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【インドネシア教育ツアー】DAY2番外編 インドネシアの歴史の共有をしました。

夜、参加者に歴史の共有をしました!

2日目も終わり、ホテルに戻って一息。
体力的に余裕のあるメンバーがホテルのバーに集まり、希望者にインドネシアの歴史を共有する機会をいただきました。

インドネシア教育ツアーのコンセプトはこちら↓

扱った歴史は古代から現在まで

今回の仲間の一人である加藤さんが小型プロジェクターなどを持参してくださったおかげで、プロジェクターにiPadの画面を投影しながら歴史の共有を行えました。

まずは古代のインドネシアの歴史理解から。東南アジアは半島部(ベトナム・タイ)と諸島部(インドネシア)に分かれています。

諸島部も大きく分けてスマトラ島とジャワ島に分かれます。

スマトラ島にはシュリーヴィジャヤ王国、ジャワ島にはシャイレーンドラ朝が栄えました。5年前に撮影してきたシャイレーンドラ朝のボロブドゥール遺跡の動画を見てもらいました。

そしてワヤン(影絵)で有名なクディリ朝、今回の訪問地であるマランに作られたシンガサリ朝、その後のマジャパヒト王国について説明しました。

近現代の歴史は、ポルトガル、オランダの植民地支配から。

その後の日本の支配。そして戦後の独立。

インドネシアの建国の英雄はスカルノという人物です。

日本で有名なデヴィ夫人はスカルノの第三夫人です。
スカルノ時代にマレーシアと領土問題をきっかけに対立していきます。

バンドン会議でも有名な第三世界(冷戦時代に米ソのどちらに属さない)のリーダーの一つだったインドネシア。このスカルノ時代に介入したのがアメリカです。アメリカは軍人のスハルトをたきつけてクーデターを起こします。これを9.30事件といいます。この事件をきっかけに200万人いた共産党員は全滅。スハルトが政権を奪取しました。

30年開発独裁を続けたスハルト時代にインドネシアは発達したものの、アジア通貨危機をきっかけに失脚してしまいます。

僕が2000年に初めてインドネシアを訪問した時は、この直後の混乱時代でした。

その後徐々に成長したインドネシア。現在のジョコ大統領が統治した10年間で一気に経済成長しました。

インドネシアの歴史的特徴

歴史の概説の後は、フリートークをしました。

・現在のインドネシアはめちゃくちゃ親日。日本語を学習している人も非常に多い。ただ日本人の目はインドネシアに向ていない。だからこそ、この旅でインドネシアの真の姿を知ることが重要。

・この旅で多くの日本語を学ぶ高校生に出会うはず。インドネシアの高校生が思い描いてる日本は、キラキラした経済発展をしているテクノロジーの国家である日本。しかし我々が痛いほどわかっているように残念ながらそのようなキラキラした状況にはない。だからこそ、「Eucation Bridge」の名前の通り、 我々がインドネシアと日本の若者の橋となってつなげていきたい。

Q 体制の入れ替わりは激しい?
A 体制が入れ替わると政治は大きく変わる。人口が多く資源が豊富なので冷戦時代はその国際情勢に左右された。しかしインドネシア人の友人に聞くと、現在はマレーシアとの関係も改善され、中国やインドからも地政学上遠く、敵対する国家は無い。非常に安定している状況。

Q 今後のインドネシアは?
A インドネシアの人口は2億7000万人。そのうちの90%がイスラーム教徒。イスラームの聖典コーランはアラビア語で書かれている。(翻訳されるとガイドブックになり聖典でなくなる。)つまりムスリムはアラビア語を多少なりとも理解している。まもなく世界最大の宗教になるイスラーム。今後の国際経済は、今後台頭してくるアフリカ、中東、インドネシア、マレーシアのイスラームネットワークで回っていくのではないかと僕は推測している。このネットワークに将来の日本人が食い込んでいくカギは日本人と親和性が高いインドネシア・マレーシアではないか。そのための橋渡しを用意することが現在の日本の大人の責務。

Q インドネシア教育の歴史は?
A 日本でされているインドネシアの教育の解説は「非常に遅れている」というもの。しかし実際にはジョコ政権の10年間で一気に世界レベルの教育をインドネシアに導入してきた。「リープフロッグ」(蛙飛び)という経済用語がある。固定電話をもたないのに、携帯電話をもつような最新技術が一気にひろまることをいう。インドネシアの教育はまさにリープフロッグ。この10年間で欧米の先進教育を一気にインドネシアに導入してきた。

Q インドネシア教育の弱点は?
A インドネシアの人口の40%が20歳以下。とにかく若者の数が多い。世界の最先端教育を受けているミドルクラス以上の多くの若者がいる一方、数も数えられない子供たちもたくさんいる。教育にも格差があることが問題。けれども経済発展によりこれも解消されるはず。

まとめ

疲れた状況でありながら大変盛り上がった学びの場をもつことができました。この歴史講義が次の日からの学校視察に役立つことを祈って、そして未来の日本の若者がインドネシアにコミットするきっかけとなった歴史的な旅となることを祈って、この講義を終わりにしました。

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