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《自分の変化》紅葉と桜。

私がnoteを始めたのが2021年9月。

その年は翌月に虐待されていた家から逃げ出し、一応私の人生の分岐点のひとつになった年。
その年の紅葉は長く12月はじめに撮ったものが残っている。

コロナ真っ只中。
人が集まることは自粛と前年は叫ばれていたのに、この年は「外ならいいんじゃないの?」みたいな風潮も出てきて日中に紅葉の名所へ集まる人たちもいた。

そんな中、
「紅葉は紅葉なのにね…
コロナだから密を避けろと紅葉狩りが敬遠されて、いやいや外ならいいだろうと人が集まりチヤホヤされ…
紅葉は紅葉だよね…」
紅葉の下にいた私は男装していた。
実家からの追手をなるべく避けるため、移動は主に夜。
姿は男性にカモフラージュ。

紅葉は紅葉なのに…
私は私でいられない…

そんなことをこのnoteにも綴っていた。

夜に高速を走り、紅葉を見ていた。
男性になりすまして。



今日見た桜。
私の姿は革ジャン女に戻っていた。
女性のファッション(時代錯誤の発言で申し訳ありません)をしてロングヘアーの私が桜を見上げていた。
少年に見えるウィッグも被っていない。

車がなくなったから歩きだし、危ういことこの上ないが、日の出ているうちに自分の姿で外歩きをするようになったか…

強うなった。

その時々の自然に触れる。

自分に戻る。

…戻れなかった私が私の姿になった。


曇り空で、どこまでが桜の花びらで、どこからが空なのか区別はつかないが。
自分が強くなったのは解った。


夏や秋もこの桜の坂道は来る。
麦わら帽子を被って。
毛虫が落ちてくるから…

お気に入りの麦わら帽子が変色し型崩れしたので、蒸しタオルで汚れを取り、樹脂製ワイヤーを取り付けて修理した。
まだまだ被れる。


自分の姿に戻るのに数年かかった。

まだ恐怖はある。

だが、確実に強くなってきている。

理由はただひとつ。

家を逃げ出したことに正当性があると確信を持てているからだ。



樹の下に佇む男装の私と女装の私。

男装の私にかけてやれる言葉は
「大丈夫、アナタは強い」。


女装の私はどこまでも薄暗い空と桜の境界線がまだ見えずにいた。



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