「つらつら物思い」第12話

つらつら 1

 夏休みの大きなイベントと言えば花火大会。例年は自宅のマンションのベランダから眺めていた。会場に行くより家の方がよく見えるし、人混みも喧噪もない。ちょうどいい距離で見られるのが自分の家の自慢でもある。でも今日は浴衣を着て会場へ向かっていた。
 待ち合わせ場所に着くと、そこには目的の人物はいなかった。目的の人物である晴琉ちゃんは人を待たせるような性格ではない。遅れるという連絡もなかった。ここの花火大会には同じ高校の子たちも結構来るのだと聞いていた。ということは、おそらく――。

「あ……」

 周囲を見渡すと人の波の中、遠くに晴琉ちゃんの姿が見えた。涼やかな紺色の甚平を着こなす長身の晴琉ちゃんは遠くから見てもかっこいい。そして周りには同じ高校の子たちが取り囲んでいた。何を話しているかまでは分からないけれど、大体予想はつく。どうせ目を輝かせた女の子たちに「かっこいい」とか「一緒に写真撮ろう」とか言われているのだろう。こちらには気付かず、笑顔で対応し続ける晴琉ちゃん。待ち合わせの時間まではまだある。だから別に、悪いことをしているわけではない。学校でもよくああやってファンサはしていて、いつものことなのだから。
 しばらく遠くから様子を眺めていたら、晴琉ちゃんに動きがあった。誰かに腕を引っ張られているようだった。身長の高い晴琉ちゃんの姿は分かるけれど……人混みに負けずズンズンと前を歩いているのは、あれは、朱里ちゃんだ。可愛らしい浴衣に似合わない可愛げのない仏頂面で私に向かって来ている。晴琉ちゃんもこちらに近づくにつれ、私に気が付いたようだ。訳も分からず引っ張られて困惑した顔がパッと笑顔に変わる。私がいるところまでたどり着く前に朱里ちゃんは晴琉ちゃんの後ろにまわって、背中を強く押し出し、そして人混みの中へ戻って行った。

「寧音!……めっちゃ可愛い。黒似合うなぁ」
「ありがとう晴琉ちゃん」

 来ていた浴衣を褒めてくれたお返しに甚平姿を「かっこいい」と言えないのは、先ほどまで晴琉ちゃんを囲っていた子たちと、同じものになりたくなかったから。

「ねぇ、朱里ちゃんどうしたの?」
「あー……『恋人待たせて何してんですか⁉』って怒られちゃった……ごめんね、寧音。後輩たちに囲まれちゃって……」
「大丈夫だよ」

 朱里ちゃんの方が先に私に気付いたのだろう。そして怒っていたのは、もちろん私の為ではなく、晴琉ちゃんが恋人をほっておいていたという、かっこよくない姿が嫌だったのだろう。晴琉ちゃんは学校の王子様で、朱里ちゃんにとってはかっこいい憧れの先輩でもあるから。

「あーでも、本当に浴衣可愛いな」
「自分で着付けしたの」
「え、すごい。さすが寧音」

 そんなに喜んでもらえると着た甲斐がある。両手を軽く広げて見せつけてから、そばに近寄って耳元で囁いた。

「だから、乱しても大丈夫だよ」
「は⁉」

 私はかっこいい晴琉ちゃんよりも、顔を赤くして照れたり、慌てたりしているかわいい晴琉ちゃんの方が好みだ。

「ほら、早く行こう?……え?」
「え、嘘でしょ」

 先に歩き出して、すぐに異変は起きた。周囲の人たちも口々に驚嘆の声をあげている。ポツポツと、雨が降り出していた。天気予報では曇りだったけれど、これは一雨来るかもしれない。折り畳みの傘を持っていて良かった。晴琉ちゃんを招き入れる。
 
「寧音とのデート、雨に降られすぎじゃない?」

 結局雨は降り止みそうになくて、花火大会も中止になりそうな雰囲気が漂っていた。晴琉ちゃんの顔もどんよりとしてきている。私は正直言って雨が嫌いではない。いつもより街が静かに感じられるから。それに今はこの小さな傘のおかげで、雨が降らないこの中だけは、まるで晴琉ちゃんと二人きりの世界だと思えた。
 とりあえずどこかお店に避難しようかと思ったけれど、皆考えることは同じだった。どこも人で一杯なのが外から見ても分かる。途方に暮れてしまう前に私は提案した。

「……家来る?」

 晴琉ちゃんは黙って頷いた。そこに緊張を感じて、私も少し緊張してしまった。

「お邪魔します」
「晴琉ちゃん先部屋行ってて」

 家に着いて、タオルとか飲み物とか準備をする。雨に少し濡れてしまった浴衣を脱ぎたい気持ちもあったけれど、二人で写真も撮ってないし、せっかく着たのだからもっと見てもらいたくて、そのままで部屋へ向かった。

「お待たせ」
「あ、ありがとう」

 スマホをいじっている晴琉ちゃんにタオルを渡して隣に座る。花火大会が中止になったとスマホの画面を見ながら残念そうに言う晴琉ちゃん。でもすぐに笑顔を浮かべていた。私には眩しすぎる言葉を添えて。

「来年リベンジしたいなぁ」

 たった一年と言えばそうかもしれない。でも高校生の一年は大きい。晴琉ちゃんが当たり前みたいに言ったその言葉が、私にとってどんなに大きい意味を持つかをきっと晴琉ちゃんは分かっていない。来年も隣に居て良いのだと、花火大会が中止になったことがどうでもよくなるくらい、泣きそうになるくらい私が嬉しく思っていることなんて、きっと分かっていない。

「……ねぇ、そろそろ浴衣着替えたいから、先に一緒に写真撮りたいな」
「そういえば撮ってなかったね!待って、先に全身撮ってあげる」
「全身は撮ってあるよ。円歌が送ってってうるさいから」

 スマホにある写真を見せると「それ私にも送って!」って言うから、断った。

「なんで⁉」
「なんとなく……ほら、隣来て?」

 並んで今度こそ一緒に写真を撮った。晴琉ちゃんは満足そうだったけれど、せっかくの浴衣も甚平も背景が部屋だとやはり味気ない。花火大会の会場で晴琉ちゃんが後輩の女の子たちと写真を撮っていたのを見ていたから、羨ましいと思う気持ちがよみがえる。私たちは結局、外では一緒に写真を撮れていなかった。
 全てを独り占めしたい、なんて贅沢なことは考えていない。晴琉ちゃんは皆に優しくてかっこいいのが魅力的なのだ。もし私だけに捧げてくれるとしたら、それは晴琉ちゃんらしくないと思う。私だけに優しくてかっこいい晴琉ちゃんと恋をしたいと思わない。でも、だからこそ、特別が欲しかった。
 バスケ部の人たちとプールに行った時も、連れ出してくれたけれど結局ただ散歩して帰っただけだった。今まで晴琉ちゃんからはハグしかしてもらえたことがなくて、晴琉ちゃん自身は他の女の子たちからハグをされているのをよく見る。好きという言葉だって、デートで言うって約束してくれたのに、今もまだ言ってもらってない。

「ねぇ晴琉ちゃん……ちょっと良い?」
「うん?どした?」
 
 最後には隣に居てくれる。そう信じてはいても、現状は皆の晴琉ちゃんでしかない。誰よりも近くに居たいと思っていて、晴琉ちゃんも私を離さないと言ってくれた。でも太陽みたいに暖かくて眩しい晴琉ちゃんに近づけば近づくほどに、私の影は濃く、大きく伸びて、不安とか恐れに飲み込まれてしまいそうだった。

「夏休み終わったら……少し距離置いても良い?」

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