見出し画像

私たちはなにと闘っているのか。フレデリック・ワイズマン監督の映画「ボストン市庁舎」を観て

「目には目をですよ」
一瞬耳を疑った。
コンビニの仕事仲間のYさんが他のスタッフと話している。ええっ?Yさんがそんなこと思うの?
「俺は嫌な客には嫌な態度で応戦しますよ」

Yさんの接客は常に安定していて平等性を感じていたのに。少なくとも攻撃性を感じたことはなかった。
そうか。スタッフ仲間に寄り添って、忖度しているのかもしれない。わざと誇張して言っているんだろうと思った。

逆に、他のスタッフの接客には
どこかしら攻撃性を感じることが多かった。
感じの悪いお客には当然のようにつっけんどんで、
あの接客は
ギリギリではないだろうかと
ハラハラすることも多い。
あんな接客も必要なことなんだろうかといつも疑問に思っていた。


みんな何と闘っているのだろう。

日々一緒に働きながら、
だんだんにYさんがイライラしている様子を垣間見るようになった。
言っていた「目には目を」は本当だった。
そして「今日はダメだなあ」とぼやいたり、
頭が痛い、さっき飲んだお茶がお腹にくると言ったり、繊細なんだと感じるような場面も増えた。

Yさんの闘い方は
自分の精神も痛めているのかもしれない。

私はYさんのやり方に共感出来なかった。


先日「至福のレストラン/三つ星トロワグロ」という映画の存在を知った。日本では今月23日からの公開らしい。

その作品は、ミシュラン三つ星を55年間獲得し続けているレストランの様子をナレーションなくBGMもなく4時間上映するという。
私はワクワクした。是非観たいと思った。

この映画の監督は
フレデリック・ワイズマンという。
私は始めて聞く監督だった。94歳。
ドキュメンタリー映画の巨匠なのだそうだ。

この監督の以前の作品にも俄然興味が湧いた。
早速「ボストン市庁舎」をレンタルして観る。
こちらも上映時間は4時間以上。

まずは予告編を観た。

え?こんなこと、本当にあるの?
ボストン市庁舎の人たちってこんな人たちばかりなの?
観てみたい!おもしろそう!

しかし思っていた以上に4時間は長かった。
1回目は何度か寝てしまう。

次の日再度挑戦。
戦争体験を語る市民の場面に涙が止まらなかった。夕方再再度挑戦。
市民と衝突し対立する場面が生々しい。
市長の考えを何度も聞く。
そして
気になるエピソードをまた、細切れで
何度か再生して観た。

結局何度観ただろうか。
みればみるほど興味がわいてくるのを感じた。
ますますみえてくる細部に心が釘付けになる。

こんなことを
本当にやっている人がいるなんて。

一緒に観た娘も
そのことにまずかなり驚いていた。




戦争体験者の話をする場面で私が涙が止まらなかったのは、依存症の話に私が自分の体験を重ねたからであった。市長は市長になるずっと前のある時からお酒がやめられなくなったという。
いわゆるアルコール中毒の依存症なのだ。
市長もまた大きな悩みや不安をかかえていたことに私は驚いた。
アル中の人々のコミュニティには今なお通っているのだという。彼らの体験談を聞き、自分も話すことで救われていったことを語る。


「話を聞く」ということ。
「話をする」ということ。


幼かった頃の私たち家族が、
父のギャンブル依存症で散々に苦しめられてい時、誰も父の苦しみに心を傾ける人はいなかった。
父はギャンブルを繰り返しては何度も謝り、もうしないからもうしないからと泣き崩れ、
時に逆ギレして暴れ回り
時に何週間も何ヶ月も家出をし、
そしてまた何度もギャンブルを繰り返した。

家族は恐怖と不安にまみれた沈黙の中で
心をコントロール出来ず、全く余裕がなかった。
そう、本当に沈黙だった。
母は
私たちになるべく真実を知らせないよう努力し、
私たち姉妹はその話に触れることを許されていないかのように恐れ、押し黙る。

あげく、家族は不安を怒りに変えて
皆、父を恨み、
父の話など聞く価値もないと
憎しみをこめて父を責めた。


ボストン市長は
戦争体験者の苦しみと依存症の話は違うかもしれないと付け加えながらも、
「苦しみを語ること」の大切さを説く。

戦争体験者には
国のために戦ってくれたことに心からの感謝を伝え
国のために苦しみ続けた人生を詫びた。

その苦しみは経験したことがない人にはまるで理解されてこなかったであろうことも含めて、

それがどんなにつらいことだったか

依存症で苦しんだ経験を
どもりながら語る市長の姿そのものが
一番にものがたっている。

戦争を体験したことで
一生背負い込むかもしれないほどの重荷を
私たち市は受け止める。
そのために自分たちがいるのだと
市長は力強く伝えた。
だから
これからも戦争体験を「話してください」というのだ。

私はもう、とおの昔に死んだ父を思った。
父も私たち家族も、あの辛かった当時に
こんな人たちに「助けて」と言えたら。
話を聞いてもらえたら。

父を助けてあげたかった。
涙が止まらなかった。




この映画は人々のあらゆる不安や悩みについて「話す」人たちが登場する。
皆本当にたくさんの言葉を語る。
びっくりするくらいたくさん、語るのだ。

市庁舎の関係者と市民との対話の場面。
ある地域で大麻店舗の事業をたちあげようとしている。その地域の人々に経済的に希望のある話だと持ちかける集会を開く。

たしかに雇用の面などで、
その話を聞きたい住民もいるが、
大麻のお店ができることでの地域の治安問題をどう考えているのかとそれこそ噛み付かんばかりに訴える市民との議論になっていく。
市庁舎の職員は「よくわかった、市長にも伝える」と誠意をこめて言うが、
しかし、そんな言葉では市民は納得がいかない。
「これはどういうこと?この後私たちの投票があるの?今夜帰って泣くだけ?」という。
つまりは行政側は最初から市民の不安にはむきあわず、多数決などで決めてしまうのだろうと言っているのだ。
この展開と住民の気持ちはよくわかると思った。
話を持ってきた行政は、それこそ了解を得るためだけが目的なのではないかと疑っている。
住民の細かい不安は面倒なだけで、適当にごまかそうとしていないかと行政側の心情を探っている。
ああわかる。我が国においてもダムや基地建設の時に住民とのやり取りでこんな場面があるであろうことが容易に想像できた。
だからこの後どうなるのだろうと思いながら興味深く観る。

市庁舎の職員は
とにかく誠意をもって正直な気持ちを丁寧に伝える。「この意見は正直考えていなかったし、まだまだ問題はでてくるだろう」と言う。
絶対に解決させるというような無責任なことは言わない。
「市長に必ず伝える。自分たちで直接伝えてくれてもいい」と言う。その言葉に市民が反応する。
市長に直接話せるの?そんな市長は今までいなかったのだ。

市庁舎関係者は「市長は必ず誰の不安もとりこぼさない」ことを強く誓う。そして今日のような集会はまだ今日が始まりであり、これからも何度も設けていくと約束する。名刺も渡す。いつでも連絡して欲しいと告げる。
市の職員は、住民とお互い納得いくまで何度でも話し合っていく覚悟をみせていく。

とことん聞く。
とことん話す。



娘は、そういえばと
朝刊にこんなことが載っていたよと教えてくれた。インドの首相モディ氏はウクライナを訪れてゼレンスキー大統領に「(ウクライナとロシアの)両者は一緒に席について、紛争を解決する方法を見つけるべきだ」と紛争の解決に向けて互いに交渉のテーブルにつくことを勧めたのだそうだ。(8月23日日本経済新聞朝刊より)

「それにね、ハンガリーのオルバーン首相もいろんな国に行って話を聞いて、話をしている。勝手にやってることなんかは非難されているところもあるけど、やはりロシアとウクライナ同志の直接な話し合いもないままNATOからの武器の援助とかで長引いてることも事実だし、すごくアメリカの存在が関係していると思う。」

アメリカもまた今大きく揺れ動いている。
トランプ氏は自分が大統領になったらすぐにロシア対ウクライナの戦争を止められると言っている。それこそプーチンに電話してすぐに終えることができると。どんな秘策があるのだろう。
そしてそこまで言うならやはりトランプ氏のような過激な考えがこれからの未来の平和を作っていくのかもしれないと思わせられることもある。

でもこの「ボストン市庁舎」を観ると
市長の考え方はトランプ氏の考え方とは真逆であり、そのことを深く考えさせられるのだ。

私たちは
いったい何と闘っているのだろうと
思わせられる。



市長は言う。
「我々が機会の扉を開くと大勢のボストン市民が扉から夢や未来へ向かう。市民の強さがあるから、市が強くなれた。」そしてボストン市から
国を変えていこうと呼びかける。

「違いは人を分断しない。力を合わせれば何でもできる。それが民主主義です。」

「すべての声を聞く。
心地よくなくても新しい声を聞きます。
率直に話をすることがより良い解決になる。
平等に話をすることが市を元気にするからです。」

そうだ!そうなのだ!
話をすることで人は元気になれる!

私はここで大切なことを思い出した。
心から尊敬して止まない心理療法士の河合隼雄氏がご自身の著書の中で何度も書かれていたことを。
「私が治すのではなく、クライアント(患者)が自ら治っていくのです」

河合隼雄氏の著作に
私は大いに助けられた時期があった。
氏はとにかくクライアントの話を
ただ、聞くという。

私はご本人にお会いしたこともないのに、
氏の書物を読みながら
自分でも気づいていなかったような
一番の怒りの物語を聞いてもらっていた。
そして
元気をとりもどしていった。


この映画の中でも
家の中にネズミがでて、助けに来てくれた市庁舎の職員に事情を語りながら、だんだんに男性の本当の不安の確信に迫っていくという場面がある。

ねずみのこと以上に不安で思い悩んでいたのは兄弟たちとの関係だった。普通ならうちわのもめごとに巻き込まれるのは面倒だと話をはぐらかすようなところではないかと思うが、この高齢の男性の一番の心配事はここだとわかった若い職員は「俺たちがなんとかする。できるだけたすけるよ」と言うのだ。高齢の男性が少し目をうるませて、かぶっていた帽子を少しだけ上にあげる姿に、一番言って欲しかった言葉だっただろうなと思い、私は泣きそうになった。


本当の不安を話す、聞いてもらう。
そして
元気になっていく。


私は思った。
そうか。
闘わなくていい道もあるのだ。
闘うことだけが答えではないのだ。

それなのに、
みんな
どう闘うかということが
いつのまにか前提になってやしないだろうか。

私たちは
何と闘っているのだろう。


闘わなくていい。

そのことに気づいているだろうか。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?