つくばマラソン2017 回想記① 「沿道の応援は最強のドラッグ」

普段やっているランニングと、今回のような大会の一番の違いはやはり沿道の応援だと思う。大会に参加する一番の醍醐味は、そのような応援の中で自分自身のストーリーを勝手に作り上げて酔いしれることができる、という部分ではなかろうか。

さすがに大きな大会なだけあって、沿道で応援してくれる人たちの数も半端じゃなかった。小さな子どもからお地蔵様のように佇むじいさまやばあさままで、あらゆる年代の声をライヴで体感しながら走る。こんな素晴らしいことってなかなかないと思う。

「がんばって!」という声が届く。そしてそれに反応し「ありがとう」と笑顔で手を振ってみる。そうすると応援してくれたその人にも笑顔が伝播し、さらなる声援を笑顔で返してくれる。笑顔のやりとりが不思議なエネルギーへと転化され、僕の体を奮い立たせて走る原動力となる。

その不思議なエネルギーは、僕の勝手な分析だとおよそ30mくらいの間持続する。その30mは実力以上の走りができる。30mをすぎるとエネルギーは途絶えてしまうのだが、再度声援に笑顔で応じることにより再び同じ効果が期待できる。

走りながら僕は考えた。この原理を途絶えることなく利用し続けることによって、半永久的に実力以上の力強い走りが実現できるのではないか、と。どんなドリンクやジェル、補給食にも勝る、最強のドラッグじゃないか。

特に小さな子どもとのやりとりは効果が大きく、体感するエネルギーもその持続時間も大きかった。

僕はとても楽しく走れていた。声援に笑顔で答えながら、「こんなに楽しく気持ちよく走れるなんて」と浮かれまくっていた。ゴールまでそういうハイな状態が続くんじゃないかと本気で思っていた。

実際のタイムを見ても、10km、15kmまでは5kmを29分台で走っており、僕にしてはまずまずの内容だと思う(はじめの5kmは34分かかっているが、これはスタートしてしばらく、お団子状態の混雑だったからだ)。

ところが、15〜20kmは32分、20〜25kmは33分と、だんだんペースは落ちていった。簡単に言えばスタミナ切れということだろう。僕は疲れてきてしまっていた。疲労が蓄積するにつれ、だんだんと沿道の応援への反応も鈍くなり、笑顔で返すことも腕を大きく振り返すことも少なくなった。

もしそれでも最初と同じように反応し続けていたらさらなるパワーチャージが可能だったのかもしれないが、実際にはそうする余裕がなくなってしまっていた。

後半、もうバテバテの状態で心も体もしんどい時に、何度か声援に反応してみた。するとやはり最強のドラッグは効果を発揮した。確かに効いた。しかし、それを超える疲労と痛みが強すぎて、効果はより一時的だった。

総括すると、声援とそれに対する自分の反応は未知なるエネルギーを生み出すが、やはりベースとしての実力が備わっていなければ、実力以上の結果を声援頼みに得ることはできない、ということだ。

とはいえ、沿道の応援は結果云々に関わらず本当に嬉しい、最高のプレゼントだと思う。自分としてはよい状態で臨めなかった今回のマラソンを、それでも完走させてくれたのは間違いなく沿道の人々の声援のおかげだと思う。

こんなちっぽけな市民ランナーに力強い応援をくれた沿道の方々、本当にありがとう。あなたのおかげで僕は走りきることができた。その声が僕の心の栄養となり、今の僕の一部として、僕という人間を成り立たせている。誰かの声が誰かの心に響き、未知なる栄養としてその人を成長させる。僕はそれを嬉しく、そして素敵だと思う。

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