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コンラッド『闇の奥』(Joseph Conrad "Heart of Darkness")初読の感想

好奇心旺盛な若者がベルギー植民下のコンゴに行って、その奥地でクルツという謎めいた人物に出会い、帰ってくるまでがその後の彼の口から語られる。話の筋は決して複雑ではない。そこで起こったことの一部や、人生、理念、文明といったものへの彼の考えが仄めかされたり、若きマーロウ(主人公)の体験の合間に語るマーロウの考えが挟まれたりして少し読みにくくなっている。

光文社古典新訳文庫の、黒原敏行氏の訳を読んだのだが、そこに付されている解説は武田ちあきという方が書かれており、時代的背景を踏まえながら、この小説にはヨーロッパ文明の野蛮な側面が戯画化されているという。この解説は当時の社会状況を詳細に知らない者にとって参考になるが、そうした「解釈」はこの小説の価値を落とすことになる。クルツが死に際に発した"The horror ! The horror !"という叫びは確かにヨーロッパ文明の来し方行く末のことを言っているという解釈は正当性があるが、文学的価値を陳腐化することになりかねない。

この小説は第一にコンラッド自身のコンゴ体験による真理を含んでいる。それ自体多様な事実である。文明とは何か、人種とは、労働とは、罪とは、コンラッドはコンゴへ行って、ヨーロッパの中にいては知ることのできないことを知ったのである。そして主要な登場人物が何かを暗示するかのように構成されている。クルツがその中心にいると言っていいだろう。クルツはまずマーロウが彼に出会う前から何よりも声であった。この点で『地獄の黙示録』で彼に当てられたのがマーロン・ブランドであったのは、小説のクルツと体格が大きく異なるとはいえ、適切である。彼ほど魔術的な声を持つ俳優は多くないだろう。そしてクルツが死んでからも、クルツは声なのである。マーロウはクルツの死体には全く興味がない。またそれは黒人の操縦士が死んだ時も同様であった。頭脳は明晰なままで、野生に魅入られ、自己の魂をのぞき、魂を狂わされた呪術師的な「声」。それがクルツであって、そのクルツの背後に現れる無限の闇にマーロウは魅せられる。クルツはやつれ切った体で大きな計画を抱き、大量の象牙を集め、権力を誇示するという野心も見せるが、その雰囲気はまるですべての感情を味わい尽くしたように泰然としてもいる。言ってしまえばクルツは矛盾そのものなのであって、それがクルツについてのいかなる解釈も帯に短し襷に長しに見える理由であり、マーロウが恐れかつ魅せられる理由でもある。この小説はあまりにお説教が過ぎるかもしれないし、いろいろな暗示を詰め込みすぎかもしれないが、それを差し引いても小説としての美しさは全く色あせることがない。

蛇足だが私のこの本との出会いの話を加えておく。受験勉強の参考書でラッセルやハクスレイと並んでいたコンラッドの英文が、他の英文の美しさにもかかわらず特別記憶に残っていたというのがそれである。他にも受験生にとっては意地悪に思われるような英文や、シュヴァイツァーの文章なども印象に残ったが、自然な美しさと深い力が備わっている文章はコンラッドのものが抜群だった。今度はちゃんと英語で本書を読みたいものだ。

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