「つらつら物思い」プリクエル


 ――恋は醜いものだと思っていた。

 一つ年上の志希ちゃんと出会ったのは物心がついたころだったような気がする。気付いたら毎日のように一緒に遊んでもらっていた。かわいくて何でもできる子どもだった志希ちゃんは、年齢を重ねるほどに周りからの注目を浴びていった。あの頃は私も仲の良いお姉ちゃんが人気者になっていくのを見て誇らしく思っていた。
 同じ小学校に通っていてずっと仲良しだった。でも志希ちゃんが中学生になりバスケ部に入って勉強に部活に忙しくなると私と遊ぶことが極端に減った。それでも忙しい合間を縫っては連絡をくれて私の為に時間を割いてくれることが嬉しかった。年齢が追い付けないならせめて早く同じ中学に通いたいと思い、小学校を卒業するのが待ち遠しかったことを覚えている。
 徐々に様子がおかしくなったのは私が中学生になってから。身長も伸び、スタイルが際立つようになった志希ちゃんは私が想像していた以上に学校のみんなの憧れの存在になっていた。バスケ部の練習を見に行くと志希ちゃんのファンがたくさんいて、志希ちゃんが活躍するたびに黄色い歓声が上がった。あまりにも熱狂的なその光景はさながらアイドルの活躍を見ているようだった。
 部活が終わっても熱の冷めやまないファンたちとは離れ、遠くからバスケ部の様子を伺っていた私に「あれすごいでしょ」と話しかけてきたのが鏡花ちゃんだった。鏡花ちゃんはバスケ部で志希ちゃんと仲良くなり一緒にいることが多かった。私が志希ちゃんと幼馴染だと知って共通の話題ができたから、すぐに私たちも仲良くなった。
 志希ちゃんが良いと言うものはファンのみんなも良いと言うように、段々と熱狂的なファンたちは周りを見れなくなり秩序を失っていった。誰かが告白すれば抜け駆けをしたと言い争い、デートをしたことがバレれば呼び出されて咎められるようになった。そんな醜い女子たちの嫉妬が渦巻く中でも、志希ちゃんは我関せずと言った感じで自由だった。誰のものにもならず色んな女の子にかわいいと言いデートをし、付き合うこともなくただ己が望むように行動していた。
 私はいつかファンの子たちが暴走して志希ちゃんの身に何かが起きたらどうしようかと不安になっていった。鏡花ちゃんに相談したら「大丈夫。志希は完璧だから」とだけ言われた。その表情がどのファンの子よりも心酔しきった様子だったことに私は恐怖を感じた。どうしてみんな志希ちゃんといるとどこか歪んでしまうのだろう。
 ある日ママから頼まれて志希ちゃんの家に旅行のお土産を持って行った時の事。「志希いるから上がって行ったら?」と志希ちゃんのママに言われて、お言葉に甘えて志希ちゃんの部屋に行ったら部活の疲れもあってか志希ちゃんはベッドで深く寝てしまっていた。寝顔を近くで見てみると小さいころから変わらずきれいな鼻筋や長いまつげやふっくらとした唇に見惚れてしまった。そして塾の帰りに志希ちゃんが学校の女の子とキスをしていたところを目撃したことを思い出してしまった。嫉妬だったのかそれともただの好奇心だったのか、今では分からないけど気付いたら私は寝ている志希ちゃんにキスをしていた。唇が離れてから少し経って、ようやく自分がしたことに気付いて、そして驚くほど自分の心臓が速くなっていることに気付いた。これが私の初恋だったのだと思う。
 私は一気に恐怖感にかられ、そのまま逃げるように志希ちゃんの部屋を出て家まで走って帰った。この胸の高まりは走ったせいだと言い聞かせた。どうしてもこれを恋と認めたくなかった。私はこれから志希ちゃんのことでファンの子たちと同じように嫉妬にかられ、醜い感情でいっぱいになってしまうのだと思うと怖くて仕方がなかった。
 自分の気持ちと向き合うことから逃げ志希ちゃんを避けるようになったのはこの頃だったと思う。鏡花ちゃんとは話すことはあっても志希ちゃんのことしか話してくれないから、志希ちゃんのことは本人に会わなくても把握できていた。志希ちゃんが3年生になると受験に忙しくなり話さないことも当たり前になってしまった。そしてそのまま志希ちゃんは中学を卒業した。
 それから志希ちゃんとは連絡を取ることもなかったけど、志望校だったから同じ高校に進学することになった。一年ぶりに見た志希ちゃんは相変わらず人気者でファンの子たちも相変わらずだった。鏡花ちゃんはバスケを続けていなかったけど、ただ志希ちゃんを見守ることは続けていたようだった。また中学のころと変わらない光景を見ることになると思っていたら変化は突然現れた。それが円歌だった。
 円歌は同じクラスの女の子で愛嬌があって、かわいらしい子だと思っていた。でも入学して1か月ほど経ったくらいから段々とクラスでは孤立するようになった。クラスの子たちに探りを入れて知った事実に驚いた。色んな女の子と同じように距離を保って遊んでばかりいた志希ちゃんが、円歌を熱心に口説いていると言うのだから。
 それから学校で円歌にデレデレしている志希ちゃんを見かけて、あれだけ遊んでいた志希ちゃんもついにちゃんと恋をしているのかと感心して、そしてちょっとだけ嫉妬した。すでにこの頃には志希ちゃんへの恋心は収まったいたけど、それでも昔は一緒にいることが多かったから羨ましさを感じていた。私ですら嫉妬するのだ、ファンの子たちは大変なことになっているだろう。特に鏡花ちゃんは、誰のものにもならない、誰の影響も受けない、ただそこにいるだけで周りを惹きつける“完璧な志希ちゃん”に狂信的だったから心配だった。
 雨の日が増える6月頃。志希ちゃんが円歌と付き合っていると風の噂で聞いた。特に上級生たちの嫉妬は凄まじいものだったけど、それも志希ちゃんが円歌に被害がいかないようにしていると鏡花ちゃんから聞いていた。鏡花ちゃんは志希ちゃんの初めての変化に、この時はまだ戸惑っている様子だった。
 とはいえ志希ちゃんがいくら頑張っても、クラスメイトたちは円歌を警戒し距離を保っていた。でも円歌から悲壮感とか孤独感とか、そういったものを感じることはなくて、むしろ円歌のほうがクラスメイトを気遣って距離を取っているように見えた。
 しかし夏休みを終え新学期に入ると事態はさらに急変した。志希ちゃんが円歌と別れたという話が広まっていたのだ。周りは一気に円歌への関心が失せ、また志希ちゃんはみんなの憧れのアイドルへと戻った。逆に私は円歌への興味が高まっていた。志希ちゃんに近づいて周りへの嫉妬から歪み、醜くなる人たちをたくさん見ていた私にとって、付き合っても変わらないままだった円歌に関心があった。むしろ別れたというのに表情は明るく、更にかわいくなったように見えた。私が円歌に話かけたのはこの頃だった。
 人当たりの良い円歌とはすぐに仲良くなって、よく話し、観察するようになって気付いた。この子は幼馴染の葵ちゃんに恋をしていると。たぶん志希ちゃんと付き合うよりずっと前から好きなのではと勘繰ったけど、志希ちゃんは別れた後も普通に話していたし、志希ちゃんが了承しているなら私がこれ以上探ることではないと思っていた。でも鏡花ちゃんはそうは思わないだろうと不安になった。
 悪い予感は当たって、鏡花ちゃんの様子を探ろうと久しぶりに話しかけると、鏡花ちゃんは円歌のことを良く思っていないのが伝わった。私は鏡花ちゃんが間違いを起こさないように、円歌のそばに居ることに決めた。
 円歌に葵ちゃんを紹介してもらって、すぐにわかったのは葵ちゃんも円歌に恋をしていること。でも付き合ってないとわかって、どうしてかと思ったけど、幼馴染に対する複雑な感情は私自身も経験があったから、とやかく言えるものではなかった。それにお互いに恋をしている二人はきらきらして見えて、初めて恋に対して肯定的な感情を持った。
 二人を見守っていきたいと思った私に影を落としたのは鏡花ちゃんの存在だった。珍しく鏡花ちゃんから呼び出されたと思ったら、鏡花ちゃんの手には見たことがある月のモチーフのキーホルダーがあった。鏡花ちゃんは取り乱していて「気づいたら手に持っていた」と言っていた。それは葵ちゃんがカバンに付けていたキーホルダーで、既視感があったのは同じものの色違いを円歌が付けていたからだった。私は謝ったほうがいいと鏡花ちゃんを諭し、人に見られない方が良いと思って葵ちゃんを校舎裏に手紙を使って呼び出した。鏡花ちゃんにそこで返すんだよ、と言ったけど「だってあっちが先に志希を奪った」と真剣な顔をして言う鏡花ちゃんの様子を見て、信じきれないところがあった。私だけじゃ円歌を見守りきれないと思った。だから手紙を追加して書いて、葵ちゃんに警告した。
 結局鏡花ちゃんはキーホルダーを返せなかった。でも葵ちゃんのカバンには円歌が付けていたキーホルダーが付いていて、むしろ更に仲が深まっているように見えた。鏡花ちゃんを問い詰めて変に追い込むのも危ないかと思い、しばらく様子を見ることにした。
 その後は何事もなく平和な日々が続いて油断していたのだと思う。文化祭で気が緩んでいたのもあって、円歌の所在を見失ってしまった。連絡が取れず、クラスメイトに聞いたら「誰か知らないけど呼ばれたらしいよ」と聞いてまずい予感がした。葵ちゃんに呼びかけて学校中を探した。ついに見つけた時には階段の踊り場で晴琉ちゃんと円歌が倒れていて頭が一瞬真っ白になった。それでも懸命に頭を動かして二人を助けるために動いた。
 晴琉ちゃんは円歌と葵ちゃんの中学からの友達で活発で太陽みたいな子だった。晴琉ちゃんはパニックになって泣き出した私を、自身が怪我をしているというのに気遣って慰めてくれた。「大丈夫だよ」とずっと声をかけてくれた。二人は救急車で病院に運ばれたけど幸い大事には至らなかった。
 円歌が階段から落とされて晴琉ちゃんも巻き込まれて怪我をしたと聞いて、私は真っ先に鏡花ちゃんのことを思い出していた。それでもやはり鏡花ちゃんのことをまだ信じたい気持ちもあった。結局犯人は鏡花ちゃんではなく熱狂的な志希ちゃんのファンだった。でも動機は円歌のことを恨んでいたからで、鏡花ちゃんが起こしてしまうのもあり得る話だと思った。鏡花ちゃん自身もそう思ったのか、志希ちゃんが本気で怒っている姿を見てようやく深く自省したようで、私に葵ちゃんから奪ったキーホルダーを託してくれた。鏡花ちゃんには自分のタイミングで良いから、葵ちゃんに謝りに行くことをもう一度固く誓わせて、私が葵ちゃんにキーホルダーを返しに行った。
 それから葵ちゃんと円歌は上手くいって、ようやく付き合ったと聞いた。二人の間に流れる雰囲気はどんどん甘くなっていき幸せそうに感じた。私もようやく安堵できた。そして嫉妬することはあっても、それ以上に深く想い合ってる二人を見て、次第にちゃんと恋をしてみたいと思っていた。そこで私の頭のなかに思い浮かんだ人の顔は、私にとっても意外な人だった――。

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