みい子

20代 毒親育ちのみい子です。 これは、そんな私の人生をnoteにまとめていくものです…

みい子

20代 毒親育ちのみい子です。 これは、そんな私の人生をnoteにまとめていくものです。 〜〜登場〜〜【母:毒親】【父:DV】【姉:阿呆】【祖母:毒親】

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【微笑み鬱のみい子とは?】

改めまして、私みい子と申します。 この度、初めてnoteを利用しようかと思いまして、まず初めに簡単に私の自己紹介をしていこうかと思います。 名前はみい子、21歳です。生まれは地方。ど田舎というほどでもなく、ほどよく必要なものが揃った街で育ちました。 幼い時に両親が離婚し、母が一人で私を育ててくれました。 しかし母は「毒親」でした。 そんな母親の元で育った私は、地元の高校卒業後実家を出て、短期大学に入学しました。 短期大学卒業後は東京でOLをしております。 いかが

    • 【相談できない子とその親】

      本稿では、先日転職した私が、今現在母に話すことができない状況についてお話ししましょう。 私は、自分の感情を客観視することを得意としておりますので、同じような悩みを抱えた方の何かヒントになれば良いと考えております。 さて、私は新卒で入った某中小企業を11ヶ月で退職しました。 そして、今は派遣社員として働いております。 会社を辞めたことも、非正規として働き始めたことも母には話しておりません。 私は、自分の人生を干渉されることを嫌だと感じてしまうので、自分からは極力話さないよ

      • 【10円はげと毒親】

        ここからは、ぽつりぽつりと思い出だされる、私と毒親さんとの思い出をお話ししましょう。 私は小学6年生の夏に髪の毛がなくなりました。 それは、とある旅行先での出来事でした。 1番乗りに目覚めた私は、顔を洗うために洗面所に行くと、見覚えのない光景に鏡の前で気づきました。 「私のつむじって、こんなに大きかったっけ?」 嫌な予感はしていました。 偶然2番目に起床した母も洗面所にやってきたので、恐る恐る聞いてみました。 「あのさ、これって…」 少し大きめなつむじを見た瞬間、母

        • 【私と習い事】

          ここまで母の「趣味」についてお話ししましたので、1つ母との出来事をお話ししましょう。 私はピアノが習いたかった。 「ピアノ」はほとんどの女の子が習っていたと言っても過言でないくらいに、習い事の1つにしている人は多いのではないでしょうか。 小学校の音楽会で、アニメを見るときにも、友達の家に遊びに行くときでさえ、私はなんどもピアノを習いたいと考えておりました。 ピアノを弾く友人の、あの細くしなやかな指先を見るたびに、母の趣味を行なっていた自分の太く筋肉がついた腕を見るたび

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        【微笑み鬱のみい子とは?】

          【新生活と母親と趣味】

          田舎に引越ししたことは、私にとって大変嬉しいことでした。なぜなら、趣味の団体は引越し先の田舎にはなかったからでした。 母は趣味のこととなると人が変わります。 初めて野球を知った少年のように楽しそうになったり、少しでも私が力を抜くようなものなら般若のように起こります。 私は、確かに「すごいこと」という感情は持っておりましたが、やりたいかと聞かれると「やりたくない」とういのが正直なところでした。 だからこそ母に趣味について怒られるというのが、なんとも素直になれないのです。

          【新生活と母親と趣味】

          【毒親と逃亡】

          母親は東京の家を出た。 幸いなことに私と姉の手を引いて。 私には、東京の家を出た記憶がないのです。気がついた時には、母の地元の田舎に家が建つからそれまで祖母の家に泊まっていたことしか知らないのです。 よくある「毒親」というものは、その時愛していた別の男とともに夜の暗闇に溶け込むと言ったパターンであるが、母は違った。 素直に「子供を愛していた」といえば、私はとても可愛い娘であったろうに。 ひねくれた私は、依存の対象が父であったため、父につくすことで自分の存在価値を感じ

          【毒親と逃亡】

          【毒親と趣味】

          母は、人生で1番と言って良いほどの趣味に出会いました。 その趣味というものは、旅行先のイベント会場でたまたま見かけたものでしたが、母の目にはとても魅力的に見えたのでしょう。 母は、その趣味の団体について熱心に調べておりました。 母の母もまた毒親だったため、母は自分が熱中することよりも、母の母に注目されることを人生の軸としていたからでしょうか。 「自分」が心から揺さぶられるものに対しての、抗体がなかったんです。 その団体は、日本や世界各国にも展開している割と大きな団体

          【毒親と趣味】

          【タバコと記憶】

          母は「タバコ」というものが大嫌いです。 そして、父は喫煙者でした。 うっすらと子汚いベランダで、一人タバコの煙をはく父の影を見たことがあるような気がします。 母は喫煙者を嫌い、近場で吸おうものなら「非常識だ」「子供に悪影響だ」と言って煙に巻きます。 ふと考えて見ると、もともとタバコの匂いが嫌いな人間であれば、父とお付き合いを始めることもなかったのではないかと思います。 昨今流行っているマッチングアプリに試しに登録してみても「タバコNG」ともともと登録できるのです。

          【タバコと記憶】

          【父と私】

          私は父が好きではありません。そして、嫌いでもありません。 つまり「無」です。 母の前では怒られてしまうので、顔を歪め心の底から嫌って見せるのですが、あまり伝わってはいないようでした。 幼い頃に見たあの痛烈なシーンは、私に「正義」という感情を植えつけたのでした。 私が覚えていることは、父が休みの日に「遊んで」とせがんで父の背中に馬乗りをし、「早く進め、早く進め」と文句を言いながら、父の尻を思い切り蹴っておりました。 遊んでいるように見せかけて、父に暴力をしていたのです

          【父と私】

          【缶と男】

          私は東京の幼稚園に入っておりました。 父の仕事の都合でよく転勤していたものですから、「故郷」と言えるものはなく、なんとなく同級生には「東京育ちかな」と少し自慢げに言っていた時分もあったものです。 東京で暮らす前は神奈川県におりましたが、そこでの思い出は近所の友人と遊んでいた記憶しかございません。 覚えていることといえば、私が泥だらけで遊んでいると母が「あらあら」と言いながら楽しそうに笑っていることでした。 女の子だからスカートを履かないといけない、女の子らしくおままご

          【缶と男】

          【かげろう】

          タイトルの通りですが、私には幼い頃の記憶というものが、どうも曖昧でして、「覚えているのか?」と問われたら、「まあ覚えている」と言えますが、 「説明して」と言われますと、どうも困ってしまいます。 自分の中で絶対に消えないであろう『記憶』というものは、まるで映画のワンシーンのように、ある一場面でしか記憶されていないのです。 思い出そうと思えば、どこで、誰が、どのようなポーズをしているのか鮮明に思い出せます。 しかし、それは何度も見てしまう夢のようにおぼろげで、私から記憶と

          【かげろう】