見出し画像

軽井沢で7歳の私に会った話ー潜在意識さんにこんにちは

※5000文字越えの長文になってしまった。。

本当は最近読んだ本のレビューを書こうと思っていて、下書きにも入れているんだけど、ついつい、少しでも「読んでよかったor楽しかった」と思ってもらえるような物を書こうとし、自分で自分のハードルを高くしてしまっていて筆が進まない。情けない。どんどん to DO が増えていく。。
と、気づいたのでここはいっそ、自分が思っていることを何の脈絡もなく書いてみようと思う。
そうだ、ロールレタリングだ。ジャーナリングだ。
未来の自分へのラブレターだ。
ということで、先日1人で軽井沢に行った話をずるずると書く。


一部の方々にはお伝えしたが、今転職を考えている。

昨年の10月から参加した自己革新プログラムで自分のパーパスの掘り起こしができて、何が好きでこの人生で何を大切にしたいか?が見えてきた。

「私の現在位置はここだったのか!そしたら進みたい方角はこっちだ!」

パーパスが見つかるということは人生のコンパスを手にしたようなものだと思う。
だけど、その手にしたばかりのコンパスの磁石の針は、まだまだブレブレで、行きたい方角はなんとなく指してくれているのだけど、なかなかピタッとは止まってくれない。
コンパスを手にした後、社内で業務に向かうとその振れ幅がどんどん広がっていってしまう感覚に気づいた。私はそのブレブレな針を真剣に見過ぎてしまったのか?乗り物酔いにも似た気持ち悪さがどんどん酷くなっていった。

今の会社に入社したのは約1年前。
新卒で入社した会社の同僚の紹介で、業界未経験で採用してもらえた。
せっかくもらえたチャンス!絶対にこの恩は仕事の貢献で返すぞ!
と物凄く意気込んで入社した。

けれど、私の「意気込み」は彼らの求める「意気込み」ではなかった。
そもそも「意気込み」なんて求められていなくて、彼らの期待には私は応えられなかった。

この話はまだ湿っぽくてまだまだ笑い飛ばせるところまで乾燥できてないのでまたいつかの機会に書くことにして。

とにかく乗り物酔いを解決させるためにも、新鮮な空気を吸ってみようと思って月曜を休んで知人に会いに軽井沢に行った。高速バスでw (本物の乗り物では全然酔わなかったw)

片道2100円。夜明け前に出発。

開店と同時に星野温泉トンボの湯に入り、地元マダムとのサウナ争奪戦にもなんとか参戦資格をゲットして「ととの」った。露天風呂で、岩と岩の間にそれぞれ頭と足を置いてハンモック状態で湯に浸かりながら、冷たく吹きすさぶ風とその風に揺られ枝をしならせる冬の木々の美しさ、その背景のどこまでも透き通る空の青さをずっと見ていた。
そして実感した「なんて冬は綺麗なんだろう」と。

頭ではわかっている。経験でもわかっている。
冬があるから春が来る。だからこそ日本人は花見が好きだし、辛い時期があるから次の喜びが格別に感じる、って。
でもやっぱり寒いものは寒いし、辛いものは辛い。
だって人間だもの。

それでも冬の美しさは圧巻だった。
この強さ、逞しさ、しなやかさ。

流石にお風呂の中では撮れなかったがバス停でパチリ📷

頭から湯気が常時立ち上るまでお湯に浸かって、ほくほくになって温泉を出たら一本のメールが入っていた。

私に軽井沢の知人を紹介してくれた人からだった。

今、車で軽井沢に向かっているから、12:30に現地集合で3人でランチしましょう!子どもの保育園のお迎えの17時には東京に帰らなきゃいけないから2時間くらいの滞在時間だけどw

この差出人、住んでるの東京。2人の子持ち。決めたのは当日の朝とのこと。。とんでもない行動力。。。

実はこの人は現職の元上司。
私がとても辛かった時期に唯一親身になって話を聞いてくれた人。
今回の私のコンパスの針ブレブレ状態もそれに伴う体調不良の話をうんうんと聞いてくれ
「だったら軽井沢の私の友人に直接会いにいくと良いよ!彼女のヒーリングセッションはとにかくすごいから!」
とアドバイスをくれた。

で、私は月曜に仕事を休んで軽井沢に向かうことにした、というわけ。

「飛ばしちゃったw」と予定時刻よりも早く到着した元上司と合流し、紹介してもらった知人の方と一緒にランチして、その流れで「ご利益ある龍がいるお寺に行こう!」という話になり(フットワークカルカル団)、由緒ある新楽寺へ。

この大杉がマジでヤバい。多分すごいの住んでた。

ここがマジでヤバかった。
浅間山の噴火を鎮めるために建立されたお寺で聖徳太子、源頼朝、松尾芭蕉なども参詣したそうな。
静けさの中に感じる荘厳さと清らかさ。この場所で1000年以上前を生きた人たちはどんな想いでこの場に立っていたのだろうか?そして何を見て、どう感じていたのだろうか?と考えていたら、なんだか後頭部のあたりがスコーンと開けたような感覚があった。

池に本当に龍がいた🐉

軽井沢に合計3時間滞在して、元上司は笑顔で嵐のように帰っていったw
子どものお迎えのために。。

ここから先はちょっとスピリチュアルなお話。

以前のエントリでも書いたが、私は占いや四柱推命などの類が好きだ。
というか、今までも何度か人生で行き詰まりを感じた時にタイミングよく誰かが紹介してくれてリーディングやヒーリングセッションを受けてきた。
その人はスピリチュアル稼業が本業じゃなくて整体師さんや鍼灸師さんで、たまたま身体の不調を見てもらおうと思ったら「視える」人たちだった、という感じ。

不思議なことに、日本国内だけじゃなく海外駐在先のオーストラリアでもブラジルでも、「もうあかん!」のタイミングでこのような方々のご縁が繋がり、何度も生きながらえてきた。(ほんとに、何度も)

そして今回、である。

今回セッションをお願いした方も、最初の出会いは「アロマ」だった。
私は五感を喜ばせることが魂を喜ばせることだと信じているので香りの力も頼りにしている。気が滅入ってしまう時、気分転換したい時、はお気に入りの香りを嗅ぐし香水や街の匂いで過去が呼び起こされる体験も何度もしている。

元上司に紹介してもらい、東京のpop-up storeで彼女の作るアロマスプレーを購入してから大ファンになってしまっていたので、今回直接会えることに実は興奮とちょっと緊張を感じていた。

さて、どこから始めましょうか?
さっきちょっと話してた「自分の評価軸」の話、もう一回聞かせてもらえる?

そんな感じの質問からセッションは始まったと思う。

ロッキングチェアに背中を預けて、目を閉じて…
質問に答えていると、どんどん映像が視えてくる。

まず視えてきたのは7歳の私。
6歳まで、起きている時間のほとんどを隣市の母方の祖母宅で過ごした私は、実家近くの小学校に入学した時には転校生扱いだった。
みんなが同じ保育園・幼稚園出身の子達で、すでに出来上がっている人間関係の中に飛び込むのはなかなか勇気がいった。

当時、田舎の町では転校生は珍しく、かつ私は肥満児だったので男の子達から容姿を揶揄われ、嘲笑われる対象にあっという間になってしまった。
でも陰口や悪口はどうしても許せなかった。陰口や悪口からイジメにだけは発展させたくないと思って女の子達の中では絶対に明るい私でいよう!友達の輪に入れてもらえる努力をしよう!笑われたって明るく楽しい子になろう!と心に誓った。

面白いことを言ったり、笑顔で話しかけると友達になれるのかな?仲間に入れてもらうには共通の話題を考えなきゃ!みんなに喜んでもらえることってどんなことができるかな?

7歳の私は一生懸命考えて自分の居場所を必死で作ろうとしていた。
家に帰っても待っていてくれる人はいない。両親は共働きだし、弟たちは保育園。実家には父方の祖父はいたけど認知症が進んでしまっていたのでまともな会話はできない。

学校であったことを話したいな。通っていた保育園の友達に会いたいな。いつも誰かがいたおばあちゃん家に戻りたいな。本当はとっても寂しいな…

でも

私が頑張らなきゃ。友達もたくさん作らなきゃ!良いお姉ちゃんでいなきゃ。お父さんやお母さん達が誇れる娘でいなきゃ… 

気づいたら何重もの「私は〜しない(〜でない)と価値がない」でぐるぐる巻きになっていた。

潜在意識の中でぎゅっと目をつぶって何重もの「何もしなかったら私は価値がない」の衣に包まれていた7歳の私に「もう大丈夫だよ」と声をかけたら、大好きな叔母の映像が浮かんできた。7歳までの私の記憶に一番色濃く残っている叔母。パーパスを探究した時にも幼少期の思い出でよく登場していた叔母。当時の私は、実の母親以上にこの叔母の愛情に支えられていた。映像に出てきた笑顔の叔母に改めて御礼を伝えて光のイメージで映像を包んだ。

「本当はどんなことがしたかったの?」と7歳の私に聞くと

「見たことのない世界を見てみたい。外国の言葉が知りたい。たくさん素敵なお話を知りたい。読みたい。自分でも作りたい、書きたい。」

と返ってきた。

そっか、そうだったな。と懐かしみながら暖かい気持ちになってたのだけど、そうしたら次にまた次々と違った映像が視えてきて…

ここから先は本気のホラーやオカルトだったので割愛します。
まじで鳥肌だった。興味ある人は今度喋るので言ってください。
心霊現象とかも実は潜在意識と繋がってるものなのかな。

セッションが終わったのが1時間半後。
間にお茶も飲んだし、普通に会話もした。
でもこんなにはっきりと映像で今までのことや、予想だにしなかった関係者が出てきたことに心底驚いた。
まさに奇跡体験アンビリーバボーだった。

この方のセッションは定型がなく、人によって感じ方や反応も異なるようなのだけど、今回はどうやら私はヒプノセラピー(催眠療法)を体験したらしい。
今まで経験してきた占いやリーディングセッションは施術者からの情報を聞く受身型だったけど、このセッションは「自分で潜在意識を書き換える」完全参加型だった。
こんなにはっきり視えるなんて本当にびっくりした(しつこい)。

よく、仕事やプライベートで「疲れた」って言うと
「休んで〜!」「自分の心の声を聞いて〜!」って言葉をかけてもらう。
私も周りの人に対して、おんなじようなアドバイスをしてきた。
でもその「休み方」や「自分の心の声の聞き方」を忘れてしまっている人って、結構いるんじゃないかな?少なくとも私はMINTのプログラムや対話を通じて微かに聞こえるようになっていた自分の心の声も、潜在意識の中の7歳の私やその他に視えたもので一生懸命耳を塞いで聞こえないようにしていたのだとわかった。NVC(非暴力コミュニケーション)の講義の時、自分のパラダイムが見つかった時に講師が言っていた

人が変わろうとするのを戻そうとする力=揺り戻し

の正体は、潜在意識に潜む今回私が視えたもの達なのではないか、と思った。それこそ、自分で自分に「呪い」をかけているのだ。そうしてなんとか頑張って今までやり過ごしてきたから。

頑張ることが当たり前でいつも頑張って踏ん張っている人、なかなか自分にOKを出してあげられない人は、もしかしたら潜在意識の中の誰かが「変わらないでー!」と必死に叫んでいるのかもしれない。
私は今回はっきりしっかりと、その叫んでいる存在の姿が見えた。
状況を変えられてしまうとその誰かちゃんの存在も必要なくなってしまうので消えてしまうのがきっと寂しいんだ。
でも「もう大丈夫だよ」って言ってもらえるのを誰かちゃんも実はずっと待っているのかもしれない。
少なくとも潜在意識の中の7歳の私はセッションが終わる頃には笑顔で手を振ってくれた。

セッションが終わって一週間以上経っているのだけど、明らかに感覚が変わっている。特に自分でもビックリしたのが、とても苦手だった人にハッキリと自分の意見が伝えられるようになった。ずっと「嫌われたくない」「評価を落とされたくない」の気持ちが先行して、特にネガティブなことを伝えるのが苦手だった。でも今回言えた。ちゃんと理由を伝えれば自分の気持ちは正直に伝えても良いんだ、という成功体験が積めた。

今ではこの経験を積ませてくれた苦手な相手(某同僚)にも感謝の気持ちすら感じている。
(それでもやっぱり苦手なものは苦手だけどw)

「潜在意識」と繋がることって、コツを教えてもらえば誰でもできるのかもしれない。自分と繋がる感覚を持つことの大切さを実感する。

人との対話も大好きだけども、自分との対話の時間も大事にしていきたい。

そうそう、軽井沢に行ってから、ブレブレだったコンパスの針はだいぶ穏やかな揺れになってきている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?