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病名云々ではなく、私には『安全基地』がない。

病名云々ではなく、私には『安全基地』がない。


先のnoteで『病名』にフォーカスしてしまいました。
しかも、かなり怒って…(冷汗)。


もう、病名にこだわらずに私は『愛着障害』であると実感しているのだから。
だから、私は自分自身をゆっくり育て直したいと思っているんです。

それはショックでしたよ?
『あなたは人格障害です』
その診断が降りたときは。
いまはパーソナリティ障害と呼びますが、診察を断る精神科医も珍しくないんです。
まぁ、私も当時『親から虐待を受けて育ち、認知が歪んだ状態』『育てられ方が悪く思考回路がねじ曲がった少女』とされていたので、待合室から放り出されたことがあります。
理由は『ボーダー(パーソナリティ障害)の目つきをしている。お前の来るところではない』。男性看護師二人ににひっつかまれてお外にポイッとされました。
仕方なかったんですけどね。
一応『ここは心療内科だ、精神科じゃない!
お前は精神科の人間だ!』と説明はされた。
私は藁にもすがる思いで、怯えながら待合室に座っていただけでした。
怯えた目つきがだめだったのかなぁ…

その病院にはあのあと一度も行きませんでした。


それでも運良くいまの主治医と巡り逢い、いまに至ります。

いまの主治医と出逢うまで7年かかりました。

私は運良く(?)生き残って、いまは仕事はちょっと無くなっちゃったんだけど、賃貸マンションに暮らせています。
価格的にはアパートがよかったけれど、親が押し掛けてきたときに安全なのは『オートロック付き物件』だと思い、マンションに。


いま、次の仕事を模索しています。
この静かなマンションの一室で、私は自分自身の「苦手なこと」「ムリなこと」「前職で潰れた原因」「対策はなかったのか」を冷静にピックアップしています。
出来れば、自分自身が「苦手とするものの原因」「ムリなものの原因」をハッキリ掴んで次に繋げたい。
もしかしたら、会社や組織に属するのは向いていないと思い至るかもしれない。
それならそれで構わないんです。

私は自分を温かく見守って、自分を信じて、自分の手を引いて歩いていくと決めています。
私には両親との『心のご縁』はありませんでした。


私には心の『安全基地』はありませんでした。
いまは、とりあえず物理的な『安全基地』(マンションの一室)があります。
ここを拠点に私は私を大切に育てていきます。

虐待されたら終わり。
自分が大嫌い。

そうなりますよ。
誰だって。

私は運が良かったし、ガッツと行動力は負けないので、見守ってくれる主治医を見つけられたし、治療(正確には訓練)も続けてこられました。
様々な福祉を利用しながら、ときには一般の方にも手助けしてもらって、いまがあります。


私は自分の病名よりも、『安全基地がないこと』『愛着障害であること』にフォーカスしていきます。

幼い頃の私はどんなにいたぶられても私のために泣いてくれる大人がいなかったことが一番辛かった…
誰も『まぁ、なんてひどいことされたの!』と庇ってはくれなかった。



私は自分自身を大切な「娘」として育てていきます。

…大丈夫、私の周りにはガチの専門家がたくさんいるんだもの。
いざとなればお知恵を拝借させてもらって。

もう『安全基地』は自分で作っていくんです。


おにぎりやお煎餅を美味しいと思える。
まだいける。
諦めんぞ。


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