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フワちゃんの炎上から感じた「綺麗事」


フワちゃんがXにてやす子を引用リポストで暴言を吐く誤爆をし大炎上している。
X上のバズった関連投稿を見てるとフワちゃんはキチガイキャラというよりただただ性格の悪い女であったことも浮き彫りになったと思う。

フワちゃんの行為については当然擁護しないと前置いた上で感じたことを綴る。

パリ五輪もまぁまぁ荒れる中、やす子がそれに便乗し「やす子オリンピック 生きてるだけで偉いので皆優勝でーす」と書き込んだのだろうと邪推する。
個人的にフワちゃんもやす子も好きじゃないが、やす子の投稿したフレーズの偽善性にも不快感があった。
『世界にひとつだけの花』みたいな胡散臭いフレーズだ。

その嫌悪感が湧くのはなぜなのか。
それは「他人の自己肯定感を満たそうとした綺麗事」に聞こえるからだ。

複雑なこのご時世だからこそ生きてることは尊いし、もちろん偉い。
ただ、その手の綺麗事は痛みを乗り越えた自分自身を肯定するために言い聞かせる御呪いみたいなもので、他人に説くものではない。

やす子自身も毒親だとか、施設育ちだとかハードな過去があったからこそ発信した自分の哲学でもあるのだろう。
だけど、それは本人が痛みを経たから信じているものであって、自分自身と他人とでは言葉の力、効き目は雲泥の差なのだ。
心理カウンセラーが、他人が自分の苦しみ全てを癒して消してくれるか?
絶対にそんなことはできない。
なんなら、カウンセラー自身が救われたくてその仕事をしてるとすら思う。
メサイアコンプレックスというやつだ。
フワちゃんがやす子に対して抱いている嫌悪感は、そういう「いい人ポジション」が綺麗事をつらつら並べる臭さから来ていた節もあると思う。

昨今、自己肯定感だとか、個性だとか、多様性だとか寛容さを求める社会だけど、結局そんな考えは思考停止への免罪符でしかないと思う。
強くなるには痛みを経て越えるしかない。
故に、他人の綺麗事で心を癒せるなんて思っているうちは絶対に強くなれない。

そういう意味で、やす子の発言も薄っぺらいと感じてイラつく人間の気持ちにも共感できる。
これからの時代が、影響力のある人間こそ不特定多数へ綺麗事を発信してはいけないステージに入りつつあるとも思う。
ゆえに安易に吐いた綺麗事に復讐される日が必ず来る。
たとえ本人にとっては嘘のない信念や哲学だったとしても。
また、この程度の他人の綺麗事に自分の心を委ねてしまうような人間も人間で、あまりにも自分を持って無さすぎるし軟弱ではないか。

100万人のために謳われた何かに俺らも簡単に想いを重ねたりはしてはいけないのだ。
わかりやすいものは所詮その程度の価値しかない。自分のためにならない。

フワちゃんの生き方、スタンスは叩かれるのも仕方ない。
だが、やす子もいい人、聖人ポジションを確立したことでファンや受け手のことを心のどこかでナメていたのではないだろうか。

こんな私でも立派に生きられてるのだからあなたも偉いのよと押し付けるように。
いきなりあんな罵倒をされたら誰しも傷つくとはいえ、やす子のムーブもなかなかに狡猾だったと俺は思っている。
持ちネタがクソ面白くないのにあのポジションを確立できたからこそなおさらね。

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