「つらつら物思い」第5話

ざぁざぁ 2

 風邪が治った数日後。6月はまだ梅雨で明けてはいない。私は放課後に体育館へバスケ部の練習を見に行った。円歌は結局試合は見に行くようになったけれど普段の練習を見に行くことはなかった。葵ちゃんと付き合うようになったからと言って相手に執着しすぎない円歌のことも、それを許していて見に来るように強引に誘わない葵ちゃんとの関係性も私は好きだった。
 
「寧音。最近よく来るね」
「あ、鏡花ちゃん。まぁテストも終わったからね」

 まだ部活は始まっていないくて、鏡花ちゃんに話しかけられた。志希ちゃんへの異常な敬愛が和らいだ鏡花ちゃんは私には憑き物が取れたように清々しく見えた。

「寧音は志希とどうなの?」
「どう……なのかな。ちょっとずつ良くなってはいるんじゃないかな」
「そう、良かった」
「鏡花ちゃんは?」
「大丈夫だよ……寧音が心配するようなことはもうないから。葵ちゃんともね。志希も3年だし、絶対全国まで行かせるから」
「うん。鏡花ちゃんえらい」

 鏡花ちゃんを褒めていたら、不意に鏡花ちゃんに抱きしめられた。

「寧音。今まで見捨てないで見守ってくれてありがとう」
「どうしたの急に」
「なんか急に伝えたくなった」

 耳元で囁きながら笑う鏡花ちゃんの息が耳にかかってくすぐったい。

「なぁああに部活前にいちゃついてんだぁ⁉」

 志希ちゃんが間に割り込んで来て静かな時間が壊される。

「別に寧音は志希のものではないからね」
「そうだけど!ずるい!混ぜなさい!」
 
 私と鏡花ちゃんをまとめて抱きしめようとしてくる志希ちゃんの腕を避けた。鏡花ちゃんも同じように避けて「じゃあね寧音」と言って去って行った。志希ちゃんは不満そう。でも私の方を向くとすぐに笑顔に戻った。

「ねぇ見て見て!今日も付けてるよ!」

 私があげたイヤーカフを自慢げに見せてくる志希ちゃん。練習中ははずさないといけないから面倒くさいはずなのに、律義に毎日つけているようだ。そしてしれっと私との距離を詰めてくる。

「言われなくても見えてるから。あと近づいてこなくて大丈夫だから」
「……なんか寧音さぁ、最近色気出て来たよね」

 体育館の端、壁に追い詰められて、顔の横に腕を付かれた。いわゆる壁ドンのような形になる。

「何してるの」
「ねぇ……もしかして好きな人でもできた?」
「……内緒」
「へぇ~。寧音がねぇ……良かったねぇ」

 内緒って言ったのに。志希ちゃんは勝手に答えを導き出して嬉しそうに私の頭を撫でている。

「部活前に何してんですか」

 そこには呆れた顔をした葵ちゃんがいた。「ほら部活始まりますよ」と言葉を続ける葵ちゃんの横には――。

「晴琉ちゃん……」

 呟いた私の声が聞こえなかったのかは分からない。無表情の晴琉ちゃんは目を合わせてくれなくて。志希ちゃんとの関係性で誤解を与えた気がした。ちゃんと話がしたいけれど、志希ちゃんの腕を取って練習へ連れ出す葵ちゃんの後ろをついて行ってしまったから、追いかけることも出来なくて。私はただそこにとどまって、練習を眺めることしかできなかった。
 晴琉ちゃんと話がしたくて部活が終わるのを待った。練習中にずっと晴琉ちゃんのことを見ていたからか、晴琉ちゃんも私が待っていることを感じたらしい。部活が終わると真っすぐこっちに向かってきた。でも向かう途中で後輩の女の子に阻まれた。今年入った後輩の子の一人に晴琉ちゃんをすごく慕っている女の子がいることは知っていた。きっと私が恋敵であることを察知している年下の後輩ちゃんはこちらにアピールするかのように、晴琉ちゃんの腕にぴったりとくっついて甘えるように話しかけていた。晴琉ちゃんも満更ではなさそうで。色仕掛けは効かないって言ってたくせに。
 見てられなくてその場を離れた。体育館の外へ出ると雨が降っていた。帰り道、傘を差して考えを巡らす。そもそも私たちは付き合っているわけではない。私が勝手に恋がしたいという気持ちを伝えているだけだ。晴琉ちゃんが他の女の子と仲良くするのは晴琉ちゃんの勝手だ。私が口出しすることではない。それに志希ちゃんとは何でもないって伝えているのだから、志希ちゃんとの関係性をどう解釈するのかも晴琉ちゃんの勝手。誤解を解こうとすることすら、おこがましいような気がしてきていた。雨音は次第に大きくなっていた。

「寧音!」

 雨音の中を突き抜ける力強い声に思わず振り返る。そこには走ってきたからか、傘も差さずにいる晴琉ちゃんが立っていた。既に全身がずぶ濡れで、もう意味はないかもしれないけれど、私は傘の中に晴琉ちゃんを招き入れた。カバンからタオルを取り出して渡そうとしたら、晴琉ちゃんはタオルを持っている私の手を掴んだ。雨に濡れてすっかり冷えてしまった手。

「何してるの……風邪引くよ」
「寧音が先に帰るからじゃん。何か話そうと思ってたんじゃないの?」
「そうだよ……でももう大丈夫だから」
「私が大丈夫じゃない」
「ねぇ、晴琉ちゃん。風邪引くから。まずは帰ろう?話はまた今度。ね?」
「……わかった」

 理解してくれたと思ったのに、晴琉ちゃんの雨で濡れて冷たくなった手に入る力は弱まらない。むしろ強くなって、湿度があるからか掴んでいる私の手との隙間がなくなるくらいぴったりと重なっている。私の手の中にあるタオルは晴琉ちゃんの前髪から滴る水滴で濡れていく。

「晴琉ちゃん?」
「……うん」

 呼びかけた晴琉ちゃんの顔にいつもの笑顔はなくて。でもようやく動いてくれた晴琉ちゃんの歩幅に合わせてお互い無言のまま一緒に帰った。私は彼女の顔から太陽のような笑顔を奪っては曇らせてしまっている気がしていた。


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