわけではなく、色々選択肢がありました。日本に留学する前にも色んな国を経験していたので、次のポジションを探すときにも特に日本国内やアメリカといったこだわりを持たずに考えていました。最初、日本で就職活動をしていましたが、COVID-19が蔓延している最中だったので、応募しても「プロジェクトが中止になった」などの理由で断られることがほとんどでした。そのため、7−8ヶ月ほど職探しを中断していた時期もありましたが、海外にも目を向けて応募したところ、いくつかの大学からオファーをもらうことが出来ました。

2.    米国での研究留学(就職)を考えた時、懸念点はありましたか?
アメリカは危険な国という印象があり、特に当時はAsian Hateが強く、アジア人女性としては渡米することに大きな不安がありました。しかし現在は大分治安は良くなっていると思います。

3.    米国留学以外の選択肢はありましたか? その場合、選択肢はどのようなものがありましたか。
アメリカだけでなく、ヨーロッパの大学からオファーをもらっていました。

4.    いつ頃から留学の準備を開始し、どのようなアクションを取りましたか?
名古屋大学大学院在学中の 2014-2020年、まずはCV(curriculum vitae:履歴書)を書くことからはじめました。効果的なCVの書き方については名大の先生方の意見を聞きながら完成させました。そのおかげで、自分でもとても魅力的なCVに仕上がったと思います。ポジションについてはLinkedInやIndeedで探しました。アカデミアへの応募には非常にたくさんの提出書類を求められるので、準備がとても大変でした。数箇所からインタビューに呼ばれましたが、COVID-19禍だったので全て電話やオンラインで行いました。

5.    準備を始めてからオファーを受け取るまでにかかった期間はどれ位でしたか? また、その研究室を選んだ理由はなんですか。
日本以外のポジションを探し始めてからは 1年かかりました。ただし、今のポジションに関しては応募からオファーをもらうまで2週間ほどでした。そのラボに決めた理由は、研究費が潤沢であったこと、ポスドクの数が多く(6名)、生産性の高いラボであったからです。

6.    留学先を探す際に参考にした情報はなんですか?
留学のことについては名大で所属していた農学研究科の先生方に何度も相談しに行きました。たくさん意見を伺ったなかで、どの先生も共通して仰ったこと、例えば、アメリカは自由である、アメリカ人はオープンマインドである事を聞き、アメリカでの可能性を感じるようになりました。
名大の学生は授業以外のことであまり先生に質問をしに行くということをしませんが、私は何度も先生の部屋を訪ねました。私があまりにも何度も先生のところへ相談しに行くので、周りの友人はみな呆れていました(笑)。でも私は、色んな先生に相談しに行くことは間違っていなかったと思います。それは、10人の先生には10通りの考え方があると思ったし、先生に相談しに行くことも授業料の中に含まれているので、相談する「義務」があると思ったからです。
たくさんの先生方の意見を聞きましたが、それでも、インターネットで膨大な情報から有用な情報だけを探し出すよりはずっと効率が良かったと思っています。

7.    情報収集する際、費用はかかりましたか?
研究科の先生に意見を伺ったので、基本的に費用はかかりませんでした。

8.    就職活動の際に苦労したことはなんですか?
アプリケーションを出しても返事が来ないときがストレスでした。また、提出書類としてResearch Proposal(研究計画書)を要求されることがあり、まだそのラボに行ってもいないのにアイデアが求められる為、作成するのにとても時間がかかりました。

9.    渡米前に想像していたことと違ったことはなんですか?
私が現在所属している大学はペンシルバニア州のフィラデルフィアにあるのですが、街があまり綺麗ではありません(日本と比べてしまうせい?)。また、アメリカ人はお互い干渉し合うことはなく、パーソナルスペースを大事にします。また、人種だけではなくものの考え方や価値観など、様々な多様性があることを知りました。一方でフィラデルフィアには、独立記念館、最初のアメリカ国旗を作った場所(Sarah Betsy House)、First Bank of the United Statesなど、歴史的な場所がたくさんあります。

米国の研究環境

10.    現在の仕事はどんな内容ですか?
ヒト化マウスを使ったオルガノイドに関する研究をしています。現在はシャーレ上に肺組織を形成させるための実験を行っています。

11.    米国に来て良かったことはなんですか?
名大で所属していた研究室の指導教官は、研究に対して非常に真摯な先生で、研究者として厳しく鍛えられました。そのお陰があって、アメリカに来て違う環境にいても順応することが出来ていると思います。また、日本で培った基礎的な実験手技がアメリカに来て役立っています。例えば、プラスミドの構築などは私にとっては簡単な作業でも、こちらでは重宝され、「技術を教えてほしい」と頼まれることがよくあります。思いがけず「手先が器用」なことが私の武器になっています。
また最近、フィラデルフィア市からフェローシップをもらうことができ、2年間の給与と研究費がこの資金から賄われる予定です。

13.    米国に来て後悔したこと、苦い経験などはありますか?
フィラデルフィアはあまり治安が良くないことです。夜の11時以降は外に出ることは出来ないし、発砲事件も頻繁に起こります。しかし全ての州や地域の治安が悪いわけではありません。

14.    将来のキャリアパスの目標はなんですか?
まだアメリカに来て一年目なので具体的な目標はありませんが、名古屋大学の先輩でもある岡崎恒子先生がひとつの目標です。岡崎恒子先生は岡崎令治先生とともに岡崎フラグメントを発見したことで有名ですが、それと同時にアジア人であり女性でありながら世界的に名の知られている女性研究者です。現在でも、日本人女性が世界で競争するには非常にチャレンジングですが、岡崎恒子先生は女性の研究者の地位が日本で確立されていなかった当時、その道を切り開いた方としてとても尊敬しています。

これから米国を目指す若手博士人材へ

15.    これから米国を目指す若手博士人材へのアドバイスなどはありますか?
人生は短いので、人生の節目、特に将来の方向性を決める際には、良い決断をすることが重要だと思います。そのためにはまず、自己診断することが大切だと思います。自分は本当に何がやりたいのか、将来どうなっていたいかを徹底的に考えることです。具体的な方法を挙げると、紙とペンを用意し、米国に渡ったあとに想像される「良いこと」と「悪いこと」を思いつくだけ書いてみることです。そのうち、「良いこと」が「悪いこと」より多い、或いは勝っていれば、迷わずアメリカ行きを選択すべきです。
また自分の将来を決める時、周りの人から良いアドバイスを受けることが非常に大切だと思います。日本人はとてもシャイで人に相談することをためらう人が多いですが、是非、心をひらいて色んな人に相談し、沢山の意見を聞いてほしいです。


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