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59.人類の運命(いんねん)と個人の運命(いんねん)


同じ性質の人は引かれ合う


「同じ性質の人は引かれ合う」
「類は共を呼ぶ」
「スタンド使いは引かれ合う」
といったことは、誰しも耳したことがあると思います。

これと似たような考え方が天理教にもあって
「いんねん寄せて守護する」
と言われています。

※いんねんの説明は以下の通りです。僕の解釈ですので、すでに意味をご存知の方は飛ばして頂いて結構です。

いんねん(因縁)とは
いんねんには、大きく分けて、
「元のいんねん」と「個人のいんねん」の二つがあります。

「元のいんねん」とは、
全人類が平等に持っている、人間がこの世に存在する意義(目的・理由・原因)のことです。

神様は、人間が陽気ぐらしするのを見て共に楽しみたいと思い人間を創られました。
ですから「陽気ぐらしをする」という目的が、人間の根本にある「元のいんねん」です。

「個人のいんねん」とは、
個人個人の、魂に刻まれた心遣いの記録のことです。

魂は、生まれ変わりを繰り返して、何度もこの世で人生を全う(まっとう)します。
その人生を全うする中で、陽気ぐらしに背く心遣いをしてしまうと、その心遣いが魂に記録されていきます。その個人個人の心遣いの記録が「個人のいんねん」です。
その陽気ぐらしに背く心遣いが積もり重なり、人間が陽気ぐらしから離れていくの防ぐために、神様が「そっちに行ったらあかん」と病気や身の回りの問題を通して、軌道修正をして下さいます。

ちなみに、良い心遣いは「個人のいんねん」ではなく「徳」として、魂に積まれると考えることが、天理教内では多いかと思います。


「(個人の)いんねん寄せて」とありますように、
例えば、
親のスネをかじったり、反抗したりして、親に心配ばかりかけているような親不孝者が周りに集まってくるのであれば、自分も親不孝をしているのです。
もし、
心当たりが全く無いのであれば、魂は何度も生まれ変わってきていることから、前世で親不孝をしていたのです。
ですから、
前世での親不孝を神様にお詫びして、同じ親不孝をしている人達を救けなくてはいけません…


このような暗い悟り方は、天理教のオーソドックスな悟り方です。

「前生いんねんのさんげ」
(前世での悪い心遣いを自覚し、反省して神様にお詫び申し上げること)

と言われるのですが、僕はあまりこの考え方が好きではありません。

なぜなら、
このようなマイナス思考の悟りは、
「個人のいんねん」にしか焦点を当ておらず、「元のいんねん」である陽気ぐらしの要素が全く含まれていないからです。


いんねん寄せてを明るく悟る


「みちのとも」令和元年12月号の、「いまに生きる先人のことば」に出てくる東中央大教会初代会長柏木庫治氏のインタビューでは、先程紹介した悟り方と真逆の、とても明るい悟りを。

親と子の道 柏木庫治
「誰も学校の落第生を悪い人のところに預ける者はない。始末に負えない子をいんねんの悪い家庭に預けようとする者もいないだろう。
落第生は良い先生の元に預けるし、不良の子は良い家庭にお願いするのが自然だ。だから神様が親不孝者を預けられるのも、親孝行の所だと思っている。
これで、いんねんある者が寄り添ってご守護されるのだと思っている。だから、親不孝の子が寄ってきても、自分は最も親孝行者でなければならん。」

「落第生は良い先生の元に預けるし、不良の子は良い家庭にお願いするのが自然だ。」
とあるように、
柏木氏は、親不孝者が寄り集まってくるのは、自分も親不孝のいんねんを持っているからと考えるのではなく、
自分は親孝行の優等生だからこそ、親不孝者を神様は預けて下さっているという考え方です。

親と子(助ける側と、助けられる側)という立場の違いはありますが、自分が駄目なんだとネガティブになるのではなく、逆に明るく勇んだ気持ちになっている。

これが70年以上も昔のインタビュー記事だということが驚きです。

今の時代にマッチした陽気な悟り方だと思いました。

(この「親と子の道」は他にも引用したい部分が沢山ありましたので、明日以降の記事でも登場します)



まとめ


全ての教理の大前提となるのは、「元のいんねん」です。
「おつとめ」「おさづけ」「ひのきしん」「たんのう」「八つのほこり」「かしものかりもの」などなど、
全て人間が「陽気ぐらしが出来るように」と、教祖が教えられたものです。

この大前提を
忘れてしまっている
そもそも知らない
意識したことが無い
という信仰者が大変多いように思います。

人は理不尽な不幸に弱い生き物です。
突然の病や怪我、
身の回りに起きる問題等、

なぜそのような事態になるのか理解出来ないから、

余計に悲しみ
余計に苦しみ
他人を恨み
運命を恨んでしまうと思うのです。

長い長い時間をかけて、人間を陽気ぐらしに導いて下さっていると知っていれば、人生を悲観する時間はグッと減り、喜びが溢れてきます。

天理教の最大の魅力は、どんなことでも、明るく陽気に悟れるということだと思っています。
(もちろんそのためには、教理をしっかり心に収める必要があります。僕は心がほこりにまみれているので、全然収まっていませんが…)

ですから、
一人でも多くの人に、喜び一杯の天理教の教えを知っていただきたいと思うのです。

追記

「前生いんねんのさんげ」ではなく
「たんのうは前生いんねんのさんげ」
このように、たんのう+前生いんねんのさんげと、セットで考えることはとても大事です。

なぜなら、
「喜ぶことは前生いんねんのさんげになる」
ということですから、悲しむ必要は全く必要無いというとても大切な考え方だからです。


おまけタイム


どーも!肉系の寿司、アボカド系の寿司なんて邪道だと思っていたが、食べてみたら案外有りだと今年になってようやく気づいた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

やはり、そのものを詳しく知りもしないのに否定することは良くないですね。

今まで食べていなかったことに後悔はしていませんが、偏見や先入観で否定することを、無くさなくてはいけないと思いました。

そう考えると、世の中の人達は、まるでハゲていることが嫌なことかのように思っている方が大勢いるように思います。

自分がハゲたことが無いのにハゲを否定することは、人間失格ではないでしょうか。

僕がこのnoteで常々言っていることは、「ハゲたくない」ということであって、
決してハゲは嫌だとか、
ハゲは臭いとか、
ハゲはモテないとか、
ハゲは満員電車に乗ると避けられてしまうとか
ハゲは、カツラを被っても帽子を被っても、隠しようのないハゲオーラが漂うせいで、なんだか周りからいじって良いのか悪いのかも判断できずに距離を置かれてしまうとは、

決して思っていないということです!


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!


引用文献

みちのとも  立教182年(令和元年)12月号 「親と子の道」
著者:柏木庫治
発行所:天理教道友社



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