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わし流 にいがたブラタモリの旅

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ブラタモリが終了したので、自分でブラタモリすることにしました。
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#江南区郷土資料館

わし流 にいがたブラタモリの旅 その6 「亀田砂丘の遺跡 〜鎌倉・室町時代編〜」

わし流 にいがたブラタモリの旅 その6 「亀田砂丘の遺跡 〜鎌倉・室町時代編〜」

この時代から日本では武士が登場するんだな。そして流通や経済活動も活発になって、他の地域の焼き物や中国の磁器が発掘されるようになるのだ。

現代の中国産というと、安かろう悪かろうの粗悪品のイメージがある。しかしこの時代の中国は日本よりずっと文明が進んでいて、中国の品は高級品とされていた。

そのため土地の有力者は、中国産の青磁や白磁といった唐物をこぞって所有していたそうだ。つまり唐物は権力の象徴であ

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わし流 にいがたブラタモリの旅 その5 「亀田砂丘の遺跡 〜奈良・平安時代編」

わし流 にいがたブラタモリの旅 その5 「亀田砂丘の遺跡 〜奈良・平安時代編」

これはスゴいッッ! 見よッ、江南区の奈良・平安時代の遺跡発掘マップを。亀田の域を越えて江南区全域、赤点だらけだよッ!

……っと、なんか「赤点だらけ」というワードには、高校時代いい思い出がないせいかビクッとしてしまうな…

ま、それは置いといて、この時代になると亀田は大和政権によってどんどん開拓されていったという。そして平安時代になるとこんどは有力貴族や寺社が開発していくのである。

まあ詳しくは

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わし流 にいがたブラタモリ日記 その4 「亀田砂丘の遺跡 〜古墳時代編〜」

わし流 にいがたブラタモリ日記 その4 「亀田砂丘の遺跡 〜古墳時代編〜」

古墳時代の遺跡の数が少ないのは、古墳時代の短さがあるのかな? 縄文時代は1万2200年間、弥生時代は1050年間、そして古墳時代はというと350年間だ(資料によって誤差あり)。

また古墳時代では「全国的に内乱(倭国大乱)があり、防御性を重視し丘陵上に集落を構える」とある。なんと内乱の防御という理由で秋葉区古津付近に集落ができたという。

たしかにあの辺りは小高い山がある。おそらくその内乱も、この

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わし流 にいがたブラタモリの旅 その3 「亀田砂丘の遺跡 〜弥生時代編〜」

わし流 にいがたブラタモリの旅 その3 「亀田砂丘の遺跡 〜弥生時代編〜」

弥生時代の亀田砂丘の遺跡は縄文時代と同様に、砂丘に沿って発掘されている。また、海岸線は縄文時代とくらべると、ずいぶんと沖合へ引いて現在の海岸線に近くなる。平地が広がったのだ。

とはいえ、亀田砂丘の周りの平地をよく見ると、広がっているのは人の居住に適さない湿原だ。どうやら地図だけで想像するに、まだまだ暮らしの中心は砂丘の上のようである。

弥生時代の遺跡のなかでも代表的なのが西郷遺跡。うっかり、さ

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わし流 にいがたブラタモリの旅 その2 「亀田砂丘の遺跡 〜縄文時代編〜」

わし流 にいがたブラタモリの旅 その2 「亀田砂丘の遺跡 〜縄文時代編〜」

ふと、わが地元亀田で発掘された遺跡を見たいと思い、亀田郷土資料館へと足を運んだ。以前は遺跡になんてまったく興味のなかったワシである。

それがなに、何千年という気の遠くなりそうなほどの長いあいだ地中に眠っていたものが、現代になってよみがえるという様を想像すると、なんだろ、静かな感動を覚えるのだ。これもブラタモリの影響だろう。

資料館に到着して、さっそく展示されている遺跡を鑑賞し始めた。撮影OKな

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