《個展にて》記憶が重なる。
昨日、某写真家さんの個展へ行ってきた。
電車を乗り継ぎ、よその県まで。
とはいえ、「行ける範囲内」だから某写真家さんとボカす言い方にお許しをいただきたい。
この方のスタイルは、
被写体の方の生い立ちを聞き…
撮影者の生い立ちも話し…
作品を作る。
というもの。
以前、ネット上でこの方の作品を拝見したとき、私は被写体の方と自分自身がスッと重なってしまう不思議な感覚があった。
見事、昨日それが起こった。
私の中の感情が呼び起こされる。
刺さる。
痛みを感じる。
少し物悲しい雰囲気の人物の写真に心が悲鳴を上げる。
写真家さんの生い立ちと無関係ではないだろう。
「馬鹿だアホだと刷り込まれて」いたらしい。
見る人によって作品の意味は変わるのだろう。
個展が行われていた場所のスタッフさんと作品に対しての感想などお話をしたのだけど、こう言われました。
「感動できるって良いことですよ?
感動できない人もいるし、また感動しても出せない人もいる
感動して素直に出せるのは❝宝❞ですよ」
私は美術展などに行くときは必ず予備のマスクを持って行く。
作品を見て泣くこともあるため、マスクが水没するからだ。
…そっか、宝なのか。
…私の強すぎる感受性は宝なのか。
…そっかそっか。
本当にこの個展のためだけに遠出した。
行ってよかった。
ネット上で作品を拝見したとき、生で見てみたいと思ったんだよね。
これからもこの写真家さんを応援したいと思います。
この方の作品をこれからも見てみたいから。
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