否定できるし、否定できない。
意見や助言、クレームや罵倒、格言や教訓、宗教や信仰、〇〇論や〇〇主義、など小さな言葉から大きな言葉まで、割と断定気味で又は押し付け気味で話す人やメディアが多いような気がする。
「ような気がする」「だと思う」「と考えている」などと毎度つけるのも面倒なので、コミュニケーションやメディアにおいて便宜上省くのはわかる。だけど省き癖が脊髄反射で行われるようになって、いつしか「かもしれない」要素はなくなって「だ!」という形で知らず知らずに何かを否定してしまっているんじゃないかと心配にな