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[場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)・緘動(かんどう)・発達障害・不安障害・不登校などの生きづらさ]への理解 第19話 「強迫観念」


(ご理解、ご賛同いただけたら、周りの方に伝えたり、この投稿をシェアしていただけるとうれしいです。) 


 長女は4歳の時、幼稚園入園をきっかけに場面緘黙症・緘動(※)を発症しました。
 ※:家庭などでは話すことができるのに、社会不安のために、ある特定の場面、状況では話すことができなくなる疾患。強い不安により体が思うように動かせなくなる「緘動(かんどう)」という症状が出る場合もある。 症状のでかたや困難さはそれぞれかと思いますが、娘の場合を伝えていきます。


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*強迫観念*

強迫性障害という心の病気があります。

不合理だと分かっていても「考えずにいられない強迫観念」と、それによる不安を打ち消すために繰り返される「しないではいられない脅迫行為」が見られます。

よく耳にするのは、手が汚れているという考えに支配され、手を洗わずにはいられず何度も洗う。(不潔恐怖と洗浄)
また、鍵のかけ忘れや火を消したかなど何度も確認するなどです。(確認行為)

誰にでも思い当たることですが、強迫観念に支配された強迫行為の場合、その不安感が過剰で回数や時間が度を越してしまい生活に支障が出るほどになるということです。
他に加害恐怖、儀式行為、数字や配置、対称性へのこだわりなどがあります。

長女と二女には強迫観念の強さが見られ、強迫傾向があるとドクターに言われています。

二女の場合は例えば、

 ○食べ物に何か混入していないか気にする。
 ○何かで汚れているのではという不安が強く、清潔に保ちたがる。
 ○ガスのロックやドアや窓の二重ロックを度々確認する。
 ○出かけるときや就寝前などの持ち物に不備のないように用意する。

などがあります。
強迫観念の種類では「不潔恐怖と洗浄」、「確認行為」です。

傾向は見られますが、なるべく安心できる状態を守ることで、生活を困難にするほどの影響は今のところありません。

長女は、体調不良も重なったせいか、通常から不安に感じていたことに対してより繊細になり、「強迫観念」が強くなりました。
不安を打ち消そうとする「強迫行為」も、やや度を越していると思われることがあります。
現時点では「強迫性障害」という病名がつくほどのレベルではありませんが、ドクターに相談しながら気をつけています。

長女に多く見られ、困難を生じているのは「儀式行為」。

恐怖に感じることに対し、いつのまにか自分に課してしまった手順や時間内にものごとを行わないと、恐ろしいことが起きるという不安に時に襲われます。

幼いころから一人になることに対して強い不安がありますが、年齢を重ね、「怖いけどできる」状態になっていました。
しかし、強迫観念が強くなってからは、「儀式を全うする」ことで怖さを堪えるようになりました。

娘は基本的に根が明るいこともあり、娘の様々な儀式は、本人にとっては必死でも家族には微笑ましくさえ見えるようなものでもあります。
また、無理に一人にさせず一緒にいてあげることで解消できることが多く、さほど深刻には捉えていませんでした。
医師も、現段階では不安やストレスをなるべく遠ざけたり、強迫行為のレベルを上げないように、またその場で簡単にできることに変えるなどの工夫をするようアドバイスをもらいました。

ところが先日、みんなより朝寝坊をして寝室に一人になった娘が、なかなか起きてこない日がありました。
一人になるのは不安だと知っていましたが、携帯もあるし、怖くなれば呼ぶだろうと気にかけていませんでしたが、そのうち、かすれた泣き声で電話がかかりました。
娘は昨年末あたりから、寝てしまうことに不安が高まっていて、寝ている間に起きてしまうかもしれない様々な恐怖を感じていました。

目覚めた時、一人残された状況から、日頃感じていた不安な出来事が起きてしまったのではないかと怖くなり、布団に隠れていなければ、考えていた不安な出来事がさらに起こってしまうという思いに支配されたのです。

身動きしてもだめと決めてしまい、足元のテーブルに置いてある携帯は取れません。
堪えきれず覚悟して携帯を手にした時には、すでに長い時間布団の中でその恐怖と闘っていたらしく、汗びっしょりになって泣いていました。

娘が冷静になって話せば、自分でもその恐怖や、そのために取らなければならない行動は馬鹿げた妄想だと本人も思っています。
でも、そう考えずにはいられなくなり、しないではいられない行為(そうしないと恐怖を打ち消せない)に支配されてしまうのです。

ウィルスや災害、事故、事件のニュースなどからも、不安や恐怖は日に日に増していきます。
不安だ、というだけでは済まされず、強迫的に怖さを感じ、強迫的に行動する(強迫観念によって行動させられる)悪循環に陥ります。

長女の状態が不安定になり、私は娘に不安なことを口に出して伝えるように働きかけています。
はじめのうちは、「言ってはいけない」という強迫観念があったようで躊躇していましたが、話してくれるようになりました。
寝ることへの恐怖については、小さな妹たちが寝静まってから話してくれます。

話すことで、娘には少なくとも「私がこわいと思っていることを知っていてくれる人がいる」という安心感が生まれました。

相変わらず儀式行為はいくつか見られますが、増えたり厳しくなっていることはなさそうです。

不安や恐怖を抱えることは当然誰にでもあることですが、その大きさや感じ方はそれぞれです。
感覚の過敏性や発達の特性などが影響している場合もあるでしょう。

同じように、「大丈夫」の感じ方もそれぞれだと思います。
私にとっては、取るに足らない「大丈夫」であったり、起きるわけがないと分かっていて「大丈夫」なことでも、娘たちにとっては深刻な笑えない恐怖であったりするのです。

娘たちは「大丈夫」と言われるのが小さな頃から不安でした。
「大丈夫だよ」と声をかけられ、「もう大丈夫」だと思われてしまうことが不安だと話しました。

「大丈夫」はそう思う本人の心によって違う。

本当に大丈夫かは、声をかけた時だけでは判断できず、そのあとの様子を見て判断できることだと、経験を通じて知りました。

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例は、娘のケースです。
全ての当事者の方に当てはまるわけではありませんが、知ってもらうことはとても大切だと改めて感じ発信させていただきます。

(注)私たち家族は長女が診断されて以来、下の二人の娘も含め、療育、相談、医療の機関に定期的にカウンセリングに出向き、登校できなくても、在籍する学校の先生と連携を取っていただいています。


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