見出し画像

読書記録:発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術

今週に入ってから、Kindle Unlimitedを利用して乱読している。
ささっと読めるものが意外と多くて、本を読むのってあまり気合要らないんだなと感じた。
ついでにハイライト機能を使ってみたら、あとからライン引いた部分だけ抽出して見返すことができて、デジタルすごーいってなってる。

義務教育時代から、薄々疑っていた発達障害。
私は何かしらの障害でこんなにもコミュニケーションが苦手なんじゃないかって、ある意味救いを求めた。
結論から言うと、単なるコミュ力不足で、私は定型発達の域にとどまっていると思う。

・信じられない過敏さと悪い冗談みたいな鈍感さが同居する
・非常に自責の感情が強い

ある刺激に対する敏感さがありながら、別の刺激に対してはとても鈍感。
これは、程度は違えど誰しもに言えることかもしれない。
ただ、発達障害を持つ人に顕著なだけ。
スペクトラムとは、そういうこと。
何度同じ失敗をして、その度にもっと気を付けなきゃ、頑張らなきゃと決意をしたところで、できないものはできない。
どうしてできないのだ、頑張れないのだと、自分の弱さや甘さを責める。
生きるのって、これの繰り返し。
だって、できることにはそんなに精神をすり減らしたりしない。
意識に残るのはいっつも「できない」。
「自責は時間の無駄」だと筆者は断言している。当たり前だ。みんな、そんなことはわかっている。
筆者は時間を無駄にして苦しまないために、「やりすぎ」なほどに行動する。下手な決意よりも「遥かに実効性が高い」と。
それだけの覚悟と意識を持って生きる気力があるというのが、できる人間とできない人間の差なのだろう。結局は行動。そして私はできない人間。
そもそも、「そこまで」して、生きたくないのだ。

・集約化/一覧性/一手アクセス

ADHD傾向が高い人にとって重要な3要素として、筆者はこの3つを主張している。
どれも納得がいく、というか、どれも私が常に求めているものだ。
特に一覧性は、何よりも優先したい事項。
ウェブの情報は、ひとつの記事に一つの内容しか書かれない。それが理想。
でも、それって、ちょっと周辺知識を探ろうとすると、別のページに飛んで、別のページに飛んで、を繰り返さなきゃいけなくなる。全部一気に見通せたらどんなに楽だろうと思ってしまう。
あっちに飛んでこっちに飛んでを続けるのが嫌だから、私は大体印刷して、その紙をずらっと並べる。
本で勉強するときも同じ。いくつかの参考書を視界いっぱいに広げる。
これは一手アクセスってことでもあるのかも。

この3要素って、ADHDとか関係なく、どんな人にとっても、効率を上げるために重要なんじゃないのかな。
それとも、私にとってそうなだけで、一般的にはそんなに重要じゃないのかな。

・思考が次から次へと連鎖していく速度と飛距離
・自分が何を考えていたのか思い出せなくなる

これはよくわかる。過集中の時は特にそうだし、そうでない時でも、私の脳はなんだかいろいろ動いている。考えないことができない、発火大好き神経細胞ちゃんたちだから。
たくさんの思考がバーッと脳内を流れていって、気持ち良いくらいの発想力が生まれる。
そして、全部川の流れと同じでどっかに行ってしまう。
一つひとつ外に記録しないと、あっさりと消えていってしまう。
全てを記録することはできないから、結局のところかなりの思考が私のもとから去っている。今この瞬間も。

・コミュニケーションが上手な人は「言葉」への依存度が低い
・「あなたの気持ちはわかる」という言葉は、実際とても軽い/本当に「わかる」必要などない
・誰も幸せにしない誠実さ
・よくあんなくだらないことをあんな丁寧にやれるな…
・理想は、怜悧に茶番を茶番と認識しながらも、同時にその茶番に向かって全力で突撃していけるマインドセット

日常は茶番にあふれている。お互いに真意でないことを理解しながら吐き出す社交辞令とか、思ってもないのに形式的に言わなきゃいけないお礼とか。
茶番って思っちゃうと、それにエンゲージする気がなくなる。
これは前の読書記録に書いた気がするけれど、私は意味の伴わない言葉が不誠実だと感じる。思ってもないのに「ありがとう」って言わなきゃいけない圧力。言葉に対する冒涜だ、くらいの抵抗がある。
でも、筆者はそれを「誰も幸せにしない誠実さ」と表現した。ああ、その通りだなあ。
「お礼は見えない通貨」で、機械的にやらなきゃいけないもののひとつ。そこに誠実さはいらなくて、それがつまるところの言葉に依存しない態度。
私は、言葉を大切にしたいと思うあまりに、「誰も幸せにしない誠実さ」を貫こうとしている。不誠実であるほうが、人間社会には適合しやすいのか。なんて茶番。
茶番をこなせるようになったら、良くも悪くも、それが大人なのかもしれない。

・眠るのは人生で一番難しいこと
・朝はいつだって憂うつで、耐え難く苦痛
・不眠は死に至る病であり、ありとあらゆる精神疾患につながる道

これを書いている今現在、朝の6時半。まだ寝ていない。
眠ることは本当に難しい。一度何かに集中し始めたら、脳が活発に動き始めたら、睡眠は諦めなければならないものだ。
そして睡眠がうまくいかないことは、大抵の場合精神的な歪みを引き起こす。
睡眠って大事だ。

・「無理をするな」と言われても、自分が現在無理をしているのか、それともしていないのかわからない
・自分は頑張りがまるで足りない。いつも頑張るべきところで頑張れない。という無力感/常に自分は怠けているという感覚
・「自分は怠けている。働くべき量だけ働いていない」という強迫観念

無理という概念を設けてしまえば、自覚的に受け入れてしまえば、「生きることそのものが無理」な私にとって、「無理をするな」という言葉は「死ねばいい」に変換される。
だから、私はいつだって無理をしているし、無理をしていることに気づいてはいけない。
そんな気持ちで「無理」を無視し続けて、自分が無理しているのかもよくわからない。
ここに関しては、私の彼氏ってめっちゃすごい。
いやー私今日元気だわ~って日に、「無理してないか」ってLINEきて、いや今日は本当に無理してない、気分いいしって思っていたのに、その数時間後には人生のどん底みたいな気分でベッドの上から動けなくなった。無理してたのかって自覚した。
私の彼氏はエスパーです。

私は怠けものだ。まだまだ何もできていない。もっとちゃんとしなきゃ。どうして頑張れないんだろう。足りない。足りない。足りない。
もしこれが、単なる私の強迫観念で、実際は相応の仕事ができているなら、少しは安心できるのだけれど、それって、私が私を脅迫し続けている限り、確かめようがないんだ。

・自分は能力的に問題があるのだから人より頑張らなければならない。辛さに耐えなければならない
・モチベーションが「頑張って死にたい」

まるで自分の言葉ではないか、過去に書きなぐった日記と同じ文章ではないか。
私は社会不適合者だから、頑張らなきゃいけないし、辛いなんて思ってはいけない。生まれてきた私が悪いんだからって、何度も何度も自分に言い聞かせる。
頑張ったら死んでもいいかな、なんて。


筆者の言葉が理解できるのは、筆者が躁鬱を患うADHDだからで、私はADHDというより鬱なんだろうなと感じる。
ADHDと診断されるほどに、その傾向は高くない。多分。
この本を読んで、一番考えさせられたのは、「茶番をこなすこと」。
最後の解説にあった一文。

かの芥川龍之介も、「最も賢い処世術は、社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。」と書いていました

社会ってのは、茶番で、みんな茶番ってわかったうえでも茶番の中を生きるものなのか。
そんな社会どうなのよ、とは思うけれど「見えない通貨」が大切なのも、実感としてはわかる。
茶番をこなす努力をしなければ。

※今回の見出し画像はみんなのフォトギャラリーから使わせていただきました。

私の価値観に、価値を見出してくださりありがとうございます。