ほぼのび太、はる太

怠惰な自分を変えるためのエッセイとか。

ほぼのび太、はる太

怠惰な自分を変えるためのエッセイとか。

最近の記事

1つの本を薬のように定期的に摂取する

読んだ本の内容を思い返してみると、大したことを覚えていない。本の内容を誰かにちゃんと説明できる自信はない。ただ、見返すと「あーそうそう!」とはなる。これはちょうど、英単語を見ると日本語での意味を思い出すに、日本語から英語にしようとすると思い出せないあの現象に似ている。 薬を一回だけとっても、その成分の効果は数日のみであるように、本もまた数日で記憶がなくなる。持続して薬の効果(本の知識)を保つためには、一回限りではなく定期的に摂取する必要がある。 エビングハウスの忘却曲線を

    • アメをすぐ噛んでしまうタイプ

      風邪を引いてしまって、 喉が痛くて、 のど飴を久しぶりに食べた。 飴自体が久々だった。 もしもこの飴で心理テストを作るとしたらこんな感じかな。 ❶ すぐ噛む ❷ 割とすぐ噛む ❸ 小さくなってから噛む ❹ 最後まで噛まない これで「欲望に対する我慢強さ」が推し量れるんじゃないかと考えた。 なぜ噛んでしまうのか。 ❶❷あたりのぼくが代表として考えてみる。 今食べている飴の話になるが、中にエキス・シロップが入っていて、噛むとそれが溶け出して口全体に甘さが広がる。普通の飴

      • 通販番組みたいな社会

        正月の中途半端な時間帯、朝10時半 テレビをつけると、どの局もこぞって通販番組をしていた。 久々に見た。 笑っちゃうぐらいつまらない。 つまらなすぎて面白いあの現象。 気づけば引いて観察していて、 ぼくたちの社会でもこんな感じのことばかりだよな としみじみと類比していた。 愉快な司会者が沢山回してうなずいて、 陽気な感じのおばちゃんが場を賑やかして、 物知りそうな若者が鋭そうな質問をして、 司会者横の女性が丁寧に説明補足して、 辛口そうなおっちゃんがベタ褒めして、、、

        • アンダー・ザ・テーブル制度のある企業

          under-the-tableとは ・内密でとりひきすること。 ・やみとりひき。 と訳されることもあるがそうではない。 この制度は、とあるニュースの動画で知ったのだが、東芝が採用している制度で「就業時間の1割程度を予定業務以外のことに使う」制度らしい。噛み砕いて言うと「働きながら自由研究」するみたいなことだ。もちろん所謂サークルとか部活動みたいな課外活動ではなくて、自分の趣味の時間ではなくて、仕事に関連する範囲内で研究するということだと思う。 正確には下記のように説明さ

        1つの本を薬のように定期的に摂取する

        マガジン

        • お歌詞を味わう。
          4本
        • fpLで写真を撮った。
          6本
        • 好きなので語らせて。
          5本
        • モノの地図作り
          5本
        • ギリギリのIC2次試験日誌
          17本
        • つぶやき学習メモ
          7本

        記事

          同じ景色を見た人がいる。そう想うと和む。

          自分で考えたり感じたことが、 過去の誰かの既往のものであった時の感情について。 2つの場合があった。 1つは、苦悩や苦労、喜びや幸せなど感情が同じの場合。 例えば、自分の子供ができて親の気持ちを追体験したような時。例えば、今をきらめく著名人が若い時に自分に似た経験をしていると知った時。隣にいるような、伴走しているような安堵感がある。 もう1つは、成功や発見、記録や創作などの思考・活躍が同じの場合。 例えば、車輪の再開発をしてしまった時。例えば、これはいい!と思ったアイデ

          同じ景色を見た人がいる。そう想うと和む。

          感情は4次元、言葉は1次元

          これは言葉っていつも不十分で伝わらないことがあるよねっていう話。言葉の伝達のメカニズムのイメージを共有したい。 僕たちは3次元の空間でその時その時の時間を生きている。そしてその時その時に感情が生まれている。ここでの感情は思考になる手前の感覚・認知なども含めている。時間軸上に感情が数珠を繋ぐように次々と連続して現在の感情に至る。現在の感情は過去の感情といつも繋がっている。感情は4次元上でひとつなぎになっている。 そんな4次元な感情を誰かに伝える時、僕たちは1次元の言葉に紡い

          感情は4次元、言葉は1次元

          人格をもう一つ。

          逃げる自分を捕える自分がいればいい。 天使と悪魔みたいな。 弱い自分を監督する強い自分。 人格をもう一つ。 そんな自分はたぶん既にいるけれど、 ハラスメントに怯えて何もできない上司のように 何もできない部下を叱責できないでいる。 寄り添わない、 馴れ合わない、 逃げる自分を見逃さない、 もう一人の自分を育てよう。 優しくない優しさを持て。

          人格をもう一つ。

          自分との約束

          過去の自分と今の自分と未来の自分 過去の自分との約束を今の自分は守れていない。 今の自分は未来の自分はこうしようと理想を並び立てる。 未来の自分は今の独り言のような約束を覚えてはいない。 未来の自分は約束を守ってはくれない。 未来の自分は今の自分よりその時の自分を大事にする。 だから今の自分は未来の自分に託してはダメだ。 過去も未来もすべて、今の自分と変わらない。 今の自分がしたくないことは未来の自分もしたくない。 今の自分が楽をしたくて、頑張ることを未来に託す。 だか

          この感情から逃げないように

          逃げちゃダメだ。 そう声に出そう。 気を紛らわすように、 動画を見たりゲームをしたり、 頭の中を別のことで埋め尽くして、 惰性で感情を外へ追い出す。 逆か。 感情は中に置いてきて、 自分が外に出ているのか。 今の自分がダメだと思うなら 逃げちゃダメだ。 逃げそうな時は、声に出そう。 声に出して奮い立たせよう。 理由は分からないけど、 声に出すと、逃げようと背を向けている自分を振り向かせられる。

          この感情から逃げないように

          信仰は信俯へ

          「信仰」を書き下してみると、 「信じて仰ぐ」となる。 神様を信じて天空を見上げるような状態。 「信俯」はというと、 「信じて俯く」となる。 科学を信じて世界を見下ろすような状態。 現代は、宗教から科学の時代へ移り変わっている。 未知や不思議が解明されつつある。 現に宗教はあれど実際に頼っているのは科学である。 でも実は、科学も宗教に似た信仰的な部分がある。 立証された真理に紛れた、可能性が100%になりきれていない山のような仮説を僕たちは「〜の可能性が高い」や「〜と思

          否定できるし、否定できない。

          意見や助言、クレームや罵倒、格言や教訓、宗教や信仰、〇〇論や〇〇主義、など小さな言葉から大きな言葉まで、割と断定気味で又は押し付け気味で話す人やメディアが多いような気がする。 「ような気がする」「だと思う」「と考えている」などと毎度つけるのも面倒なので、コミュニケーションやメディアにおいて便宜上省くのはわかる。だけど省き癖が脊髄反射で行われるようになって、いつしか「かもしれない」要素はなくなって「だ!」という形で知らず知らずに何かを否定してしまっているんじゃないかと心配にな

          否定できるし、否定できない。

          コタツのようなオツキアイ

          寒いときほどその暖かさを感じる。 半分はこたつの中、もう半分は机の上。 寒くなると全身をコタツに入れて幸せを感じる。 でも全身をコタツに入れると何もできなくなる。 それでもいいかと眠りにつく。 のぼせて起きる。 「アツい」 すかさず電気を切る。 一度外に出る。 やっぱり寒くてコタツに戻る。 だけど少し冷めている。 電気を付け直す。 だんだん暖かさを取り戻す。 電気を強にするのは注意が必要だ。電気代がかかるし、あとは火傷するかもだし、つけっぱなしにしていたら火事にな

          コタツのようなオツキアイ

          芸人って偉大だ。

          いわゆる定職と呼ばれる職業ではない仕事をしている人の中で、芸人がずば抜けて不安の中で生きているような気がして、芸人にリスペクトを感じている。 ここでの「定職」は正社員という意味ではない。なので定職の対義語、「定職ではない職業」はアルバイト・パートのことではない。 一言で形容し難いので、それの特徴を挙げてみる。 ・社会的なレールのない仕事、 ・これさえやっときゃいいがない仕事、 ・個人の能力に依存する仕事、 ・自分のしたいことをやれる仕事、 ・夢と呼ばれる仕事、 そんな仕事

          芸人って偉大だ。

          ごめんを呑む時

          YoutubeでONE PIECEの公式全話ライブ配信があり、ちょうど空島編を見返していた。ハッとした言葉があって、自分事としてつい、思索に耽りたくなった。 己の行動に罪を感じた時 人は最も弱くなる。 ガン・フォール 罪というのは法律や規律上の罪のことだけではなくて、もっと解釈を広くしていい。ミスや失敗、迷惑をかけてしまった、許してもらえないだろう、申し訳なさ、不甲斐なさ、自分の中にある後ろめていることが罪に当たる。ここでの罪は客観的なものではない。罪かどうかをリストか

          全て方便

          嘘も方便って慣用句ありますよね。 他に方便ってものあるかなーと考えていたら、もう全部が方便なんじゃないかと思えてきた。というより全部を方便と捉えれば人生、楽になるんじゃないかと思えてきた。正しさとか常識とかモラルとか、あまり考えすぎても満場一致の手段なんてきっとない。全て方便って思えば、新しいことはきっと簡単に始められる。嘘ですら方便だ。今ある手段が50点でも仮だから、方便だからと割り切ればいい。現在地から目的地までを1本の直通線で引こうとしなくていい。少し先に進むための方

          麻婆豆腐に学ぶ。

          昨晩、マーボーを作っていて豆腐も春雨も切らしていることに最後の最後で気づいた。 んで、マーボーという名のソースだけが出来上がった。 別に特段 豆腐が食べたいわけでも春雨が食べたいわけでもないのだが、いざマーボーソースだけでごはんと一緒に食べることを想像すると何か、いや、絶対に違うなという感覚があった。 どうして豆腐・春雨が必要だったのか、とか、どんな役割があったのか、とか、ここから思考がどんどん広がって、建築とか暮らしとか経済にまで飛躍したりしながら次のようにまとまった。

          麻婆豆腐に学ぶ。