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読書記録:The Psychology of Contemporary Art②

   Conceptual art is a loosely historical term referring to the works of artists, musicians, filmmakers and writers in the 1960s and 1970s, often directly or indirectly referencing Duchamp’s work.
   Themes identified with conceptual art may be found before and after this period, running through Dada, Pop and Neo-Dada to contemporary art.
―――The Psychology of Contemporary Art よりPrefaceのp.xviiから2文

Duchampって誰?

デュシャンはニューヨーク・ダダの中心的人物と見なされ、20世紀の美術に最も影響を与えた作家の一人。
デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。彼が没したのは1968年だが、「絵画」らしい作品を描いていたのは1912年頃までで、以降は油絵を放棄した。油絵を放棄した後、「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表した。
1917年、「ニューヨーク・アンデパンダン展」における『噴水』が物議を醸した。
その後、『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』という通称「大ガラス」と呼ばれるガラスを支持体とした作品の制作を未完のまま1923年に放棄し、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせずチェスに没頭していた。なお、チェスはセミプロとも言うべき腕前だった。
彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があり、晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビューの中でデュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている。
「芸術を捨てた芸術家」として生前より神話化される傾向のあったデュシャンに批判的な声もあったが、死後、ひそかに制作されていた遺作(『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』)が発表され、周囲を驚かせた。 
墓碑銘に刻まれた「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も有名。
                  ―――Wikipedia :Marcel Duchamp

なるほど、conceptual artって難しそうだ。
でも、こういうぱっと見意味わからないものって、面白い。
作者の頭の中を覗き見ているみたいだ。

Dadaとは?

第1次世界大戦に対するネガティブな感情を、反文明、反合理的に表した芸術運動のことらしい。
「芸術の白紙還元と日常化を要求して破壊と否定の運動を推進(日本大百科全書)」したとあるけれど、意味がよくわからない。芸術史って、社会史でもあるんだよね。歴史が苦手な私には大変難しい…

戦争は、人の心を動かす。
動かされた人は、また、人の心を動かす何かを生み出すのかもしれないなあ。

Neo-Dadaとは?

1960年代に起こった芸術へ、Dadaをなぞらえてつけた名称。「新しいDada」という意味。
こちらは「現代の都市的現実を情感を交えずに呈示(日本大百科全書)」するらしい。

全然ピンとこない。
でも、この「Between the clock and the bed」は結構好き。綺麗だけれど、哀しい感じ。よくわからん。


調べながら読むと全然進まない笑
そして今回のアート作品は、あんまり興味がなかった。
もっと探せば面白いのがあるのかも。

単純というか、色々な何かをそぎ落として、空っぽなアートだなあという印象。何かが詰まってることは確かなんだけど、チャレンジングすぎて私には読み取れない。言いたいことだけは、はっきりさせたくて、でも中身はびみょーん。
それがConceptualということなのかな笑
アートの知識は皆無だから、ぱっと見の感想でしかないのだけれど、とりあえずはなんとなくで、次のパラグラフへ進む。

私の価値観に、価値を見出してくださりありがとうございます。