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(元)校長先生の留学日記          ~多様性について~

14日間の自主隔離(self-isolation)を終え、ようやく外を自由に歩ける日がやってきました!早速、携帯電話屋さんに行きSIMカードと電話番号をゲット!日本で情報を得てあらかじめカナダで使えるSIMカードをアマゾンで2000円くらいで入手して行ったのだけど、「それは使えないので・・・」と言われて、無料で新たなSIMカードをくれ、とりあえず3か月のプランを購入。いつでも解約したいときに連絡すれば契約期間内の場合は返金してくれるとのこと。要した時間は15分くらい。月額45ドル(3700円位)で電話かけ放題、8GBまでついてくる。日本で携帯を契約するときの複雑な手続きと時間の長さと費用に比べると、簡単でストレスフリーだった。息子が昨年末、デンマークから帰国した時になかなかプリペイドシムカードが入手できなくて苦労したのを思い出して、なぜだろう?と思った。

日本語でも難しい携帯プラン契約の説明を英語で聞き取れるか不安だったのだけれど、隣にいた娘がすさまじい速さで交渉してくれた。でも自分でちゃんとわかりたい。娘から「ゆっくり話してくださいってお願いしたらちゃんと説明してくれるよ」と言われ、「私は英語の勉強に来ているので、自分で理解したいからゆっくり話して私にも説明してくれますか?」って言ってみたら「もちろん!ゆっくり話すから、もしわからないところがあったら、いつでもストップかけてね」と。

「英語の勉強に来ているので、理解したいからもう一度説明してください」というフレーズは、結構使えるなって思った。自主隔離の2週間に学校が無料で提供してくれたレッスンのお陰でかなり聞き取れるようになり、口もなめらかに動いて話せるようになってきたと実感してはいるが、携帯の契約とか複雑なテーマだとまだ自信がない。

朝6時から1時間の休憩をはさんで5時間みっちり、嵐のような英語でのレッスンを受け、半端ない宿題に格闘した2週間。実は受講前は「無料レッスンだから、1時間くらい楽しくってという感じだろうな」と高を括っていた。甘かった・・・。水曜は16時間、木曜は13時間、気づいたらずっと勉強していた。先生も熱心で、辞書や自分が出会った最高の参考書をしシェアしてくれた。「今後も、何かあればいつでもメールしていいからね、読むべき本がわからない時は相談してくれればいつでもアドバイスするよ」というメッセージを最後にくれた。最高の教師に出会えたカナダ留学の始まりだ。

さて、8日からいよいよバスに乗って学校に通う。自主隔離を終えた今日は携帯ショップと学校の場所の確認をした。そしてきれいな景色を楽しめるEnglish Bayでベンチに座っていると、散歩をたのしんでいる高齢の素敵なカップルに気づき「なんて素敵なファッションなんでしょう!」と声かけたら、ニコニコしながら「これらはセカンドハンドのお店で入手して自分で手を加えたものなの」って色々説明してくれた。背中にはモナ・リザのプリントがあり、ご主人が「僕のネクタイを切り取って使ってるんだよ」とニコニコ。私が勉強しに来ているって話したら、彼女は40歳の時にアートを学びたくてロンドンの大学に行ったのよと話してくれた。

カナダって、アジア人だからって差別したりバカにしたりしないし、英語がまだ未熟だからといって冷淡な態度をしないところが、とても嬉しい。学生時代にヨーロッパを回った時(バックパッカーとして)、優しい人もいっぱいいたけれど、アジア人だとかフランス語話せないからという理由で暴言を吐かれたり、同行していた友人はコーヒーすら注文を無視された(英語で話したから)という経験と比較すると、本当にカナダって優しいなって思ってしまう。

娘との時間を持つために5~6回カナダには来ているのだけれど、初めて来たときに道を歩いていたら、右からアラビア語、後ろから韓国語、どこかからスペイン語、もちろん全体的に英語が聞こえてきて、「これが多様性だよな」って思った。LGBTの人たちが集まる場所、ストリートっていうのもあって、でもそれは特に隔離するわけでも変な目で見るわけでもなくて、逆にレインボーカラーの装飾が多くてあったかい感じが伝わってくる。英語の先生も「みんな異なるからこそ素晴らしいんだから他人と比較して自分を評価することは何の意味もないんだよ」って何度も繰り返してくれた。。日本の社会や教育がこんな寛容性に満ちたものになる日が来るのだろうか。日本は多様性をスローガンにしているけれど、本気で本当に変えようと思っている人がどのくらいいるのだろう。多様性っていうのは自分と異なる考えを認めるってことだけど、それって、これまでの日本社会で生きてきた人たちにとっては、かなりしんどい変化を自らがしなければならないって事を本当に理解して言っているのだろうか?と良く思う。いつも表面だけ、うわべだけで言葉が流れていく傾向がある日本社会を白けた目で見ていたのが私達の世代だった。団塊の世代の様々な所業に対して(もちろん戦後日本を立て直す偉業を成し遂げてくれた世代です)、白けた目で一歩引いてしまった私たちにも責任があるのではないかと最近思うようになっている。今、私たちが育てた子どもたち世代が社会を変えようとし始めてくれている。彼らを応援する世代でありたい、何か助けることができる世代でありたいと思う。


金曜は毎週テストの日で、今週は「Speaking」テストだった。最後の質問で「あなたの国の一番の問題は何だと思っているか」と聞かれた。私は「異なる考えを受け入れようとしない同調圧力という保守的な価値観だと思う」と答えた。新しいこと、異なることをしようとすると叩かれる。人の失敗を全員で非難する社会。大人が変な正義感で寄ってたかって虐めのやり方を見せている社会。子どもの目にはどう映っているだろう。そこまで考えてワイドショーやSNSはゴシップ記事を一日中繰り返し流し続けているのだろうか。強力なマインドコントロールだということに視聴者は気づかねばならないし、言わねばならないと思う。これまでは、黙ってその場を去ることが美徳とされてきたけれど、それでは何も変わらない。

身の安全を確保するためには、”何もしない”ことが最大の戦略となってしまっていないだろうか。他者と異なること、価値観を覆すようなことをしたければ、日本を出た方がやりやすい。若者や子供たちのために、この息苦しい社会を変えていかねばならない、と考え続けている。本当に、高校生の時からずっとずっと息苦しかった。だから、深呼吸するために時々海外に出かけていた。日本にももちろんいいところはたくさんある。優しい人も数多いる。でも、社会全体を覆う重くて灰色の価値観が、いつも私を上から押さえつけている気がしていた。

今日、土曜日は娘の友達がハイキングに連れて行ってくれるそうです。カナダと言えば、自然の雄大さですね。唯一宿題のないこの週末、のんびりと自然を楽しんで来ようと思います。

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