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子どものことは待てるのに母親を待てなかった話

保育士として仕事中、子どもが自分で自分のことをしようとする時、待つことを大事にしている。

手を洗うこと
靴下や靴を履くこと
棚から必要な物を取り出すこと
使ったものを片付けること

大人がパパッとやった方が早いのだけど、子どもが自分のことを自分でできるようになるためには、大人が手を出さないで待つことが大事になる。

まあ、でも集団生活をする上で、どうしても急いでほしい時もあったりして、現実はなかなかうまくいかないのだけど。

ちなみに、そういう時も「急いでね」という声かけだと漠然として子どもには分からないので、

手洗いの時・・・・・・
「水を止めてね」「手を拭いてね」

靴を履かないで立っている時・・・・・・
「靴を出してね」

片付けない時・・・・・・
片付けるべきものを手渡す

などしている。
具体的な動作を示したり、1歩を踏み出せるようなきっかけをつくったりする。




母は、還暦を少し過ぎた普通のおばさんだ。

この年齢にしてはちょっと早くからパソコンを使い始めている。
25年くらい前にはメールのやり取り、ワードでの文章の作成を習得している。

スマホ歴の方が短く、LINEはそこそこ使える、新規アプリのダウンロードはできるけど、初回ログインに手間どる。

そんなところ。

私の幼い頃は、テレビゲーム、携帯型ゲームのない家だった。
私が高校生になってから、NintendoのDSLiteを購入したのが最初で最後のゲーム機。

その分、パソコンの導入は早く、小学校低学年の時に、父がどこからかブラウン管のデスクトップパソコンをもらってきて、オフラインで使っていた。もっぱらオセロゲームをしていた。
マウスやキーボードの操作はその時、感覚で覚えた。

ついでに言えば、機械系の仕事をしていた祖父に面倒を見てもらっていたこともあり、工具や電子機器の扱いには小さいころから慣れている方だと自分では思う。

Windows98のノートパソコンがやってきた頃、母はそれでメールやワードが使えるようになった。

それから、25年の間に数回パソコンを買い替えた。



年末に新しいパソコンを購入したので、年末年始でメールの設定等を代わりに行った。

設定が終わったので、使い方を伝える。

「そこの上の〇〇を押して」
マウスのカーソルより少し上のボタンを示す。

「えっ、どれ?」

カーソルが画面上をふらふら動き回る。

「その上!」
と言ったときには、もうマウスがずれて思った場所とは全然違う場所にいる。

そして、ポップアップが出てくると、×印を押して閉じてしまう。
そういう時に限って動作が素早い。

「あー、今の大事な設定だったのに!」

思った通りにならなくて、毎回、私も母もだんだんイライラしてくる。



結論は、タイトルにも出しているので言うまでもないけれど、

私は仕事で保育士として子どもと接しているときは待てるのに、
母のパソコン操作は待てなくて、次々指示を出して、挙句、自分でやってしまう

ということに先日ようやく気付いた。(遅すぎる)

設定を教えている最中にふと自分のことをメタ認知することができた。


「できる(と私は思っている)のにできない」という状況がイライラするのだと気付いた。

思い返してみれば、仕事上でも「できるのにやらない」という状況にはイラっとすることがある。

それを表に出すか、出さないか、という話なのだけど、母は身内であるという安心感から、表に出してきたのだなぁと思った。


なので、先日は、母が自分でやれるようになるまでとことん時間をかけた。

「そこの上の〇〇を押して」と言った後、ひたすら待つ。

違うところに行っても、戻ってくるまで待つ。

間違えたら、「違うよ」とだけフラットに伝えて、戻し、
正しく押せるまで待つ。

母も私も穏やかだった。

なんで、今までできなかったんだろうと思った。




ちなみに、仕事上の(子どもの)「できるのにやらない」に対しては、「やればできるよ」と言っている。
もはや口ぐせ。

「やればできるけど、気分が乗らない日だってあるよね」と言いながらやってあげることもある。

「やればできる」は子どもを励ます言葉でもあるけれど、私が子どもに頑張ることを強要しないためのお守りの言葉でもある。






おしまい

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