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《終活》鳥葬に憧れた少女。

(※まず、献体とは医学の解剖実習に役立てる為に、自分の死後の身体を提供することです。)



就活しながら終活中の30代。

というより、万が一の入院時の手はずを整えておけば、体調の悪化が防げるだろう。
→体調の悪化を防がなければ、就活どころではない。

(短期間利用にするつもりだが)就労支援施設を2ヶ所見学させてもらう日取りが決まったけれど、少し先だしね。




一番に入院時のことを考えての終活だ。

死後のことは、二番目の重要度だ。

しかし、私に介助が必要なほど不安や過呼吸、硬直、肉離れ、歩けない、座れないになったりしたら、入院させると医者は言う。

そして、入院時には身元引受人が必要だから、『親に連絡する。僕が頭下げてあげる』なんて言う。
仕方ないとわかっているが、何故『毒親から夜逃げしなきゃならなかったのに『頭を下げなきゃならん』のだ!💢』腑に落ちん。
納得できぬわ。

実際には身元引受人不在を理由に病院側が入院を拒むと『法に触れる』ことになっているから、『私は自立支援制度を受けており、お金は市が負担するシステムになっています。最低限のケアだけでお願いします』とお金はそう説明するしかない。
あとは万一私が死亡したときの死体と遺品の引き取りがクリアにならなくてはならない。



話が逸れた。



私は生育環境から、『死』を身近に感じていた。

中学の社会科担当の先生がある時、世界の色々な埋葬(弔い方)を話してくれたことがある。
そのなかに、『鳥葬』があった。
亡くなった人の身体をナタのようなもので細かく刻んで、コンドルなどの肉食の鳥に食べさせるというものだった。
南米で行われていた弔いらしい。

私はこれに憧れた。

もちろん現地人にとっては鳥に食べられて、鳥に空を飛んでもらうことは、神様である太陽に近づくことだから、宗教的な意味合いが強い。

私はただ単に、自分の死体が、ただの肉が、誰かの糧になるということに憧れたのだ。

当時13歳。

そんな死後の肉体のリサイクルへの憧れを今も私は持ち続けている。


私は死んだら何かの糧になりたい。
私の肉は何かの肥料になればいい。
鳥の餌でも、魚の餌でも。

そして、内蔵も眼球もみんなあげるよ。

なんなら、献体をして医療の練習につかってくれないだろうか?

私は自分の身体を何かの糧にしたかった。
中学生の頃から。

しかし、献体の条件は私には厳しく、まだリサーチして穴がないか調べなくっちゃね。

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