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映画日記その302 「ロストケア」

ある民家で老人と介護士の死体が発見され、死亡した介護士と同じ訪問介護センターで働く斯波宗典(松山ケンイチ)が捜査線上に浮かぶ。彼は献身的な介護士として利用者家族からの評判も良かったが、検事の大友秀美(長澤まさみ)は斯波が勤める施設で老人の死亡率が異様に高いことに気付く。そこで何が起きているのか、真相を明らかにすべく奔走する彼女に、斯波は老人たちを殺したのではなく救ったのだと主張する。彼の言説を前に、大友は動揺する。

シネマトゥデイより

【ネタバレ注意】

現代の高齢化社会における、医療と介護の問題の「陰」の部分を見事に掘りおこした作品だ。認知症の高齢者とその家族の苦悩、そして介護現場の諸問題がずいしょに表現されている。

細かいところでいえば、斯波(しば)(松山ケンイチ)の「二人も職員が休んだら介護サービスがとどこおる」という言葉に、介護現場の切迫した人手不足を感じる。また女性の新人介護士が、夜は風俗でアルバイトをするシーンでは、業界の低賃金問題を表現してるのではないだろうか。

またつきっきりの介護のため、働く時間のない斯波が生活保護を申請しても、斯波自身が健康体なため申請が通らない。けっきょく収入は、寝たきりの父(柄本明)の少ない年金だけが頼りという生活を強いられるのだ。思わず医療関係者のあいだで話されるらしい「寝たきり大黒柱」という俗語を思い出した。これも医療や介護の「陰」の部分だ。

そして本作で大きく取りあげてるのが、介護にまつわる家族の苦悩だ。同じ話を繰りかえす母の姿にとまどう大友(長澤まさみ)。しかしこれは認知症としてはまだ軽いほうだ。そんな母を立派な施設に預けて、自分は仕事に没頭する大友の環境を、斯波は”安全地帯にいる人”と突きはなす。確かにそうだ。いまや在宅介護が基本だ。

いっぽうで、斯波の父の介護は凄絶をきわめる。重度の認知症にもかかわらず在宅介護で、それを斯波がたったひとりで看るのだ。排尿をまき散らしながら家中を歩き回る。外を徘徊し行方不明になる。意識がしっかりしてる時もあれば、もうろうとしてる時も。24時間365日息つくまもなく続く、終わりの見えない介護。そして今の自分の状態を認識している父は、意識がしっかりしている時に、ふと息子につぶやく。

「おれを殺してくれ…」  (…的なこと💦)

もうこれ以上息子に迷惑をかけたくない父は、自分を殺すよう斯波に頼みこむのだ。もうそこからは柄本明さんの独断場だ。あの凄まじい迫真の演技は、多くの鑑賞者を圧倒するであろう。ボクは涙があふれて止まらず、スクリーンをまともに観れなった。あんな凄みのある演技と場面は、そうなかなかないと思う。

そして作中に繰り広げられる斯波と大友検事のかけ合いと、また最後の面会時での大友検事の告白は、本作の大きな見せ所の一つだ。大友は20年以上も父と会わず、見殺し同然のように亡くした。そんな父に対しての罪悪感を心の奥底に隠しながら、斯波に対峙する大友の姿を、長澤まさみさんは華麗に演じる。見事としか言いようがない。

また斯波が父に手を下す回想シーン。ここでは松山ケンイチさんの鬼気迫る演技がスクリーンを覆う。もはや斯波の行為が正義なのか悪なのか、いや、あの斯波の姿をスクリーンで目の当たりにすると、ともすると殺人を肯定してしまいそうになるのだ。つまり犯罪を正当化してしまう自分がここにいる。

ともあれ、介護の苦悩というのは当事者でなければわからないものだ。また介護される人間も、家族に迷惑をかけたくないという思いと、痴呆で寝たきりでは生きる意味はないという思いがある。さらに病気の末期ともなると、たび重なる延命治療で地獄のような苦しみを味わうことにもなる。人はなにをもって「救い」というのだろう。

本作を鑑賞して思うことはただ一つ。20年後には、この日本でも安楽死が認められてることをボクは切に願う。

ボクは自分の死を自分で決めたい。

ご興味あるかたは、ぜひ劇場でご覧ください。

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