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本当に欲しいものを手に入れるために、本当に欲しい物を知ろうという思いを研ぎ澄ます

洋服は高い買い物だと思っています。

わたしの場合ではありますが、
おしゃれ着に関しては
欲しいからって欲しいままには買えません。
もっと絶対必要な家族の定期代とか食費などにお金を使う方が先で、そこでボンと大きなお金を使うと、洋服はまた今度ね、となります。
我慢したり節約したりする対象になりがちなのです。

だけど、今月は友達とご飯を食べに行くんだった!なんて時はやっぱりあんまりな服装では行きたくなくて、どうにかしてでも衣服代を捻出。
これは立派な必要経費だよね?と自分に言い聞かせてウキウキと買いに行きます。

でも、何時間みても決まらないのです。
流行りを取り入れたものがいいのか、どんな色が似合うのか、
どんなデザインがちょうどよいのか。

しかし日にちは迫っています。
どうにかして来週までにはきめなくては!

自分をかっこよく見せてくれるものが欲しいのです。
しかし、いざ思い切って買ってはみたものの、なんだかえりの形が、丈の長さが気に入らない。似たようなものが家にあったとがっかりすることも。
はたまた、まさに思い切って買ったー!的なものを選んだがゆえに、せっかく買ったけど恥ずかしくて着ていかなかったなんてことも。

欲しい物ってあんがいわかっていないもんだなあ。
自分のことなのに。と、なんだか不思議でした。

その後、しっかりフルタイムで働くようになり、洋服に以前よりお金を回せるようになって、買い方が変わりました。(いやいやまだまだ欲しいままには買えませんが)

ある程度の期間ごとにコンスタントに買いにいけるようになったため、必要に迫られて慌てて選ばなくてはいけないという買い方ではなくなりました。だから「気に入ったものが見つかるまで買わない」という気持ちで店を訪れることもできます。そして、自分の今もっているアノ上着に合わせようとか、これは多くのシーンで使いまわしができるだろうとか、ある目的のためだけに選ぶのではないため、より自分が「本当に必要としているもの」に焦点をあてながら選んでいきます。最終的にはやはり金額面もありますので、何度も吟味しながら「自分の期待」に当てはめていきこれだ!と決定します。
それは、洋服を選ぶということだけでなく、
洋服をつうじて、「どんな自分を得たいと考えているのか」ということにまで意識が到達していくのかもしれないのですが、
以前よりも期待していたような商品がみつかり、満足する買い物が出来るようになってきました。

結局ある程度の出費は必要なのか、という結論も頭をよぎりますが、
いやそれよりも、これは考え方なのです。

今回、洋服を例に出しましたが、
洋服だけでなく、「欲しいもの」はもう、限りなくあります。

でも、「本当に欲しい物」はなんなのか。
もっと意識して考えなければ
「本当に欲しい物」は手に入らないのではないだろうかと思っているのです。


娘がある日いいました。
「わたし、なんでもいいんだ」
どうしてもこうでなくちゃとかこれじゃないとダメとか無いのだと。

こだわりが強くて面倒くさいとか
好き嫌いがはげしいとか、
娘はそういう負の部分での経験をもとに、「柔軟さ」を美とした前提で話していたのだろうということは感じたうえで、わたしの考えも話してみました。

うん、こだわりすぎて生きにくいくらいなら、なんでもいいというおおらかさの方がお母さんもいいなと思う。
でもこだわりたい分野とか種類もあるからこだわることは悪いことではないとも思っているんだ。
例えば自分のスキを追求することでクリエイティブな世界が広がるなら、そっちのほうがワクワクする。
なんでもいいや!が欲しいものを見つける能力を錆び付かせるかもしれないなら、なんでもいいではなくて、自分のスキにこだわっていきたい。
欲しいものを手に入れるための感覚を研ぎ澄ませていきたいなあ。

だって、
「本当に欲しい物」のために生きているんだもの。
少なくともお母さんはそうだな。

そしてね、お母さんはこういうことがずっと考えてみたかったことだったんだよね。だれかと話してみたかったことだったの。それに気づかせてくれて、さらに興味をもって話し合ってくれるあなたの存在が本当になによりもうれしい。
いつもありがとう。



「本当に欲しい物」を手に入れる。
これからも考えていきたいテーマだなと思っています。

※ニシキレオさんのステキな作品を使わせていただきました。ありがとうございます!



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