「つらつら物思い」第10話

ぽかぽか

「あぁあ!頭おかしくなる!」

 バスケ部の全国大会出場が決まったところに無情に迫り来る期末テスト。晴琉ちゃんはバスケに集中していたようで最近は勉強がおざなりになっていたみたい。学校で助けを求められたから休日である今日、私の家で勉強を教えてあげることになった。両親は出掛けてしまったから部屋に二人きり。ローテーブルに教科書を広げて、向かい合って座る。今はとにかくテスト範囲の内容を詰め込むように教え込んだから、晴琉ちゃんの頭の許容量を越したところ。

「ちょっと休憩しようか」
「あ~疲れた」

 晴琉ちゃんは大きく腕を伸ばすと、脱力したようにノートを広げていた机に突っ伏した。そのまま寝てしまわないといいけれど。

「寧音は夏休み行きたいところある?」
「んー……ないかも」
「ないの!?」

 晴琉ちゃんは態勢は変わらず目線だけで訴えかけてくる。夏は暑くて嫌。私はアウトドア派でもない。静かで涼しい図書館とか美術館とかは行くけど一人でも大丈夫。晴琉ちゃんと行くなら……考えると海とか山とかが想像できて、でも横に並んではしゃぐ自分は想像できなかった。それにレジャーとかは円歌たちも誘ったほうが楽しそう。今更になって晴琉ちゃんと二人でどこへ行けばいいのか考えると選択肢の狭さを思い知らされる。趣味が合うわけではない。性格だって全然違う。でも一緒にいたい。どうしたら一緒にいられる?

「晴琉ちゃんは行きたいところないの?」

 晴琉ちゃんの目線が下がる。ノートに顔をうずめてうなっている。きっと晴琉ちゃんも思いついていない。

「ないのにデートしたいの?」
「したいよ」

 晴琉ちゃんは私の質問に即答すると、再び目線を上げてこちらを見た。動きが忙しくて面白い。でも今度は真剣な目で私を見てちゃんと「デートしたい」と答えてくれた。

「どうして?」
「寧音のこともっと知りたい」 
「……どうして?」
「それはデートの時に言うから」
「そう……」

 ねぇ晴琉ちゃん。嬉しそうに言うけれど、それってもう私のこと……でもどうして。昨日から晴琉ちゃんが変だ。やけに私に積極的というか。嬉しいけれど……期待していいのだろうか。デートの場所も決まらないような関係なのに。
 早くはっきりさせて欲しいのに、デートまで焦らす晴琉ちゃんにモヤモヤが募る。今のこの状況で「私のことどう思ってるの?」と問いただしたら、また顔を曇らせてしまうのだろうか。
 それから私は余計なことばかり思い出して、その上簡単に口走る。

「朱里(じゅり)ちゃんのことはいいの?」
「朱里のこと知ってるの⁉」

 晴琉ちゃんは体を起こすと驚いて目を見開いている。朱里ちゃんは晴琉ちゃんのことを慕っている後輩の子の名前。ほんの数日前バスケ部の練習を見ていた時に鏡花ちゃんから偶然聞いた。「朱里が今度デートするって浮かれてて困る」って。相手を聞かなくても察しがついた。それも今確信に変わった。

「デートするんでしょう?」
「え⁉違うよ!ただ部活で使うやつ買いに行くだけで」

 あぁ、まただ。また晴琉ちゃんだけがデートだと思っていないのだろう。きっと朱里ちゃんは一緒に買い物するだけとは思っていないはずなのに。

「そう。でも……」

 部活の休憩中に見た笑い合っている二人の姿は自然だった。

「でも、晴琉ちゃんとすごくお似合いだと思う」

 少しの沈黙の後、晴琉ちゃんは立ち上がり乾いた声で「ちょっといい?」と言うと私に立ち上がるよう促した。私が立ち上がろうとすると腕を取られ、あっという間にベッドに押し倒された。目の前にはもう私には見慣れた曇り顔。少し怒ったような、拗ねたような感情が混ざっている顔。

「なんでそんなこと言うの」
「……そう思ったから」
「寧音の考えてること、全然分かんない……どうしたらいい?」
「晴琉ちゃんがしたいようにしたらいいと思う」
「したいように……」
 
 晴琉ちゃんの手が私の頬を撫で、そのまま優しく添えられた。もう一方の手は私の片腕を捕まえている。晴琉ちゃんの曇った顔が徐々に近づいてきて重なりそうになった時、私は空いている腕で晴琉ちゃんの胸を軽く押して抵抗した。

「したいようにしていいんじゃなかった?」
「いいよ。でもこれは……晴琉ちゃんはきっと後悔すると思う」
「……寧音は私のこと分かるんだね」

 晴琉ちゃんは「ごめん」と呟くと体を起こした。そして私のすぐ横に置いてあったぬいぐるみをじっと見つめていた。晴琉ちゃんにとってもらったハリネズミのぬいぐるみ。私も体を起こしてベッドの上で晴琉ちゃんと向き合う。

「そうだ……ハリネズミ……」

 晴琉ちゃんは独り言をつぶやいた。私にはその真意が分からなかったけれど、晴琉ちゃんの曇っていた表情は途端に晴れ晴れと明るくなっていく。一人だけ何かすっきりした表情をしていて私は置いていかれたような気持ちになる。ハリネズミが何だと言うのだろう。

「晴琉ちゃん?」
「そうだった。寧音、最初から言ってたね。ハリネズミだって」
「何の話?」
「恋の話。喫茶店でハリネズミの話してくれたじゃん。すっかり忘れてた」
「あぁ、そういえば。でもそれがどうしたの?」
「私との距離、測ろうとしてくれてたんだよね?」

 晴琉ちゃんは優しい表情で私の手を取った。

「ずっと分からなかったんだ。寧音は近づいてくれたと思ったら離れるようなことするから、なんでだろうって。私は単純だからさ、距離感とか考えられなくて、近づけるなら出来るだけ近くに居られればいいって思っちゃうから、ずっと不思議で……不安になって。でも寧音はきっとちゃんと私のこと考えてくれてたんだよね……ごめん。分かってあげられなくて」
「違う……晴琉ちゃんが謝ることじゃない……私がただ、上手く距離感を測れなくて、困らせてただけで…………それこそハリネズミみたいに、近づくと傷つけてる」
「そんなことない」
「でも私と言ると晴琉ちゃん困った顔ばかりしてる」
「ちょっと驚いただけだって。だって……その、意外だったから。寧音が私のこと好きだってことが。でも今は寧音のこと少しでも分かったと思う。だから――」

「もう大丈夫だよ」

 晴琉ちゃんは私を優しく抱きしめてくれた。私は恋がしたいと思った時、思い浮かんだ顔が晴琉ちゃんだった理由を思い出していた。思い出させたくなくて、晴琉ちゃんには言えない理由。それは晴琉ちゃんと円歌が階段から落とされた文化祭での事件の時。怪我をしたのは晴琉ちゃんなのに、未然に防げなかったことで泣いていた私を気遣って何度も優しく声をかけてくれたから。

『大丈夫だよ。寧音。大丈夫――』

「――寧音?」

 抱きしめられたままで、何の反応もない私に晴琉ちゃんの心配そうな声が聞こえて我に返った。

「……本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ寧音。寧音は分かってるかもしれないけど私鈍いからさ」
「うん」
「即答するじゃん。まぁその、だから寧音のトゲ、刺さっても痛くないから。もっと近くにいてよ」
「……いいの?」
「うん。てかもう離れさせないけど」

 より一層強い力で抱きしめられる。「ほら痛くない」って言うけれど。別に私自身にトゲが生えている訳じゃないのにね。晴琉ちゃんなりの優しさに心が温かくなる。そうか、これが円歌が言っていた――。

「……お布団みたい」
「え?何それ。何で寧音笑ってんの?」
「何でもない」

 私が笑っていたら晴琉ちゃんも「何だよ~」って呆れたように、でも笑ってくれて。そして耳元でずっと聞きたかった言葉がささやかれた。

「好きだよ」

 すぅっと大好きな声が耳を通り抜けていって、頭が言葉の意味を理解するまで少し時間がかかった。束の間の沈黙の後、晴琉ちゃんが突然私から離れて頭を抱えだした。

「あぁああああ!」
「え?何?どうしたの⁉」
「デートの時言おうと思ってたのに!つい!」

 私には今のシチュエーションでも十分に心に響いていたのに。本人的には想定外だったようだ。一気に良い雰囲気が壊れたけれど、晴琉ちゃんらしいと思って微笑ましく感じた。

「私は嬉しかったよ?」
「いやでもなんかさぁ!夏だし?もっとなんか花火の下でとか、夕焼けの綺麗な海とかあるじゃん!」
「それなら花火も海も連れて行ってよ。それでどっちでも言って。ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
「じゃあ約束してくれる?」

 「いいよ」と呟いた晴琉ちゃんと小指を絡めて約束を交わす。

「ねぇ晴琉ちゃん、さっきは余韻が台無しだったと思うの」
「あ……ごめんなさい」
「だからもう一回聞きたい。お願い」

 晴琉ちゃんはもう一度私を抱きしめた。耳元に息がかかってくすぐったい。

「顔見て言って欲しいな」
「……それはデートでするから。今は許して」

 また焦らしてくると不満に思った気持ちは、すぐにささやかれた言葉によって一瞬で吹き飛ばされた。

「――ありがとう晴琉ちゃん。私も好きだよ」
「うん」
「ねぇ晴琉ちゃん」
「何?」
「今ならさっきしようとしてたこと、してもいいよ?」
「え!あ、いやさっきも別にそんなつもりじゃなくて!寧音の言うことに反抗したかっただけで!その……あの、仕切り直させてください」

 顔を真っ赤にしている晴琉ちゃん。かわいい姿をもっと見たいけれど、そろそろ私も現実を見ないといけない。

「わかった。じゃあテスト勉強の続きしよう?」
「あ!……忘れてたのに……余韻が台無しだよ……」

 うなだれる晴琉ちゃんを慰めて、私たちは勉強を再開した。

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