「くらくら両想い」第4話

ぞわぞわ 1

 段々と過ごしやすい気温に移り変わる10月。志希先輩と二人、閉じ込められた日から幸いにも何事もなく平穏な日々を過ごしていた。結局あの手紙が誰からの物なのか、私のキーホルダーはどこにいってしまったのか、何も分からないのが不気味だったけど。
 今日は学校行事で1年生は芸術鑑賞会の日だった。市民ホールに演劇を見に行くのだけど、私には鑑賞するのと隣に座る晴琉が寝ないように世話をする仕事があった。
 クラスごとに固まっているからクラスが違う円歌は遠くの席にいる。隣に座る寧音ちゃんの姿が見えて楽しそうに談笑する二人を見て少しだけ妬いてしまう。

「芸術より食欲の秋がいいなぁ」

 幕間で晴琉があくびをしながらつぶやいていた。晴琉も悪気はない。ただ日々の部活の練習で疲れているだけなのだ。
 市民ホールは伝統のある建物でギャラリーも併設されていたから、眠気覚ましを兼ねて場内を晴琉と散策をした。

「あ、葵、晴琉」
「円歌……と寧音ちゃん」

 ギャラリーの絵を眺めていると円と寧音ちゃんと遭遇した。そのまま四人で話をする。一応寝ずに見ていたはずなのに演劇のストーリーを理解してなかったことが発覚した晴琉に円歌が一から説明を始めたところで、寧音ちゃんから話しかけられた。寧音ちゃんの話し方は落ち着いていて、佇まいも優雅というか、品があるというか。

「ねぇ、葵ちゃんは甘いの平気?」
「え、あんまり……」
「そう。円歌とヌン活しようって話になって。どうかなって思ったんだけれど」

 私は甘いものがあまり得意ではない。円歌は一人でもアフタヌーンティーとか平気で行ってしまうタイプだし、お互い気にしてなかった。

「ごめん、私は遠慮しておくね」
「じゃあまた今度ね。次は葵ちゃんとも遊びたいな」
「あ、うん。いいよ」

「ねぇ、そろそろ戻ろう?」

 ふんわりとした約束を寧音ちゃんとしていると、円歌に声を掛けられ席へと戻った。
 演劇の終幕後、現地解散だったから家の近い円歌と一緒に帰ることにした。市民ホールのエントランスで円歌を待っていると、再び寧音ちゃんに話しかけられる。

「葵ちゃん」
「どうしたの?」
「葵ちゃんの連絡先、聞いてないと思って。円歌に聞いてもいい?」
「いいよ」
「じゃあそうするね……それ、綺麗だね」
「ん?……あぁ」

 “それ”とは私のカバンに付いているキーホルダーだった。月のモチーフでステンドグラスのように透けるキーホルダー。私が失くした円歌とおそろいのもの。私が失くした後、円歌が自分の分を「私だと思って持っといて」と私のカバンに付けてくれたのだ。

「前と色違うね」
「え?」

 そう、おそろいのキーホルダーは色違いで買っていた。だから前は水色で、今はピンク色。

「そうだけど……よく気付いたね」
「うん。よく見てるから」
「え?」

 私のこと?それともよく色んな人を見てるってこと?戸惑う私をよそに変わらず上品な笑みを浮かべている寧音ちゃん。私はあまり感情表現が豊かではないから、表情から感情を読みにくい方だと思っていたけど。寧音ちゃんはもっと、何と言うか、壁がないように見えて、でも何も入り込ませないような、独特な空気をまとっていると思った。

「葵!ごめんお手洗い混んでた」
「大丈夫だよ」
「私も駅まで一緒に帰っていい?」
「うん、寧音も帰ろう」

 円歌が来たから、寧音ちゃんの「よく見てる」の真意は分からないまま、
三人で途中まで帰った。もうすぐ始まる中間テストのこととか、来月の文化祭のこととか普通の会話だけで、寧音ちゃんのことを私はまだよくわからないままだった。
 寧音ちゃんとも別れて、円歌と二人で帰る。

「ねぇ円歌、寧音ちゃんってさ……どんな子?」
「ん?……んーなんか聡明なお嬢様って感じかな?茶道とかピアノも習ってたんだって。字も綺麗だし。絵も上手なんだよ」
「へぇ……」
「どうしたの急に」
「今度遊ぼうって言われたから、何となく」
「そうなんだ」

 探るようなことを聞いてしまって少し罪悪感があるけど、何か寧音ちゃんには引っかかるものがあった。

「そういえば中間テストね、一緒に勉強しようって話になってて」
「そっか」
「図書室にいるから、葵もおいでよ」
「わかった」

 まぁ円歌も友達が出来て嬉しそうだし、変に気にし過ぎるのもよくない。私はまだ寧音ちゃんのことを全然知らないのだから。テスト前に部活は休みになるし、その時に一緒に勉強して、それから知っていけばいい。

 中間テストも近づき、ようやく部活も休みになったある日。前に円歌が言っていた通り、図書室で円歌と寧音ちゃんが勉強をしていると聞いたから行ってみた。
 図書室で二人を探す。姿は見当たらなかったけど、円歌のカバンを見かけて誰もいない机に近づく。机の上には開きっぱなしのノートと教科書が置かれている。ペンケースも、手前に置いてあるノートの字も円歌のものだ。隣の席にも荷物が置いてあるから寧音ちゃんのものだと思う。二人とも荷物を置いてどこに行ってしまったのだろう。
 そのうち戻ってくると思って向かいの席に荷物を置いた時、ふと寧音ちゃんのものらしきノートの中身が見えた。整然とした文字列を見て、背筋に冷たいものが走る。

〈大事なもの 返して欲しかったら倉庫にきて〉
〈先に奪ったのはキミだから〉

 気味が悪いから捨てようとしたけど、証拠だからと志希先輩が引き取ってくれた“あの手紙”。先輩に渡す前に何度も見ていたから覚えている。きっちりとした、丁寧な文字。寧音ちゃんの字とあまりにも似ている。
 でも仮にあれが寧音ちゃんが書いたものだとしたら、いつも通りの字で書くのだろうか。利き手じゃないほうで書くとか、わざと崩すとか、しないのだろうか。それに、そもそもどうして私のキーホルダーを奪ったのか。“先に奪った”の意味も分からない。
 モヤモヤとしたものがぐるぐると心のなかを巡る。気分が悪くなってきた。

「どうしたの葵ちゃん。顔色悪いよ?」

 寧音ちゃんが目の前にいた。いつも通りの上品な笑みを浮かべている。心臓が嫌な音を立てた。

「……寧音ちゃんてさ、字、綺麗だね」

 探るような私の言葉と、私の視線が寧音ちゃんのノートにあったことに寧音ちゃんが気付く。そして何でもないような感じで、落ち着いたまま言葉を返してきた。

「あぁ……もしかして気付いたの?」
「何言って……」

 寧音ちゃんの表情は変わらない。

「あれは警告だよ」
「……警告?」
「そう。でもあれから結構時間が経ったよね。大丈夫かな?」
「何が」
「葵ちゃんの“大事なもの”」

 警告?私に何が迫っていると言うのだろう。それならどうして、こんなに手の込んだ事を……それより大事なものって。まさか。寧音ちゃんの肩を思わず掴む。

「円歌は!」
「声大きいよ葵ちゃん。ここ図書室だよ?」
「……円歌はどこ」

 周りで静かにしていた人たちがこちらを見ている。声を抑えてもう一度問いただす。でも湧き上がる怒りを抑えることが出来ない。思わず手に力が入ってしまう。

「痛いよ。葵ちゃん」
「円歌はどこって言ってるの」

「ここにいるけど。どうしたの葵」
「え?」

 円歌は私の目の前にいた。状況が分からず驚きを隠せない私の顔を見て、寧音ちゃんは楽しそうに微笑んでいた。

「なにその顔」
「え?いや、何でもない……ごめん寧音ちゃん」

 私は寧音ちゃんの肩から手を離した。

「大丈夫だよ。さ、勉強しよ?」
「え、あ、うん……」

 その後は何もなかったかのように静かに勉強をした。寧音ちゃんにたくさん聞きたいことはあったけど、この場で聞く訳にもいかず、モヤモヤとしながら教科書とノートを広げるけど全く集中できない。
 あの手紙を書いた理由。キーホルダーを奪った理由。警告とは何なのか。大事なものが円歌のことなら。円歌に何かするつもりなら、黙っているわけにもいかない。円歌にせっかく出来た友達なのに、どうしてこんなことに……。
 それにしても〈先に奪ったのはキミだから〉というのはどういう意味なのだろう。円歌のことなら奪うも何も、まだ私は付き合ってもないし。他に私と寧音ちゃんで共通しているような知り合いとかいたかな……。

「葵ちゃん、全然進んでないよ?大丈夫?」

 小声で私を気遣うような言葉を平然とかけてくる寧音ちゃんを恨めしく思った。

「葵、何かあった?」

 帰り道。円歌と二人きり。手を繋いで帰る。さすがに私と寧音ちゃんの様子がおかしいと思っていたのか、心配そうにしている円歌。気遣うように手に力を込められる。何だか申し訳なくなってしまう。

「……えっと」

 手紙のことは何も伝えてないし、それに寧音ちゃんが関わってることを含めて、円歌に教えるのは気が引けた。

「私には言えない?」
「……今は、ごめん」
「いつか教えてくれる?」
「うん」
「わかった……でも無理はしないでね」

 私はただ頷き、繋がれた手をしっかりと握り返すことしかできなかった。

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