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いつから週5勤務が当たり前になったのか。

働き方改革ってどれくらい進んだのか。
最近ではもう聞かなくなっている気がする。

コロナ禍でリモートで働くスタイルが、ある程度定着したような気がするけれどリモートはリモートで良くないことが多い。コミュニケーション、関係性、育成、スピード、怠慢、etc。それとリモートになることによって勤務時間外でも普通に働ける環境ができてしまって、それはつまり『生活の中に仕事がいつでも侵攻できる環境が整った』とも解釈できる。ぼくはそう感じた。

まあそもそもリモート云々よりも前に、世の中、残業がない仕事の方がおそらく珍しい。どんな仕事もブラックだ、やめておけという話をよく聞く。建築はやめておけ。医者はやめておけ。飲食店はやめておけ。どんな業種もそれぞれ特有の不満や不安がある。でも何もせずそれらをそのまま抱えて同じように明日も働き続けるのはどうしてだろう。養う人がいるからか、現状で問題ないからか、責任か、しがらみか、サンクコストか、それとも社会のためか。サラリーマンの生活は仕事に占領されている。基本、仕事の言いなりで逆らうことは許されない。

『いやいや、これくらい働いて当たり前でしょ。仕事舐めんな。』と見えない空想の誰かが、でも確かにいる誰かがそう言ってきそうで考えるのが怖くなる。ごもっともだし、そんな功労者に若造がその当たり前の土俵で仕事について語っても、初めから枠外にいるのでその当たり前のルールでは負けが確定している。


『静かな退職 週休4日&月15万 〜』こんなサムネの動画をみて、魅力的だなと正直思った。まさにこれだ!と思った。これくらいの働き方がいいと本気で思った。

人生を7つに分けた5つが仕事で残り2はご自由にしてください、というのが今だ。

『5つを仕事、2つを自由、5×T万円の給料』
『4つを仕事、3つを自由、4×T万円の給料』
『3つを仕事、4つを自由、3×T万円の給料』

生活ができるなら、なるべく下の方でいい。

そもそもいつから土曜と日曜が休日になったんだろう。そう設定したからか、5日間が働くことが疑いようのない普通になっている。
いや?もしかしたら産業革命以前は毎日毎日働くのが普通だったのかもしれない。働くことと生活が一体で、生きるように働いている姿が目に浮かぶ。でもなぜか、彼らの苦労や不安を無視できないが、現代の働き方よりそっちの方が幸せだったのではないかと考えてしまう。なんなんだろう。多分、どれくらいの頻度で働くかより、どんな仕事をするか、どう働き生きるかの方が重要なんだと思う。

今の自分から見える世界は、資本主義社会すぎるせいか、仕事をしてお金が稼いで、休みの日には美味しい料理を食べて、デートをして、旅行に行って、遊んで、好きなものを買って、楽しみや便利を買う、そういう生活が幸せであると断定されているみたいで、それはそれで楽しそうなんだけど、どうもその生活を想像しても満たされないと思う自分がいる。仕事をすればするほど地位や名誉は大きくなるし、尊敬される人物にもなる。社会にも大いに貢献する。それなのに、どうしてだろう。

週3勤務。いいなそれ。でも怠惰と呼ばれそうだ。もらえるお金も貧相なものだろう。でもそれで十分だと思ってしまう、惹かれてしまう自分がいる。

ぼくはぼくのしたいことがしたい。
このわがままを叶えるために働きたい。

したいことは1つじゃない。全部ができるとは思ってないけれど、したいことを腐らせたくない。その時々にしたいことができる自分でありたい。それは将来の話でもあり、明日の話でもある。どのルートが正解かは分からない。僕が選ぶ道は最低限生活できるお金で、自分が思う生活と仕事を構築するための時間が欲しい。そのための週3勤務。したいことができるようになれば週7でも働ける。毎日練習をするスポーツ選手、絵を描き続ける漫画家、演奏し続ける音楽家、そんな没頭するような仕事のある生活を築きたい。わかった気がする、働くことが生きがいだと思うような仕事を追い求めている。それが見当たらないから作りたいんだ。



P.S. 妄想

遠洋漁業や沖合漁業のような超長期労働をしてまとめて休みをとるというのもいいかもしれない。

1週間働いて1週間休むなんてのはどうだろう。

平日5時から働いて正午には終わるなんてのはどうだろう。逆でもいい。陽の出ている時間を1対1で分配できるのが魅力的だ。

まるまる1日働いて次の日は休むなんてのはどうだろう。どうせ残業するくらいなら初めから就業時間にして今日中に終わらせるぞという気持ちで働けるかも。ないか。

きっとまだ見ぬ働き方がたくさんあるはずだ。

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