見出し画像

失恋で感じた社会への怒り

※9800字あるし、話が飛び飛びだし、細かい部分の知識がちょっと自信ないし、最後のまとめ雑だけど頑張って読んでね!



別れた理由は超簡潔に言うと、セクハラとDVである。
付き合っている間はまさか私がDVやセクハラを受けてるなんて思いもしなかった。でもなんかずっと彼の言動にモヤモヤしていて辛くて辛くてしょうがなかった。このモヤモヤについて言語化すると、彼との問題が浮き彫りになってしまう気がして怖くてずっと蓋をしていて苦しかった。

別れてから友人が、そんな私に対してフェミニズムの本を勧めてくれた。目から鱗が落ちた。私がずっとモヤモヤしていたのはこれか!となったしそのモヤモヤが生み出される社会的背景も知ることができた。やっと私の辛さを言語化することができて感動して本を読み漁った。
読めば読むほど社会に蔓延る暴力と差別が鮮明に見えてきて絶望した。こんなに苦しかったことが他でも余裕で起こりまくっているのかと本当に生きていることに絶望した。私みたいな苦しみを感じる人が少しでも減ってほしいので誰かの辛さの言語化の助けになれば、加害者になるかもしれない人が少しでも気づくことができれば、と願って綴っていきたいと思う。(あといつか元彼がこれを見て反省してほしい)


セクハラ

セクハラの定義は曖昧だ。知識不足なので正直今から書くことが「セクハラ」に分類されるのかどうかわからない。でも、私の辛さは彼の「性的倫理観の欠如」によるものなのでまとめてセクハラとして書いていく。

ホモソーシャルなノリで抱いた不信感

彼の友人と初めて会った時のこと、その友人(友人Aとする)は出会って数秒で「◯◯したことある?笑」(結構踏み込んだ内容)と私の超個人的な性体験について尋ねてきた。びっくりしたし、なぜ会ったばかりの親しくもないこの人にそんなパーソナルなことを教えなきゃいけないんだと思った。けど、楽しい雰囲気を壊す勇気もなかったので適当に笑って流した。彼に後でその話をすると「そんな失礼なこと言えるアイツまじでサイコーすぎるわ」とまさかの友人Aに対する賞賛が返ってきた。友人Aのモラルの無さにもムカつくが、一番怒っているのは私が不快感を覚えているのにも関わらず(てかセクハラだと思う…)私の味方になることなく失礼な発言と分かっていながら友人Aを賞賛した元彼である。
私は下ネタは結構好きだ。でもそれはあくまでも心を許している人達と語り合う下ネタと、文化人類学的、人体構造学としての下ネタのみである。会話を重ねて下ネタを振るならまだしも友人Aは会って数秒で土足で私のプライバシーに踏み込んできたのだ。人権侵害も甚だしい。それに対しての彼の賞賛も酷すぎる。本来私の味方でいてくれるはずの信頼しているパートナーが私の不快感に対し寄り添ってくれるどころか一緒になってセクハラを肯定してきたことはとてもショックだった。
後で本を読んで知ったのだがこれはホモソーシャルの典型である。ホモソーシャルとは女性を支配・侮蔑することで男同士で認め合い絆を深めることができる差別構造の一つだ。(超乱暴に要約しているのでもっと色々な要素があるんだけど省略します、調べてみてね)
このエピソードだけでホモソーシャルを実感したのではない。これ以外でも彼のホモソーシャルなノリに何度も不信感を抱いた。
会社の電話で顧客の高齢女性に分からないように卑猥な発言をし、社内で笑いを取ろうとしていたこと、(結婚してますか?がセクハラになる現代に会社でそんな発言ができること、しかもそれを私に自慢してくるような倫理観に不快感を覚えた)、彼の会社の先輩と私の3人で出かけた時まず初めに風俗の話を先輩に振っていたこと(彼女の前でそういう話題を出すのもどうかと思うしてか先輩も私いるのにエ?って困惑してた…)、そしてこれまた出会って数秒で私の性的なことに対してめちゃくちゃ笑ってきたり女性蔑視発言でゲラゲラ笑っていた彼の東京の友人(と、一緒になってバカみたいに笑ってた彼)。もっとあるけど省略。
モラルと倫理観がゴミすぎて本当に不信感が募った。
タチが悪いのが、彼は私と一対一で話すと割と話の通じるヤツなのに男社会が絡むと急にモラル底辺なクソセクハラ男に成り下がる。友人Aもそうだ、一対一で普通に喋ってる分にはいい友人だなと思った。
ホモソノリの人にはホモソノリの人が集まるようで、彼の周りの男集団が本当に嫌いだった。男友達が悪いって言ってるのでは無い、集団になるとこぞって女性を攻撃すること、侮蔑的な感情で性的に見ることが悪質なのだ。
彼のホモソノリの加害性に段々と耐えられなくなっていき、最後の方は彼が友人と遊びに行くことも泣くほど嫌になってしまった。


女は"性の対象"でしかないこと

彼はよく街中で女性を見かけた時「あの子エロいな」とか「ああ言う女とヤリたい」とかそう言う発言がめちゃくちゃ多かった。友人の写真を見せた時も「顔はタイプじゃないけどヤルだけなら丁度いいくらいかな〜」とか言ってたり、ジムでは「あの人はどんなセックスするんだろう」とかそう言う視線で女性を見ていたことを私に平然と言ってきた。彼女の前で平気でそう言う発言ができるデリカシーの無さも本当に信じられないし、彼にとって結局のところ女は性の対象でしかないのかと感じ、そんな彼の女性観に嫌悪感を覚えた。
確かに女性に対して性的な魅力を感じることは本能的なことでもあり別に悪いことではない、だから性的に見ることをやめろ!と言うつもりは無い。
私が言いたいのは、「意図せぬ所から性的な視線を向けられることは女性にとって脅威であり不快極まりない」と言うこと。(を頭の片隅にでも置いといて!ということ)
中学生の時などに、クラスの端で男の子たちが「セックスするならどの子がいいか」とかそういう感じのことで勝手に性的にランク付けされて不快だった経験のある人は割といると思う。普通に歩いているだけなのに、普通に生活しているだけなのに女というだけでいちいち性的な扱いをされることは本当に多いし本当に鬱陶しい。「どんな人か?」の前に、かわいいだのおっぱい大きい小さいだの、エロそうだのヤレそうだの…まずは人として見て欲しいのに性的なモノとしか見られていないような視線は本当に辟易してしまう。
それに、満員電車に乗れば痴漢に怯えなきゃいけないし、エスカレーターに乗れば盗撮されていないか気をつけなきゃいけない。エレベーターで男性と2人きりになったら怖いし、夜道で男の人が後ろに歩いていたらめちゃくちゃ怖い、街を歩いていて知らない人にジロジロ見られていたら怖い。意図せぬ所から性的対象として見られることは本当に脅威なのだ。不快なのだ。そして、そういう視線に日々晒されているから街を歩くだけでも気をつけていなければならないのだ。
なんで普通に生きているだけなのに、命の危機を感じながら道を歩かなければならないのかと怒りが込み上げる。
元彼がやっていたことは、私が日々生きる中で恐怖や不快感を感じていたことそのものだ。彼が街中で「エロいね」とか「◯◯をオカズにしている」というたび、こんななんて事ないとこでも性的に見られて、意図せぬところで性的に消費されなきゃいけないのかと愕然としたし、そんな男性が世の中に大勢いるとするのならばこの世は地獄すぎる…と本当に死にたくてしょうがなかった。エロいなと思うことは自由だけど、こんなにも女性にとっての脅威になっていることを頭の片隅にでも置いておいてほしいし、あとそれを声に出すなんて本当にやめてほしい(恋人の前でなんか特に…)。せめて心の奥底にしまっておいてほしい。そして"性の対象"である前にみんな人格を持った1人の人間であり、それを尊重しないことは失礼にあたるんだということを認識しておいてほしい。
※「意図せぬ所からの性的な視線は恐怖」と言う感覚がいまいち分からない男性は想像してみてほしいのだが、(あまり良くない例えだけど)エレベーターで”身長2m越えの超ムキムキで屈強で性欲がめちゃくちゃ溜まりまくってるゲイ”と2人きりでしかもこちらをチラチラ見てくるとかだと怖くないか…?

性暴力肯定発言・女性蔑視発言

彼は自分の性体験について割と語る人だった。私自身元カノとの話とかちょっとワンナイトしちゃったとかの話だったら全然聞ける(むしろおもろい)のだが彼の過去の性体験には暴力的な内容も含まれており、かなりショッキングなものだった。それを語る彼の言葉には女性を侮蔑するような発言も数多くあった。過去の性体験なんて過去のことだから今は違う!と割り切れたらよかったし何度も忘れようと頑張っていたのだが、彼の性暴力的な発言はずっと健在していたからどうにも過去のことと割り切れなかった。もう書くのも嫌になるが「そんな女犯したったらいいやん」とか「バカでアホみたいな女なら罪悪感なく犯せる」とか「もし○○ちゃん(私)に危害が加えられたらそいつの大切な人(家族や恋人)のことレイプする」(そんな守り方されて嬉しいわけねぇだろ)とか。全くの悪気なくそれを言ってのけるのだ。グロテスクすぎる。よく彼女の前でそれを平気で言えるよなと思った。(彼女の前でなくてもその発言はあまりにもヤバすぎる)そんな彼の倫理観が本当に辛かった。思い出していて吐き気がした。
上記に書いた彼の度重なるモラルのない発言と彼の過去に行った暴力的な行動から、彼の持つ差別感情やミソジニーを強烈に感じてしまい、段々と彼の性的なものが全部気持ち悪くなってしまった。
彼が過去の性体験について詳細に状況説明をしたせいで鮮明に想像してしまって辛かったし、似たような背格好の女の人を見たり、似たような環境に行くと血の気が引いて苦しくなった。当時鬱だったのも重なり、思い出すのが怖くて1人での外出が困難になった時期もあった。しばらくの間フラッシュバックに苦しめられたし、今もまだ苦しい。補足すると彼の性体験が嫌だったのではなく、"差別感情と暴力性を含んだ彼"の性体験が気持ち悪かったのだ。身近な信頼していた人の暴力的思考は本当にショッキングなもので今でもずっと苦しいままだ。

私は学生時代、水商売のアルバイトをしていた。
そこで働いていだか故に「下ネタを華麗に受け流せてこそいい女」と言う考え方が染み付いていた。だから、モヤっとすることがあっても口に出さず笑ってやり過ごしていたし、そんな自分がいい女だと思っていたから2年半も耐え続けてしまったのだ。
そりゃあ下ネタを話すことは楽しい、けど嫌なもんは嫌だし不快なもんは不快だ。キャバ嬢にだって風俗嬢にだってセクハラになるもんはセクハラになる。現に笑って受け流せていたセクハラ発言が続くとだんだん耐えられなくなってメンタルを壊してしまった。「性」についてはとてもパーソナルな部分で、それについて語り合うのは楽しくもある一方人のことをめちゃくちゃ傷つけたりする。どこまでがOKでどこまでが嫌なんて人によって違うから、関係性を築いてもいない人に安易に性的な発言をすることは危険だし、深い関係の人でも何が嫌なのかは意識しないといけないと思う。性的な侮辱や性暴力的発言、差別発言はもってのほかだが。(それらは下ネタではなく"暴力"なので…)
私自身も過去に下ネタで誰かを傷つけたことがあるかもしれん、だから配慮を持って下ネタを話すようにしたいと思うし、嫌なもんは嫌だ!不快だ!と言える社会を願う。


DV

DVされたと言うと多くの人が、エ!?殴られたん??と言う。殴られてはいない。私もまさか自分がDVを受けていたなんて思いもしなかった。DVはあまり自分のことを主張できないか弱い女性がされるものだと思っていた。
ちなみに私はめちゃくちゃ自己主張する方だし、芯がある方だと自負しているし、か弱くは無い。
別れた後、なんとなくモヤモヤしていてトラウマが残っていたことを公的機関に相談した時、あなたがされたことは歴としたDVですと言われてなんだか納得がいった。

彼はイライラした感情を周囲に撒き散らす人だった。
私に対してもそうだったし、小さなことでも自分の思い通りにいかないことに対して(wi-fiが遅いとかタバコが見つからないとか)貧乏ゆすりが激しくなり舌打ちをしまくり汚い言葉の数々を吐き散らし大声で自分のイラつきを主張して、モノにあたる。今にも殴ってきそうな勢いで私のことを怒鳴ることもよくあった。
怖かった。怖くて彼がいないところに隠れて1人で泣いていたことも数知れず。(恐怖心で相手を支配することは立派なDVだと公的機関から教えてもらいました)その時は支えてあげられない私が悪いんだと思ったし彼を怒らせる私が悪いんだと思った。ただの喧嘩だから私にも非があるし彼がキレるのもしょうがないと思った。彼の特性なのだからもっと優しい気持ちを持って理解してあげなきゃと思っていた。今思うと典型的なDV被害者の心理だわ…
彼の仕事が過酷になり心身ともに余裕がなくなるとどんどんそれはエスカレートして、結局決定的な暴力が振るわれたので別れを決心した。性暴力だった。
暴力を振るった後の彼の対応も酷かった、暴力を振るったことに対しては心底申し訳なさそうにしてしいたしそれも伝わったが、怖かったと言うと「だって震えてたもんね笑」と言った。「笑」じゃねーよ、こちらは命の危機を感じてんだよ。また別の時、病院に付き添ってきてはくれたが、一刻を争う事態にもかかわらず「先に自分の病院行っていい…?」と問題の深刻性を何も分かってなかった。命をなんだと思ってるんだと思ったけど、ただただ悲しくてもう反論する元気もなかった。
彼は"最終的に私に行った性暴力行為"に対して反省はしていたが、根本的な部分では全く反省が感じられない。こうなってしまった結果は、「セクハラ」の部分にも書いている彼の普段からの女性蔑視、性暴力肯定思考、差別的思考が原因だと思うのだ。女性蔑視の思考が、女性を傷つけることに対するハードルを下げていたのだと思うし性暴力肯定思考がなければ性暴力を振るうと言う選択は絶対にしなかったであろう。

別れた後、彼に「あなたのセクハラ発言が本当に辛かった」と言うと「それは◯◯ちゃんが過剰すぎるだけだよ〜」と言った。加害者である自分がよくそれを言えるよな…何も分かっていないじゃ無いか。自分が普段から加害性のある思考や発言をしていて、その結果が暴力行為になったこと何一つ自覚していなのだな…。女性アスリートのメダルをかじって、「冗談だよ〜、過剰だな〜冗談通じないな〜😅」と言う某オジサンと全く同じ構造ではないか。こっちはめちゃくちゃ嫌だったって言ってんだよ!死ぬほど怖かったんだよ!不快だったって言ってんだよ!人の嫌がることはしないって言う超基本的道徳を学び直してくれ!!頼む!!!!
余談だが、そんなことを言いながら彼は国際女性デーにミモザを送ってきた。女性の人権を考える日にそんな人権意識を持つ人から受け取れるわけないだろう。花束の受け取りを拒否すると、「◯◯ちゃんが不機嫌で悲しかった」とLINEが来た。なんか、ただの気分屋でわがままなと女と勘違いされてるくさいが、悲しいのはこっちだよ!!!!!

世の中のほとんどの男性は性暴力やDVをしないだろう、でもそんな人でも、なんてことない本当に小さな差別発言や女性蔑視が性暴力やDVを肯定する社会にしていることを分かってほしい。(実際に女性の8割が何かしらの性加害を受けている事実がある)おかしいよと言ってほしい。嫌なことは嫌だと、おかしいことはやめなよと言い合えるような世の中であってほしい。

前回の綺麗な思い出の投稿を読んだ人は、今回の投稿とのあまりのギャップにびっくりするだろう。同一人物である。私自身も心が全く追い付いていない。優しかった彼と怖かった彼、感情の振れ幅がデカければデカいほど依存ってしやすくなるらしい。だから苦しかったんだな。よく聞くDVエピソードも、彼はとっても優しくていい人で…ってみんな言うもんな。今は毎日、優しかった彼と命の危機を感じるくらい怖かった彼が交互に出てきて別れて本当によかった気持ちと幸せな時間をもう一度過ごしたい気持ちが交錯する。感情がぐっちゃぐちゃだ。ツライ。


社会にブチギレている


これらの体験をした後、SNSやテレビを覗くとこの世は地獄すぎて本当に生きているのが辛くなる。社会死ねすぎる。
性暴力をネタとして楽しむ風潮、被害者に対しての「やられた方にも非があるのでは?」みたいなセカンドレイプが絶えないこと、性暴力があまりに軽視されていること、経験人数が男のステータスとして扱われることだったりイイ女とヤルことで男内で賞賛されるクソホモソーシャル、避妊を拒否するヤツら、平気で盗撮すヤツら(と、それを消費する人達)、セックスワーカーや社会的弱者に対する侮蔑的な視線。戦争はなくならないし。なんでこんなに差別と侮蔑と暴力で溢れているんだろう。こんなに悲しく苦しいことに対してなぜネタとして消費できるのだろうか。多くの人が苦しんでいることは事実なのに、なぜ声を上げることが難しい社会なのだろう。おかしい。

以前の記事でも書いたが、私は元彼に対しては本当に許されて幸せになってほしいと心から願ってる。許せないのは彼をこんなふうな思考にさせた社会である。
加害者は突如として生まれた訳ではなくて、この社会で生きていくうちに加害的なコミュニケーションを内面化してしまうのだ。
これの諸悪の根源である家父長制に本当に怒っている。(全ての根源と言うと結構乱暴でもあるかもしれんが)

家父長制(かふちょうせい)は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が、女性である家母長にではなく 男性たる家父長に集中している家族の形態。

家父長制はパターナリズム (paternalism) ともいわれる。父と子の関係にしばしば見られるような、他者の利益を名目に他者の行動に強制的に干渉できるとする考え方のこと。

wikipedia

簡単に言うと、男は一家の大黒柱だ!男は家族を養うのだ!男は強くなければならない!みたいなやつのこと。
強くなりたい人は別にいいんかも知らん(?)、けど、それって男性自身が苦しくないか?家族の問題なんて大黒柱が責任を持つ必要なんかなくてみんなで話し合えばいいことだし、稼げなくたって女性が稼いでもなんの問題もない訳だし、男だからって奢る必要もない。なんでセックスや結婚してこそ一人前と呼ばれるんだろう。(一人前になるための踏み台にされる女の存在って一体…)人間なんだから弱い部分もあるし男だって殴られたら痛いもんは痛い。変な人に絡まれたら怖い。なぜ男だからと言って我慢を強いられるのだろう。弱さを見せることが恥ずかしいことになってしまうのだろう。おかしい。
家父長制の問題は女性差別を生み出してしまうところにもある。男性優位の家父長制の中では女性は支配の対象でしかない。男を立てろとか、女は男を支えるために家事をやってろとか、女は男の3歩後ろを歩いてろみたいなやつ。
現代にそんな昭和的な光景は流石に減ってはいるけど、「女は支配の対象」という意識は根強く残っている。だから女を支配する(精神的支配、性的支配)ことで男として認められるような風潮がいまだに根強いし、女を支配しなければならない!女より優位でなくてはならない!と言う意識からDVや様々なハラスメントが発生するし(例外もあるけど)、女は男の性の対象でしかないみたいな考え方を持つ人は結構いるし、社会において女の発言は聞き入れられづらいし、そう言った女性蔑視が性暴力につながっていたりする。(で、そう言う差別的な価値観だと性暴力が軽視されてしまう)
みんながみんな激しくこう言う考え方をしている訳では無いけど何かしら家父長制を内面化しているところはある。女らしさとか男らしさを押し付けていること。私にも多分ある。
大学を卒業して社会に放り出された時、若い女というだけでいかに立場が弱いか突きつけられすごく苦しかった(特に私の職場は60代男性で構成されているので…)。若い女だからという理由で賑やかし要因として会議に参加させられたり、若い女だからと言う理由で全く喋ったこともないエライおっさんの隣に座らせられたりする飲み会、悪い意味で「女の子扱い」されて男性社員と同様に頑張って働いてるのに1人のビジネスパーソンとしていつまでも認めてもらえなかったりする。んで、挙げ句の果てには最愛の人からのDV。悲しい。悲しくて悲しくてやるせない。生きるの辛すぎる。

元彼が私のことを傷つけよう痛めつけようとしていた訳では無いことは分かっている。寧ろ、彼は私のことを心の底から大切に思ってくれていて、2人で幸せに生きたい、悲しませたくない傷つけたくないと誰よりも思っていてくれたことは私が一番よく分かっている。彼もまた社会が産んだ悲しきモンスターなのだ。
セクハラ発言だって、きっとセクハラをしているとはこれっぽっちも思っていなくて、なんなら良かれと思ってその場を盛り上げるためにしていたのだと思うし、彼にとってのコミュニケーショ手段の一つでしかなかったのだと思う。これが加害になるなんて知らなかったんだと思う。イライラを撒き散らして怒鳴り散らすことだってきっと彼にとっては悲しみや不安などのネガティブな感情を発散する方法がそれしかなくて他にどうすればいいのか分からなかったのだと思う。彼もまた同じような仕打ちを過去に受けてきたから(大声でキレられるとか)、私がこのくらいのことで傷ついているのが許せなかったのだと思うし、無意識に自分の傷を守るために"このくらいのことは普通のことだ"という感覚になっていたのかもしれない。(だからって彼がしてきたことを容認するわけじゃ無いけどね)
何が差別になるかとか、その差別がどういう影響を与えているかとか、何が人を傷つけるのか、自分は何に傷ついているのか。知識がないと想像力を働かせることもできない。人を大切にするとは具体的にどういうことなのかと言うことも知識は必要だと思う。それらは結果として自分を守ることにも繋がるしね。現在の日本ではこの「知識」を得ることのできる教育やコンテンツが本当に少ないと感じるから増えてほしい…
私たちは人間なので間違いを犯すし、気づけないことだってたくさんあるけど、だからと言ってしょうがないで済ますのではなく常に知識を得ることを怠らず考え続けなければいけないと思う。

もう本当に雑なまとめになるけれど、正直こんなクソみたいな世の中で色んな問題がじゃあどうすれば解決するかなんて本当に難しい。常に戦い続けて生きるのも正直しんどい。やんなっちまう。とりあえず元カレは歪んだジェンダー観をどうにかしてアンガーマネジメントでも学んでたっぷり愛を受けて幸せに生きててくれ!男だろうが女だろうがどっちが優れてるとか無く、みんながそのままでそれぞれ素晴らしいんだよって言う考え方広まってくれ!!!(前回とまとめが同じ…)あと、自分がされて嫌なことと人が嫌って言ってることはやめようね(自戒を込めて)!!暴力は何も解決しないから知識を持とうね!!!嫌なことは嫌って言おうね!!!!!
私は今本当に世界平和を願ってる!まじで!私みたいな悲しみを味わう人が少しでも減ってほしい。世界から苦しくて悲しい出来事が減ってほしい。よく臭いこと言う人が、世界に愛が溢れますようにっ!(キラキラ)とか言うてるけど今それ私の心の底からの悲痛な叫びだからな…
弱い人も憎い人も嫌な人もでっけえ愛に包まれてしまえ!!!!!(短歌)


追記

ここでは男女差別の女の苦しさばかり書いたし(私が女だし)、男女差別問題において男の苦しみってあまりフォーカスされないけど差別において男女の苦しみは表裏一体だし、私は愛する男性たちに本当に幸せに生きてほしいと思っているから、男性こそ自分の生きづらさとかを耐えるんじゃなくて目を向けてほしいなと思う。
あなたのこの苦しみは差別や社会が原因なんだよ!と目から鱗な良記事を見つけたので貼っておく。興味のある人は見てみて!!!男性学面白い!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?