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債務者のポエム

最近、「資本主義」という言葉をよく聞く。

それも占い師だとか、一見香ばしい所からだ。

私は債務者なので、生活費や娯楽費以外、借金返済で毎月の支払いをしている身だ。
そんな人間が、「資本主義」だの占いや政治にたいして思い考え語っても、
大抵の人から見たら「債務者」なので、
「債務者がなんか言ってる」的なノリでしかとらえられないのでは?と思うと、
気が楽だというところもある。

ということで、この記事は債務者のポエムだと思って欲しい。

このような歌がある。私はゲームをそこそこするので、ゲーム内で知った曲だ。
https://youtu.be/_Mc_OM5oNA8

ちょっと色々と使用権の問題などで歌詞をそのまま引用できないのだが、
この歌の中には今の資本的(お金での優劣が付いているように見える)な世界に対して、
でもそれって…こういう事だよ?お金は……食えないよ?と訴えかけているように思えた。

また、職業柄エンタメ系のものも取り扱うのだが、
エンタメ系とはまさに人間の欲を煽り、満たし、それに付随する様々な事柄やイベントに対してお金をいただくものだ。
それらに人生を救われてきた身としては、夢や愛を与えるということは決して無意味ではないと思う。
だがやはりそれも、私という債務者からみた小さな世界が「資本主義」であるから、存在しているのではなかろうか?
一見辛い現実と夢のある幻想との高低差に目をつけた儲けたい人が、売り物にしているのだ。

資本主義なのだから、「資本」が大きく、さらに宣伝効果(巻き込める人間の数)があればあるほど、
それは効果的であると思う。

ひと昔前(筆者的には昭和)アイドルやシンガーソングライターなんかは、特にそういう「資本を増やす為に作り上げられたアイドル」のイメージだ。

こう言うと悪いことをしているような書き方になってしまうが、この世に手段として許されて存在していることだ。
それに、まだ社会に出てお給料にて税金を納める前は……つまり子どもの時は、そんなこと分かりもしない。幼い私が分からなかっただけで、わかってた人はいたのかもしれない。それはすごい。

我々は幼い頃は無邪気に、テレビや雑誌で取り上げられる芸能人や、アイドル、シンガーソングライター、アニメの中のキャラクター、漫画家、プロサッカー選手、プロ野球選手…
最近ではきっとYouTuber、ティックトッカー

彼らに憧れ、羨ましく思い、少しでも近づけるようにとアニメのキャラと同じ変身玩具を親に求め、野球のグローブを求め、同じブランドのバッグを買い、コスメを買い漁り……いくらお金をかけても、憧れのあの人と同じ顔になれない、同じ選手になれない、同じような知名度になれない…ことを、今でも日々鬱々と過ごす人はたくさんいることだろう。

だってそれはそうなのだ。
中には本当にお金を受け取っていない人もいるかもしれないが、
フリーランスや個人経営者でないかぎりは、
「彼らも資本主義で儲けるために組み込まれ、それによってお金をもらっている人達」
だからだ。
「○○みたいになりたい」って思ってもらえるような演出をして行く事が、販促に直結するのだ。

言葉にすると、あたりまえにみんな知っているようなことのように感じるな。
実際そうかもしれない。
私以外はみんな知っているのかも。
でも私は最近素直にそう感じるんだ。

「それが夢」であったり「それが好き」であるという事と、
「資本主義の中に組み込まれて活動する」ことは両立するのだ。
それは、芸能的な露出なんてほとんどない事務職や裏方、全ての仕事に共通することではあると思う。

ただそれが、
明確な意図を持って他人に買ってもらうことを促し続ける必要がある仕事と、
そうでない仕事は両方あるだろう。
資本主義の中にいるであろう債務者の体感では、前者が圧倒的に多いと感じる。

やれソシャゲガチャ、やれ課金、やれ時計、やれコスメ、やれ電子書籍、やれAmazon、やれ課金、やれ課金課金課金……

世の中の技術はすごいもので、日々その販促力も進化を遂げていると思う。
特にPC…スマホが普及してから急速に、テレビのない部屋で一日中家に居たとしても、SNSやブラウザで何かを検索すれば複数の広告を見かけない日はない。

資本主義という世界に身を置いているのだと、理解しないうちから、なんなら幼児の頃から、
老若男女からお金をおとしてもらいたくって仕方ない人達から、手取り足取り、そしていつの間にか四肢を持っていかれそうになりながら
「幻想的な快楽を対価にあくせくその人達の下で働いてお金を献上させていただいている」。
そんな人間の方が多いおかげで、資本主義者は潤うのだ。
おそらく私もその中の一人。

みんなもどこかで学んだことがあるかもしれないが、資本主義というのはそんなヤバ効率的搾取なことばかりではなく、
「お金が欲しい」と思う事で技術を磨いたり何かを思いついたり、協力して何かを成し遂げる強い理由・動機になるのは確かなのだ。
そんな人々の努力によって、絶えず新たな恩恵を受けられるという点はとても面白いことだと思う。

少年ジャンプの漫画のBLEACHと同作者の
「BURN THE WITCH」という漫画に、
ニニー・スパンコールという女性が出てくるのだが、
その人のセリフの中で(一部抜粋)

「バカしか魔法にかかんないなら  あたしは魔法をかける側がいい」

というのがあり、このセリフ、めちゃくちゃかっこいいと同時に、彼女の過去はどんなものだったのだろうと非常に想像力を膨らませられるので大好きなのだが(Season2楽しみにしてます)、
BURN THE WITCH 1 (ジャンプコミックス)

今思うと彼女はエンタメ系のお仕事をしているのもあり資本主義の話をしていると2度ぶっ刺さるものがあるなと今思った。

資本主義の中エンタメ系の仕事を展開している人達は言わば、魔法をかけてくれている側なのだ。
でも、もし生きる上で二択しかないのなら、魔法をかける側にもなってみたい、そうでありたいと思ってしまうのも人間のサガではなかろうか?

それは、俳優であったりモデルであったり、アイドルであったり経営者であったりするのではないだろうか。華やかな見た目とは裏腹に、どれだけ泥臭い努力を重ねてきたかは、結局は彼らのように実際にやった事のあるものにしか分からないことなのだろうが。

ここからはちょっとよりふんわりした、かなり香ばしい話だ。書くかどうか迷ったのたのだが、どうなっても債務者のポエムだから、まあ話半分に読んで貰えたらいいかと思った。
最初に話した歌を聞きながら
資本主義、というものを『資本主義ごっこ』ととらえてみる。
だがこの話をするには根底に、
「世の中は自分の作り上げたバーチャル世界であるかもしれない」
という思考実験…というか前提が必要になる。
この考え方は、小さい頃から知り合いの占い師の人に最近ボソッと言われたりとか、他の占い師の人が1人でTwitterで言ってたりだとか、もう1人の知り合いの占い師の人に言われたことだとか、
もーそんなたくさん(3人)占い師の人に囲まれて似たようなことを言ってくる&自分で最近そう体感することが多すぎる故なので、個人的にはまあそうかもな~などと思ってる程度なのだが。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。いまのところ確認のしようがない。

その前提の上で、この世のお金のこと、そんでその資本主義的な世界も、自分が望んでそうある事なのだとしたら?
自分は望んで今の、この状態の時に、債務者であることを選び生活している身なのだとしたら?

なんて面白いのだろうと思った。

私は実際、お金が無くて食べたいものが食べられなかったり、欲しいものが手に入らなくてとても苦しいと思う事もあるが、
その中で知り合いや友達に物資を貰ったり助けて貰ったり、それを通じて相手のことを知れたり、料理全くできないなりに創意工夫をしたり、苦手だったお金の計算をちゃんとやるようになったり、新居でGの赤ちゃんと毎日格闘していたおかげで生ゴミを出さないのと床にものを置かないのを徹底出来るようになったり。
それらは、すべて全部自分が望んでいた事象なのではないか?
今でも借金は今すぐにでも早く返したいとは思っているし、おそらく転職もせず引っ越さずにいたら死んでしまっていたのではないかというくらい借金も精神的にも酷かったが、その転職しなければならないとか引っ越さなければならないというストレスも、そのストレスがなければ今のような生活にチェンジできるような行動もしなかったのではないか。

今の抱えている債務に対しても、もしかしたら今の節約生活も、未来の自分や他の人の役に立つのかも知れなくて、それは自分自身がのぞんでそうなっていることなのかもしれない。と思うと、漠然とした不安とかがぱぁーっと晴れたような気がして、
この考え方は債務者であるうち特に時々思い出したいなと思い、この債務者のポエムを書くに至った。

他人からしたら債務者のポエムどころか、負け犬の遠吠えのように感じるかもしれないし、そう思われてもおかしくないだろうなと感じるが、それはそれとして本気でそう思った。それでも早く返したいという気持ちでうごいているけれど。

すごーくはやく返したいけれど、
返済生活を期間限定的にするなら、これからも役に立てて行けるような生活様式を色々と楽しく見つけていけるといいな。


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