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ここではないどこかへ

土曜日だー!!!

毎回冒頭で曜日を叫ぶの、無意味だからいい加減やめたいのに毎回やってしまう。

4歳児の夏休みがやっと終わりかけている。大変ではあったけれど、今まで子どもと過ごした夏の中で一番充実していた。

noteに書いた通りディズニーに行ったのと、あとは博物館やら美術館やら、プラネタリウムにも行った。

こういう公共の場に出て一緒に遊ぶことができるようになったんだな〜、と思うとかなり感慨深い。なんせ生まれたばかりの頃は横になったまま動けない赤ちゃんで、音の出るボールとかを眼の前で振るとかいう、大人にとっては耐えられないくらいエンタメ度が低い遊びしかできなかったからだ。

プラネタリウムは特に静かにする必要があるから、”まだ無理なんじゃないか…?”と心配だったが、30分くらいの上映時間の間、4歳児は静かにしていたのでホッとした。最近クイズで星座の勉強をしていたから、上映内容は興味深かった。

紀元前に46もの星座の名前を決めた人がいたらしい。紀元前につけられた名前が今も採用されているなんてロマンがあるな。

私はエンタメを楽しむのが下手くそだという自覚がある。何を観てもなんとなく気後れしてしまう。正しく楽しめているのか常に確信が持てず、心の中で密かにもじもじしていることが多かった。

クイズを始めてから、何を楽しむにもとっかかりが出来るようになった。プラネタリウムなら星座、美術館なら画家の名前やその出身地、作風、博物館に行ったときは生き物の名前やその分類、海流の名前なんかを覚えた。

プラネタリウムや美術館、そして博物館、たくさんの人がいたけれど、みんなどうやってこの場を楽しんでいるんだろうといつも思う。みんなそんなに星や芸術、潮の流れに強い興味があるとは思えない。なんか楽しくて充実した時間を過ごせそうだから、こういう場所を訪れるんだと思う。

私はそういうなんとなく雰囲気を楽しむ、みたいなのがすごく下手くそだ。だから、美術館とかをなんとなく訪れて、数日後に展示の内容について尋ねられるとほぼ忘れてしまっているような人のことがすごく羨ましい。

私は私の外側の世界と自然に繋がるのが苦手である。自分という小さな殻に閉じこもって、じっとしているのが一番落ち着く。こういうことを書くと、"いや、お前そう言いつつも結構色んなところに出掛けてるよな?"という指摘が飛んできそうだが、それはこのnoteを書き始めてからのことだ。書くために色んな場所に行く必要があるからそうしているだけのことで、このnoteがなければ私はずっと家で本でも読んでいたはずだ。

必要がある、と書いたけれど、このnoteは誰に強制されているわけでもないので、習慣の勝利である。自分に書くことを強制しているうちに、外出を頻繁にするという行動の変容が起きた。

そんなことを考えていたのでこのツイートが生まれたのだった。

思うに、普通の人たちは自分という小さな殻の中と外の世界を行き来するのが自然なことなんだろう。ごく自然に殻を踏み越えて外に出て、また戻ってくることができる。

私の場合、殻の外には出られるが、それには強い動機が必要なのだった。動機がないなら永遠に殻の中でじっとしていたい。noteを書かなきゃいけないから博物館に行くぞとか、クイズが楽しいからもっと勉強したい、プラネタリウムで星座の話をちゃんと聞いてみようとか、そういうそれらしい動機があって初めて、殻の外で落ち着いて過ごすことができる。

クイズはこの世の中のありとあらゆる事象が出題されうる遊びで、だからこんなに私は熱中しているんだと思う。クイズという動機さえあれば、どこにでも行ける気がする。他の人と同じような顔をして、小さな殻の外に出ていける。

Big Love…