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自省録③ 足長おじさん

私は、自分が生まれたから死ぬまでに、世の中に対して行ってきたポジティブなこととネガティブことを足し合わせて、最終的にポジティブなことがプラスになるような生き方をしたいと思っている。生まれて既に半世紀経つが、現時点ではまだまだネガティブな状態である。

こんな私にも20歳の大学2年生の長女と16歳の高校2年生の次女がいる。長女は英国の大学で、次女は私立高校で学んでいる。父親として、立派に勉強を教えたりや良いアドバイスをできないダメオヤジだけど、娘たちはそれなりに育っている。それは妻のおかげだろう(おそらく)。
でも、平凡なサラリーマンなのに、長女の授業料だけで年間600万円以上の教育費がかかっており、我が家の財政は炎上中である。だから、好きなコイン収集も出来なくなったし、飲みにいくこともめっきり減ってしまった。

長女が大学一年生の時には、この教育費の意味を自分でどのように消化すればいいか分からず悩んだが、最近になって、親の責任とか、娘自身のためとか、娘に対する投資とか考えずに、これは立派な社会貢献であると思えるようになった。学んだことを社会に還元し、より良い社会へ貢献する娘の足長おじさんであることが、私なりの社会貢献であると思い始めた。そう思うとちょっと肩の荷が下りた様な気がした。


妻も私も全く分からない未体験ゾーンに突入している長女の成長を楽しみにしているが、次女も何かをお金のかかることをやりそうな気配がしてきた。57歳までには娘たちは大学あるいは大学院を卒業しているから、破産さえしなければ、貯金がなくてもいいか。
最悪の場合には、これまで収集してきたアンティークコイン・切手・隕石を売却するか。でもやっぱり嫌だなぁ。これは執着というものか。
でも、足長おじさん的社会貢献とは別の社会貢献もしたいと思っている。それは海の環境保護に関するものである。これはまた後日省みて書き綴ろう。



ところで、国際バカロレア(IB)についてちょっと書き留めておこう。長女は、高校でIBカリキュラムを学び、英国の大学に入学した。このIBは、長女が中学生の時に偶然に知ったものであったが、通常の高校の授業とは大きく異なり、考えること、探究すること、オープンマインドであること、挑戦すること、努力して学び続けること姿勢などにフォーカスして学べるカリキュラムと環境であった。
娘がIBで学んだことは、大学での教育スタイルが全く異なる英国の大学でも十分に役立っているようであるし、社会に出てもソフトスキルとして役立つであろう。
長女は、現在、授業や課題研究の合間に、欧州の高校生にIBの教科を英語で教える家庭教師をしている。生徒はドイツ人やスイス人などであるが、たまに日本人も教えているようだ。





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