旧頼城小学校の歴史と建築の魅力|北海道芦別市
炭鉱の時代の最盛期には、2,214人の子どもたちが学び舎とした場所。
芦別には往時の賑わいを彷彿とさせる炭鉱遺産がさまざまありますが、今回は旧頼城小学校をご紹介します。
日本遺産に登録されている正式名称は、旧頼城小学校(星槎大学)校舎及び体育館です。
概要・歴史
頼城小学校は1910年に開校されました。
現在残っている建物は、1953年に火事で全焼してしまったあと、三井鉱山芦別鉱業所が総工費5200万円をかけて再建したものです。
街の発展と衰退をともにした小学校|歴史
この炭鉱遺産は、芦別における産業の発展と人口急増の歴史を物語ります。
炭鉄港の産業の発展により、人口が北海道全体では1万人から100万人に激増しました。
芦別市もその流れの中で人口は増えつづけ、市制施行後の 1958年(昭和 33年)には 75,309 人と人口のピークを迎えます。
同年、頼成小学校も児童数のピークを迎え、41学級・2,214名が学ぶマンモス校となったのです。
炭鉱夫たちの子女が通いましたが、60 年代に入ると、街を支える産業である炭鉱の衰退とともに人口流出が進み、頼成小学校は2002年に閉校しました。
2004年には星槎大学が芦別キャンパスとして建築を再活用しましたが、現在は使われていないようです。
煉瓦造りの迫力と構造美|魅力
頼成小学校は閉校しましたが、その魅力は未だ衰えません。
現在は炭鉱時代の歴史のほか、建築物としての価値が認められています。
2019年には、日本遺産「炭鉄港」の構成文化財にも登録されました。
建築物としては、煉瓦造り、一線校舎、体育館の構造、また、全体の構造美が評価されています。
煉瓦の使用総数は約70万個。
1直線の校舎は106mの長さで、煉瓦造では最長です。
レンガ造りの小学校が残っていること自体、とても珍しいことなのだそうです。
また、体育館は天井の木造小屋組が美しく、内部の構造美が評価されています。
歴史的にも、建築物としても魅力あふれる旧頼成小学校。
今は無人となった校舎の存在感は、炭鉱産業がいちじるしく発展した時代の賑やかさを想像させられます。
アクセス・予約
旧頼成小学校
場所: 〒075-0163 北海道芦別市緑泉町5−14
内部見学は一般には解放されておらず、お問い合わせが必要です。
現地では外観を見ることができます。
また、炭鉄港ポータルサイト上では自由に中を見て回ることができます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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