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オヤを子育てしていた〜自分のご機嫌取り〜

去年は観葉植物(大きいのでもはや観葉樹)の植え替えが遅れました。

金銭面で土がなかなか買えなかったからです。


◎守るべきものを守ってやれないときって「ごめんね」だよね!?

「ごめんねぇ…
栄養の良い土が欲しいよね
ごめんね…」

そんなことを弱った姿の樹に謝っていました。

色々な物の出費を削って、ちょっと植え替えの時期には遅かったのですが、ホームセンターで土をゲットしてきて植え替えてやれたときは、
「待たせて悪かったねぇ…
これでもう大丈夫だよ
辛かったねぇ
こんなに遅くなってごめんね…」

植え替えたのに謝っていました。


そうだよね…
自分がお世話してやらなきゃならないものに、ちゃんとお世話ができないときって「ごめんね…」だよね。


私が子供の頃からひたすら私に当たり散らしていた両親がいかに情けないか感じました。

自分の思い通りにならないから、
自分の気に障るから、
自分がしたことで娘が怯えている様子を見るのが不快だから…

それで罵声を発していた彼等は、自分たちが「保護者」である自覚もなかったのだと思います。

「お前が生きているせいで私達は不幸だ」
「病人なんか要らなかった。
わかっていたら産ませなかった」
「子供を選べないのは不幸だ」
「俺達は被害者だぞ」

それを10代の娘に二人してよくも恥ずかしくもなく言えていたものだと思います。


黄色くなってしまった観葉樹の葉をどこまで取り除こうか考えながら、
「何だかんだ植え替えできてよかったよ。
また芽吹いてくれるよね」
と、自分のお世話が必要なものを観察しています。

文章を練りながら。

◎久々の「海辺でご機嫌取り」

最近の雨であまり海には近寄りませんでした。
海面が上がるので、場合によっては危ないからです。

今日は花粉対策をして、浜で波の音を聴いていました。

自分にとって波打ち際の音を聴くことはリラクゼーションであり、んまぁ「ご機嫌取り」なんですね。

久しぶりに浜まで降りられたので、満足です。

大アサリ。バーベキュー用より大物。

大きな貝柱がついていたであろう…中身が入っていれば食べでのある大アサリさん。

ちょっと種類の違いそうな大物も。

私は手が男性並みに大きいのであまり伝わらないのですが、スーパーにある大アサリの1.5倍ほどあります。

しかも深さがあるので、身が入っていたら食べでがあったでしょう。

結局、大きな貝殻は「身が入っていたら…」と思ってしまいます(笑)。

花粉よけのつば広帽にマスクして、まだ目はギリギリセーフのため本日は花粉よけサングラス無しでした。
日焼け止めクリームも花粉バリア機能のついたものを使っています。

◎帰り際にふと思ったこと

「うん、もういっかな」
自分のご機嫌取りをし終わり、ふと思いました。

自分のご機嫌取りができないコドモの面倒を実家で見てきたのかもなぁ…

私は「えー、独身なの!?」と言われることも多くて、自分が子育てしていないことに全く後ろめたさがないわけではありません。

❝私はオヤという名のコドモの世話をしてきたのかもしれない❞

そう感じたら、もう十分私は親の役割を果たしてきたように思いました。
食事の世話に洗濯、掃除に片付け、アイロン掛けに庭の水やり、愚痴聞き、なだめる、近所迷惑行為をとめる、具合が悪そうなら病院へ行かせる……
…逆はなかったのですが(⁠・ω・;)

子育ては終わったかな。


今からは自分を育てるつもりで、100%自分の親に保護者になれるなぁ。

浜辺で立ち上がり、対岸を眺めながら、
❝大変だったなぁ…❞

でも、今はいいや。
コドモのお世話しなくていいし。

晴々として帰路につくのでした。




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