私は魔法が使えない②~自己紹介・仕事の話②~

前回書いた仕事の話の続きを書こうと思う。
自分にとっての地獄から掬い上げてもらって、私は二ヶ所目の施設で介護を一から教えてもらった。
入社して始めの半年間は本当に何も出来なかったので、その施設で介助を紙に書き出してくれて練習もさせてくれて、介助以外の様々な仕事も一から教えてもらった。自分でも実家に帰ったときに家族に練習代になってもらったり、自分でイメトレ・実際にやってみたり試行錯誤して、なんとか一通り仕事ができるようになった。

全く仕事が出来なかった私にとって、他の職員さんは「魔法使い」みたいに見えた。瞬間移動のように動いて、介助も利用者さん対応も難しいことなのに上手く魔法のように出来てしまう。
私は魔法が使えないので、出来る為の工夫をした。できない介助は聞いて何度も練習をして仕事内容もメモして読み返して、なんとか出来るようになった。
 
その施設の人達は私を見捨てなかったし、皆家族みたいに温かく接してくれた。
要領の悪い私に根気よく教えてくれて、
落ち込んでいたら励ましてくれて、休日に会う人もできた。
いつもたくさん笑って過ごすことが出来ていた。その施設で働き続けたいと思っていたが、実家から悪い知らせが来る。

実家の祖母に大きな病気が見つかった。私の家は父子家庭で、祖母が母親代わりだった。当時働いていた場所から実家までは電車で一時間半~二時間くらい。そこまで遠い距離ではないが離れて暮らしていると、何かあったとき間に合わない。
上手くいき始めた仕事・手に入れた居場所を失うことになる。でも祖母と最期まで一緒にいたい。悩んだ末地元に帰ることにした。

地元に戻り始めは自宅で祖母を看る為に仕事に就いていなかった。しかし、幸い当初の想像より長く一年近くも、割りと元気な状態で(病気だから元気ではないが)この世に居てくれた。
この時の話や家族の話は今後少しずつ書いていけたらと思う。
地元に戻って2ヶ月程経ち、私は特別養護老人ホームで働くことになる。
そこでは以前の職場より遥かに多い仕事量、残業、ストレス、仕事でも家でも「死」を感じる状況に苦労することになる。そこで今後に繋がる色んなことを経験・習得したり、支えてくれる仲間がいたり、悪いことばかりではなかったが、必死にもがいた日々だった。
働きながら、家では祖母と過ごし、
最期の瞬間は祖母と居ることができた。

家族が二人になってしばらくしてから、私はまた転職と引っ越しを決めることになる。その話は次回に。

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