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見渡せば『逆境系』。

感謝から出た盛大な愚痴。

最後はめちゃくちゃ愚痴。

恐怖からくる愚痴かな。


私の周りには割と『逆境系支援員さん』がいるように感じている。
勝手に命名したけれど、自分自身が大変な思いをされたから『支援する側』になった人を『逆境系支援員さん』と呼ぶことにした。


今、した。


トラウマ自体は誰にでもあり、それが乗り越えられるサイズ感かどうかに『差』が出てくる。
乗り越えられる環境かどうかでも『差』が出る。
もちろんサイズが大きくても皆で励まし合って乗り越える人もいる。
小ぶりなトラウマがひっきりなしに行列作ってやってくるから処理しきれずに抱え続ける人もいる。
乗り越えるタイミングもそれぞれだし、『トラウマ』になっている事自体に気付かないこともある。

トラウマについて勉強して、さらに考える。


どう言ったらいいのか、
適切な表現ができている自信がないのだが、
逆境系支援員さんの中には、『シンクロニシティ』が起こってるのかなと感じるときがある。
私に起こっているのではなく、支援員さんのなかで。
過去の自分を見ているような苛立ち…かな。


私自身、自分の家庭がイカれているとわかっていて『家を出たいが出られない状態』にあったせいか、
『家族マジ鬱陶しい』
と言いながら独立に向けて行動しない人に『イラッ』とくることがある。

別に『夜逃げしろ』とは言わないけれど、できる範囲で策くらいは練ろうよ、と思ってしまう。



逆境系支援員さんのなかには露骨に『アンタは恵まてる方よ!』と口にしてくる人も過去にはいた。

だから、私に対して言葉を選んでくださる支援員さんには感謝しかない。

正直に言えば、福祉施設にもカラーがあるから『身寄りのない人が多い施設』もあれば『家族からしっかりサポートを受けている利用者さんがほとんどの施設』もある。

自分は『両親はおそらく存命だが身寄りがない』というビミョーな立ち位置のため、生まれたときから親がいない人と比べられたら『申し訳なくなる』し、家族からサポートを受けている人たちにまじれば『え?、家族ってそこまで面倒みてくれるものなの?』となる。


世の中には色々な人がいるんだから、比べたって仕方ない。

それでも、わかっていても苦しくなるときがある。




逆境系支援員さんのなかには、私の『本当は施設内で仲良し家族の話を聞かされるのしんどい…』『当たり前のように世話を焼かれる姿を見てるとイライラする』というカミングアウトに対して、『思うのは自由だから、思っていいんですよ』と言ってくださる方もいて、ホッとする。

確かに、思っているだけで『顔には出さないから』ね。




今現在、長時間座っていることが難しい。

一応、施設側に許可をとって背面の痙攣が起こる手前で服薬し、眠ってから作業再開という形を取って今まで仕事をしてきた。

正直に言えば、施設に入ったとき私は自分自身が『毒親育ちの虐待サバイバーである』という認識しかなくて、こんなに『PTSDが根深い』とは思っていなかった。
あまりに自分が抱えてきたものが大きいと知り、自分で受け止めきれていない。
慢性疼痛の原因が慢性PTSDだった…。
嫌だぞ、この『慢性』は。
PTSDの自覚はあったが、根深さを見誤っていた。
大きさも。
数も。

実は今回、私の『トラウマの玉手箱』を開けてしまったのは私が通っている施設側だったのだ。

いきなり母や祖母に似た雰囲気のエライ人が作業時に乗り込んできて『問い詰められ』そのまま私は記憶がなくなった。
まるで殴られたようだった。
翌日、状況が飲み込めた。
自分は解離を起こしたと気付き、かなり悩んだ。

それを境にフラッシュバックの幅が広がった。
記憶の欠落も酷くなった。
日記を書きたくても『何も』出てこない。

いままで開かなかった記憶のフタが弾け飛んだんだ。


亀裂から、吹き出す。


それこそ10年くらい前に先生に言われていた
『…忘れていられたら、ずっと忘れていていいんだよ
思い出したら危険だから忘れてるんだ

…思い出せないなら、…無理に思い出さなくていい

思い出せないことを責めちゃいけない』


無理にじゃないよ…
止まらないよ…
止まってくれないの…

フタがしまらないの。


母や祖母だけじゃない、
みんな出てくるの…

記憶が。



こんなに沢山…




どうやってもフタができなかった。



最初は施設を恨んだ。


❝せっかく忘れていたのに…❞


❝生きるために忘れていただろうに!!❞


❝15年前に身を護るため、必死でフタをした私自身に顔向けできない!!❞


❝少なくとも一言謝れ!!❞


それから支援員さんに相談もした。

施設側とも話をした。



支援員さんとの話の中で
『…〇〇さん、
いまでよかったんですよ
きっと。

もっと責任のある仕事に就いていたら、
〇〇さん
このダメージでは済まなかった…』


……。
そうだ。

確かに。

シフトとかノルマとか、
そんなのいまは無縁の施設だもんね。

少なくともシフト勤務だと『代打』を頼まなきゃいけなくて、泣いてられないもんね。

『確かに!』

仮に潰れても自分がクビを切られて終わりだもんね。



もう、これは私が自分の抱えてきたPTSDがかなり根深くてヤバいやつだと気づくタイミングだったんだ。



ここでスッと納得出来たのは支援員さんの人柄だったと思う。

まぁ、本当にシフト勤務のところにいたら、このレベルでは済まないし。




気を取り直して施設に出勤したが…

ダメだ…お腹下してるぞ。

更に、頑張って出勤してみるも一時間座ってられない……

筋弛緩剤も追加で自分に投薬していくが意識が保てないのでは車も出せない。

これ以上は飲ませられない…くそ…

いかん、回るピークを過ぎたらズラかるぞ…


徐々に意識が回復してくる。
(=ピクピクも戻ってくる)


よし、退散!!




最初は自分を責めた。

痛みが酷くて座ってられないから出勤しないのは甘えだと思った。

だけど、痙攣起こしながら薬で寝てる私を見た他の利用者さんだって気味悪く感じるだろうし。




『〇〇日に支援者さん交えて面談するので来てください』


実はホッとした。

潰れたらクビ切りになるのだろうけど、いま本格的に暴露療法を始めるところで『引き金』が引けないんだ。

ごめんなさい。

逃げてるって思うかな…


…ごめん。


もう、言葉が出てこないときもある。
(クリニック電話しなきゃってときにさ)



明日、カウンセリングで。

もう足がピクピクしてる。

前夜でも、
前夜でも、こんなに怖いんだ。



いま、私の戦場は私の中にある。


わざわざ負傷しに出向けない。


もちろん職場が、施設が『安全である』と自分にわからせるために…行けたらいいとわかっている。

絶好の訓練場所だから。



ただ、それは暴露療法が進んでからになると思うんだ。

治療が本格的にスタートする前に予習してるけどね、なんとなく『進んでから』としか言えないよ。


本当は続けたいよ。

施設で座って作業していたら
今までのシフトの仕事よりお給料多かったから。


通帳見て『はぁ?!💢』
って思った…


すごく悔しかった。




私はいまは出勤できていない。
長距離運転も避けている。

だけど、家の中で職場と同じ作業をしている。



暴露療法のテキスト読んで、泣いて、作業して、薬飲んで、寝て、作業して、泣きながら作業して、薬飲んで、寝て、作業して…








ただ、逃げてるわけじゃないんだ。



次が
あっても、
無くっても。




不思議と『もう死ぬしかなくなるかもな』とは思わない。
今回は不思議と思わない。


まずは自分の身体を大切にしたい。


心底。

生まれてはじめてだよ。








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