191.「おやさまをお慕いする座談会」梶本宗次郎の話
はじめに
すっかり昭和初期の座談会シリーズに夢中になってしまい、ついに昭和10年4月20日号の中に見つけてしまいました。
「おやさまをお慕いする座談会」
なんでも当日は日が悪く、予定していた先生の半分も集まれなかったそうですが、それでも、僕の知らなかった教祖のお姿を見ることができましたので、紹介させて頂きます。
メンバー
梶本宗太郎
山澤為次
道友社
上原?
中山慶一
梶本
私の七つぐらいの時だったと思います。お菓子がほしくなると教祖様に貰いに行きました。貰うとすく遊びに出てそれを食べてしまう、無くなるとまた行く、また食う、また行く、そうして随分貰いに行ったものですが、教祖様は、もうええや、とは一度も仰らなかった。だから、子供心に、いつでも貰えるものだと思っていた。それは、小さい子供が親の乳にすがるような心持ちです。
山澤
その度毎に沢山貰われたのですか。
梶本
さあ、はっきりと記憶がない。五へんも六ぺんも行ったのだから、決して一回分は沢山ではなかったのだろう。
山澤
私の母の話ですが、母が煎餅などを頂戴するときには、いつも、五つ貰ったように言っていました。それは五つ、理をふく-というような意味からです。
梶本
そんなら、毎回五つぐらいだったかも知れん。
それから私の記憶では、その時分、おやさまは生のさつま芋を大根下ろしですったのを召し上がっておられた。子供心に、それがとても美味しいものと思って、家へ帰ると、一人でこしらえて食べたものです。
またその頃、なくなった吉川と二人が、教祖様に負うて貰った事がある。おやさまは細いぞうりをはいて歩かれたように思っている。
おかくれになった時、おやさまのおつむに手をやった。その時、なくなれば冷たいものだということを初めて知った。
※一部現代仮名遣いに直しています
この思い出話は、「稿本天理教教祖伝逸話篇193早う一人で」にも掲載されているお話です。
193早う一人で
これは、梶本宗太郎の思い出話である。
教祖にお菓子を頂いて、神殿の方へでも行って、子供同志遊びながら食べて、なくなったら、又、教祖の所へ走って行って、手を出すと、下さる。食べてしもうて、なくなると、又、走って行く。どうで、「お祖母ちゃん、又おくれ。」とでも言うたのであろう。三遍も四遍も行ったように思う。
それでも、「今、やったやないか。」というようなことは、一度も仰せにならぬ。又、うるさいから一度にやろう、というのでもない。食べるだけ、食べるだけずつ下さった。ハクセンコウか、ボーロか、飴のようなものであった、と思う。大体、教祖は、子供が非常にお好きやったらしい。これは、家内の母、山沢ひさに聞くと、そうである。
(後略)
ここで面白かったことは、
山澤
私の母の話ですが、母が煎餅などを頂戴するときには、いつも、五つ貰ったように言っていました。それは五つ、理をふく-というような意味からです。
梶本
そんなら、毎回五つぐらいだったかも知れん。
このやりとりです。
稿本天理教教祖伝逸話篇(以下逸話篇)では、
「食べるだけ少しずつ下さった」
とあります。
ここで下さった数に触れられていないのは、逸話篇は、数ある教祖の逸話の中でも、確かなものを200篇集めたものだからだと思います。
数について梶本氏は最初「はっきりと記憶がない」と言われているので、採用されなかったのではないでしょうか。
しかし、山澤氏の
「母が煎餅などを頂戴するときには、いつも、五つ貰ったように言っていました。それは五つ、理をふく-というような意味からです。」
この話しによると、教祖は、与えるお菓子の数にも意味を持たせていたということになります。
ちなみに、「五つ 理をふく」の意味はこちら
五つ りをふく
わが身の欲を忘れて、神様のお望みになる三つ子の心になるならば、身の内も世界も心通りに現れることを「りをふく」という。神様のご守謹の現れること、それが理がふくのである。
出典:みかぐらうた語り艸
僕の独自調査によると、天理教を信仰する人は、あまり数字の良し悪しを気にしないように思います。
その理由は色々考えられますが、大きい理由として考えられるのは、
「悪い数字が存在しないから」
ではないでしょうか。
人間は、
「在るものよりも無いものを数える」
「幸せよりも不幸を数える」
「好きな所より嫌いな所を数える」
このようにネガティブな事を数える方が得意です。
しかし、教祖は
「不足に思う日はない。皆、吉い日やで。」(逸話篇173みな良い日やで)
と仰せられているように、皆良い日(数字)だと仰せになっています。
避けるべき数字がないから、天理教を信仰する人は、数字に対するこだわりが少ないのではないかと予想しています。
しかし教祖は、僕らが思っている以上に数字に意味を持たせていたかもしれません。
おつとめの回数をこだわるのは当たり前ですが、
子供が貰いにきたお菓子の数にまで気を使っていたと考えると、僕達は数字の持つ意味をもっと深く考える必要があるかもしれません。
数字の意味については、こちらに詳しく載せています。
おまけタイム
どーも!語呂合わせについて語る男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!
教祖に教えて頂いた数字の意味は、所謂、語呂合わせが多いのですが、語呂合わせは外国語に翻訳すると意味が全く通じなくなることがネックになってしまいます。
翻訳すると意味が通じなくなる有名なもので言えば、
「眠れない時は羊を数えると眠れる」
これが一番有名ですね。
誰もが一度は、布団を被って羊を数えた事があるんじゃないでしょうか。
知ってる人は知っていますが、「眠れない時は羊を数えると眠れる」というのは、実は英語圏限定の話なのです。
羊は英語で「sheep」(シープ)
眠るは英語で「sleep」(スリープ)
綴りが一文字違いでよく似た単語なので、羊をずっと数えていると「sheep」が「sleep」になるという外国の語呂合わせです。
日本人が「羊が一匹、羊が二匹」と数えても、眠れるわけがありません。
(この事実を知った時、僕はショックで寝込みました)
その時のことを思い出すと、ショックでまた寝込みたくなってきた気がします。
そう!日本人には、この真実を知ってもらい、ショックで眠ってもらう方法がベストってことですね。
是非、一生懸命布団の中で羊を数えている子供に教えてあげてください。
よく眠れると思います。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ほな!
サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!