過去にも未来にも、ひと握りの優しさを持ちたい。
今年に入ってから、やたらと物思いに耽ることが増えた。
公私共に大きく何かが変わることもなく日々淡々と生きているせいか、これまでの道のりをぼんやりと辿ってみたり。
そうかと思えば数十年先の未来を思い浮かべて苦々しい顔をしてみたり。
大人になるってそういうことなのかな。
会社の昼休憩はかんたんな昼食を済ませて、近くの川のベンチにぼんやり佇むことが増えた。
川のせせらぎを眺めながら午後の紅茶無糖ミルクティーをちびちびと飲む。
これが私の4月のルーティン。
余計なことを考えてしまうのは、春のせいだ。
冬が終わったというのに朝起きれないのも春のせい。
思い返せば私の人生はいいことばかりでもなく、そうかと思えば悪いことばかりでもなかった。
体感としては半分半分といったところ。
ただ周りの人と環境にはとても恵まれていたと思う。
自分の人生に何度も悩んでびっくりするくらい失敗しながらも、たくさんのチャレンジできたのは運がよかったから。
もちろんこのnoteだってそう。
読んでいる人がいると思うから頑張れるし、スキやコメントを通じて画面の先の出会いがあるから続けようと思える。
…書いてみて考え直した。
いいことのほうが多いじゃないの( ˇωˇ )
某頭痛薬の半分は優しさでできているらしい。
一方私の優しさの2/3以上は、余裕でできている。
誰かに手を差し伸べたいときも、自分を労わりたいと思うときも心の中にゆとりがないとうまくいかない。
ちなみに私がしんどいな〜、と感じるときは大体低気圧。
頭痛ーるから気圧の緊急通知がくると大体頭が痛くなったり体の節々が痛くなる。
今日はつらいかも。
そう感じたら、自分の過去も未来も一旦目を瞑る。
何もしないでベッドの中でごろごろして、おいしいものをたくさん食べて。
無意識のうちに抱えこんでいる期待や不安の荷物を下ろすと今の私に出会える気がするんだ。
朝日が見えたら背伸びをして支度をする。
またいつもの歩幅で日々を紡いでいけばいい。
過去にこんなことがあったとか、これから先をどんな風に描いていこうとか。
自分で考えて自分の足で歩んでいくときに忘れちゃいけないのが、優しさ。
上手くいかなかった過去だってひっくり返せばチャレンジをした結果。
未来への期待だって本心で描いたものならきっと何かしらの形ができていく。
過去の私も未来の私もどちらも等しく自分だから、せめてひと握り分の愛を忘れないように。
ね。
ほがらか
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