「かたかた片想い」第5話

ぐるぐる

  観覧車でゴンドラが段々と下がって行く間のことをすぐには思い出せなかった。私はゴンドラから降りた後、ただぼーっとして誰とも目を合わさずうつむいていた。明らかに様子がおかしい私のことを心配するバスケ部員の人たちに、葵がたしか「乗り物に酔ったんだと思います」とか何とか言ってくれていたと思う。
 その後は葵が私の手を取ってずっと黙ったまま、私の家まで送ってくれた。もうすぐ家に着くところで、ようやく話かけてきた葵。

「……円歌の家に泊まるから」

 私に聞きたいことがあるのだろう。私は無言で繋いでいた手に力を込めた。それを返事と受け取った葵は立ち止まると空いていた手で私の頭を撫でた。まるで子供のような扱い。そしてまた歩き出した。
 出会った頃は私が引っ込み思案の葵の手を引っ張るように前を歩いていたのに、いつの間にか葵の方が歩幅が大きくなっていた。葵は繋がれた手が離れない程度に、私よりもほんの少しだけ前を歩くようになった。
 中学生になった頃、葵は「円歌に頼られるような人になる」と言っていた。それから葵はバスケ部に入って晴琉と出会って――。確かに葵は私の前を歩けるくらい頼りがいのある子になった。でも私はずっと葵の隣で歩いていきたいと思っていた。
 家に着く直前、私は自分の乗っていたゴンドラの次のゴンドラに葵と晴琉が乗っていたことを思い出していた。

「……ねぇ、見てた?」

 葵は無言のまま。すこし経って葵は繋いでいた手に力を込めてきた。私はそれを返事と受け取った。

 葵は昔から私の家によく入り浸ってたから、突然のお泊りも両親は何でもないように受け入れてくれた。むしろ「葵ちゃん久しぶりね」って嬉しそうだった。私としては今の状態で仲の良い両親に「楽しかった遊園地の報告」なんて出来そうになかったから、葵が居てくれて助かった。「円歌乗り物酔いしたみたいなんで、寝かしつけに来ました」って、私を赤ちゃんだと思っているのかな。
 作業のように淡々と寝る準備をして、ベッドに二人で潜り込んだ。葵の方を見れなくて、眠れそうにない私はただ壁をじっと見つめていた。葵は私を後ろから抱きしめる態勢で、ようやく聞きたかったであろうことを伝えてきた。

「……付き合うの?」
「……なんで」
「違うの?」
「わかんない」
「……告白されたんじゃないの?……ねぇ“あれ”って無理やり――」
「違うっ!」

 確かに突然されたけど。遮るように否定する。無理やりという表現は何故だか避けたかった。最初は志希先輩もムードに呑まれたのかと思った。「何してんですか!?」って跳ね除けようかとも思った。けど私からすこしだけ顔を離した先輩の顔を見て、思わず黙り込んでしまった。いつでも余裕があって、あれだけ色んな子にかわいいとか言って、経験豊富そうな先輩の瞳には全く自信というものが見えなかった。そこに私への気持ちの「本気」を感じてしまって、どう応えていいか分からなくなってしまった。私は葵に気持ちを伝える勇気はない。心から好きな人の幸せを望んでいる純粋な晴琉が応援すると言ってくれた。私はこのまま先輩の事を受け入れたら幸せにしてもらえるのかな、と一瞬だけ思ってしまった。

「ごめん強く言って。でも違うの」
「そっか……こっちこそごめん」
「……志希先輩のこと、どう思う?」
「志希先輩は良い先輩だよ。いつもふざけてるけど、盛り上げてもくれてる。頼りになるし、バスケも上手だし……きっと次のキャプテンは先輩だと思う」
「そっか……晴琉がね。先輩と付き合うなら応援するって言ってくれたの」
「……晴琉が?」
「うん……晴琉、様子どうだった?」
「めちゃくちゃびっくりしてた。でもその後はずっと黙ってて話は聞いてない」
「そっか」
「……晴琉が応援するなら、葵ももちろん応援するよ」

 葵が私を抱きしめる力が強くなった。きっと私を励まそうとしてくれているのだろう。優しい葵の気持ちは嬉しい。でも私は今のところ人生で最も聞きたくない言葉を聞いてしまったばかりだ。

「ありがと」

 声が震えないようにするのが精いっぱいだった。

 週明け。晴琉とはまだ連絡を取っていない。志希先輩も。ただどちらともちゃんと話をしないといけないとは思っていた。何を話していいかはまだまとまっていなかったけれど。何度も迷ってお昼休みの直前に「中庭に来て欲しい」とようやく晴琉に連絡をした。いつの日かのようにベンチに並んで昼食をとる。

「円歌。お待たせ」
「ううん。ごめん急に呼び出して」
「大丈夫」

 思ってたより晴琉は普通にしてた。正直来てくれなくても仕方がないと思ってたから嬉しかった。

「あのさ……何話そうか考えたら何話していいかわかんなくなっちゃった」
「何それ。円歌らしくない」
「そうだよね。ごめん」
「謝んないでよ。何で円歌も元気なくなってるの」
「も?」
「志希先輩めちゃくちゃ落ち込んでたよ。円歌が振ったのかと思った」
「え?振ってないよ。付き合うとも言ってないけど」
「そうなの?じゃあなんでキスしてたの?」
「はっきり言うね!?」

 思わず声が大きくなる。動揺する私を見て「珍しい円歌だ」って晴琉は楽しそうに笑っている。晴琉から見たら自分の好きな人が友達とキスしてたことになる。なのに全く落ち込んでいない。予想外の反応に私はより一層困惑した。

「……晴琉、怒ってないの?」
「なんで?」
「いやなんでって。えぇ?」
「円歌困ってんね。あはは」
「いや、あははじゃない!」
「ごめんごめん。私だけなんかスッキリしちゃってて」
「なんで??」
「あのね、観覧車から二人のこと見ててさ、違うことに気付いたんだよね」
「違う?」
「なんかさ、志希先輩への感情ってさ、憧れでしかなかったんだよね。志希先輩が円歌にキスしてるとこ見てさ、嫉妬すると思ってたのに違ったの。別に志希先輩とそういう関係になりたいんじゃないって気付いた。むしろ大事な円歌を取られたと思って嫉妬してた。お姉ちゃんにケーキのいちご奪われたみたいな」
「えええぇ?ごめんちょっと受け止める時間がほしい」
「どうぞー」
「……私の価値いちごと同じなの?」
「え、そこ?ただの例えだよ。円歌のことが大事ってことだよー」

 私が頭を抱えている間に昼食を食べ終わった晴琉は私に全体重を預けるように寄りかかってきた。

「あとちゃんと志希先輩にも報告したよ。好きだけど憧れでしたー!って」
「それわざわざ報告する必要ある?」
「おーありがと~って喜んでたよ」
「何なのこの人たち……」

 私はまた頭を抱える。この人たちに私の感情がどれだけ振り回されたと思っているのか。ちょっと恨めしく思えた。

「まぁでも、本当に志希先輩のこと好きだったとしても、円歌との事は応援してたと思うよ。だってあんなに落ち込んでるところ見ちゃったし」
「そんなに?」
「今日の朝練なんてシュート外しまくってて、皆に心配されてたよ。結局早く練習上がってた」
「へぇ……あの先輩が」
「そう。あのいつでも自信たっぷりの先輩が、だよ」

 心が揺れ動くのが分かる。だって先輩はなんだかんだ言って素敵な人だと思う。そして晴琉は今は何だか清々しそうにしている。葵も安心するだろう。それなら私は、私の事を思ってくれている人になびいてしまってもいいのだろうか。葵も晴琉も応援してくれる状況なのだから。

「付き合ってあげてとは言えないけど、今の気持ち伝えてあげたらどうかな」
「今の気持ちかぁ」
「観覧車でのこと、嫌だった?」
「……嫌じゃなかったけど、なんかもうよくわかんない」
「じゃあそう伝えたらいいよ」
「それでいいのかな」
「今はそれでいいと思うよ」

 晴琉は寄りかかっていた体を起こすと私にそう告げた。太陽みたいな暖かな笑顔で少し私には熱く感じた。そういえば今は6月も半ばで。そろそろ太陽の日差しが強くなってきていた。

 放課後に昇降口で志希先輩を待ち伏せした。朝練の時からずっと様子がおかしい先輩は今日は部活に出ることを禁止されたと晴琉から聞いていた。ぼーっとして怪我でもされたら困るって。何で私より志希先輩がダメージを負っているのかよく分からなくなっていると、ちょうど先輩が目の前を通り過ぎた。危うく見逃すところだった。それくらい普段と違って先輩は小さく見えた。慌てて追いかける。何故か逃げられるのではないかと思って、背中に思いっきり抱き着いた。

「先輩!ちょっといいですか⁉」
「ぎゃあ!!」

 そんな人をおばけみたいに。今日はケーキのいちご呼ばわりされたり幅が広い。人がほとんどこない校舎裏にびっくりするくらい足が重い志希先輩を何とか引きずるようにして連れて行った。

「あの、話があるんで――」
「ごめんなさい!」
「え、あ、待って」
「ごめんなさい~」

 今にも泣きだしそうなくらい顔をくしゃくしゃにして謝る志希先輩。

「大丈夫ですから。とりあえず謝らないでください」
「うん……」
「先輩。あの、あれ、嫌だったわけではなかったんです。ただどうしていいか分からなくて……」
「そうなの?だってずっと怖い顔して黙ってたから、嫌われたのかと思ってたんだけど」
「嫌いではないですけど……でもなんで私なんですか?」
「なんかいつも寂しそうだなって」
「え」

 葵にも晴琉にもそんなこと言われたことなかった。なんだかんだ楽しい学校生活を送れていると思っていた。

「最初は顔がタイプだなって思ってて、ふざけて抱き着いてたけど、いつも抱き着いても円歌ちゃんがそこにいない気がしてた。いつも心ここにあらずって感じ?……たぶんだけど、円歌ちゃん好きな人と上手くいってないでしょ」

 驚いた。さすがは経験豊富な志希先輩。そういえば晴琉が言っていた。先輩って人をよく見てるんだよって。

「上手くいってないというか、関係は良好だと思います。でも気持ちの方向性が違うというか……」
「関係が壊れちゃうのが怖いとか?」
「何で分かるんですか」
「人生経験が円歌ちゃんよりも長いからね~」
「1年しか変わらないじゃないですか」
「ううん?17分の1と16分の1の差は大きいよ?」
「何かそれっぽいこと言わないでくださいよ。数字は嫌いです」
「あ、今度の期末勉強教えてあげようか?数学得意なんだよね~」

 さっきまでしょぼくれていた先輩の調子が戻ってきていた。「わからない」ということを伝えた方がいいという晴琉の言葉を信じて良かったとこの時までは思っていた。ここから改めて志希先輩が嵐のような人だと思い知らされることになるとは。

「好きな子と進む道が見えないならさ、先輩と違う道も見てみない?」
「何ですかそれ、告白ですか?」
「うん。付き合って」
「それどうせ聞くなら観覧車で聞きたかったです」
「振られたら降りるまで気まずいじゃん」
「順番飛び越えてもっとすごいことしてきたでしょうが」
「すごいことって言い方やだ~やらしー」
「いや先輩はどうせ慣れてるでしょうけど。私は……って何嬉しそうにしてんですか」
「え?何?初めてだったの?マジ?」
「あぁもう、そうですよ!何ですか?ニヤニヤするのやめてください!」

 志希先輩の両頬を引っ張ってやる。「痛い痛い」と言いながら嬉しそうだ。あぁ、余計なことを教えてしまった。

「そっかそっか。じゃあ責任取らないと」
「別にいいですよ」
「遠慮しなくていいから。ね?絶対後悔させない」

 志希先輩は私の腰を掴んで私を体ごと引き寄せた。

「何で急に自信取り戻してんですか」
「だって嫌じゃなかったんでしょ?」
「でも良いとも言ってないです」
「ん~?私の統計上はね、その返事はもう少なからず私に惹かれてるってことなんだよね~」

 よくまぁそんなこと自信たっぷりに言えるものだと思った。志希先輩のことを羨ましく思えてきた。惹かれてるわけではない……はずなのに。

「本当に嫌になったらぶっ飛ばしていいよ」
「えぇ?……本当に後悔させないですか?」
「うん」

 次第に私の顔に近づく志希先輩の顔。自信に満ちあふれた瞳に囚われたみたいに、私先輩のことを拒めなかった。


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