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修羅闘諍の世なれども

 法華経寺の主要行事は月2回の定例祭だ。その都度、30分前後の御法話を行っている。先代住職の事故を契機として平成28年2月に法灯を承継して以来、緊急事態宣言で定例祭を中止した時もオンラインで続けていたので、先日8月22日の御法話で131回目を迎えた。

 御法話では、佛様の教えが私たちの日々の暮らしと結びついていることを分かりやすくお話しするように心がけている。だから、社会的に大きな出来事があった時は、それをモチーフにすることも多い。22日の御法話では、数日前に起きたカブール陥落とその後の混乱を取り上げないわけには行かないと考えた。前夜に構想を練り、それに沿ったパワーポイントを数枚用意して、あとは本番で信者さん方の反応を見ながら言葉を紡ぐことになる。

 人の心は十界、つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・佛の十の境地に分類され、生命の営みとして、人の一瞬一瞬の心の中にあらゆる可能性が存在する。修羅、つまり怒りと攻撃性もそのひとつだ。76年前、日本も戦争当事国だった。終戦時に14歳だった先代上人(母)は、学徒動員で工場に派遣されていた際に機銃掃射を受けたという。日本の片隅の島根、その片隅の安来ですら、そうだったのだ。今の日本は平和だ。その同じ今、アフガニスタンでは16歳の若者が米軍機にしがみついて墜落死し、バリケードの向こうから少女が助けてと叫んでいる。私たちは遠く日本にいて、報道でそれを知る。誰もが平和で生きることのできる世界のために、修羅の心を手放し、佛・菩薩の境地を憧れ求めたい。そんなお話をした。

 ある時期から、御法話の様子を録画して資料画像と組み合わせ、youtubeチャンネル「法華コム 人の心を考える」に掲載するようになった。特にコロナ禍以降は、お寺にお参りを控えている方にも御法話をお届けする貴重な手段だ。今回は、まさに今起きている出来事をモチーフとしていることから、編集作業を急いだ。カブール陥落後、タリバン政権スポークスマンは「二十年前とは違う」といい、多少の軟化を口にしていた。タリバンが決して一枚岩ではなく各地の状況が楽観を許さないとも伝えられる中で、それでも(もしかすると)という微かな、本当に微かな希望も、遠く日本にいる私は感じていた。そんな想いを込めて、今回の御法話の標題「修羅闘諍の世なれども」に”Hope in a world of strife(争いの続く世界の希望)”の英訳を添えて、木曜日の朝にyoutubeにアップロードした。

 その日の夜、希望は大きく損なわれた。アフガニスタンで自爆テロが複数発生し、大勢の犠牲者が出たのだ。ISISの犯行であると伝えられ、アメリカは報復を宣言した。暴力の連鎖は止まらない情勢だ。

 闘諍の鎌倉時代を生きた日蓮聖人は、幾度も命の危険に晒された。それでもなお、「全ての人がたったひとつの佛様の救いの乗り物(一仏乗)に乗ることが出来たなら、全ての人が幸せに生きることができる」とのビジョンをお示しになった。そこには、平和な現代日本を生きる私たちには想像もできないほどの想いと、そして覚悟があったに違いない。

日蓮聖人『如説修行抄』
 天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌を砕かず。代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ。現世安穏の証文疑いあるべからざるものなり。
(昭和定本日蓮聖人遺文 七三三頁)

合掌 南無妙法蓮華経

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