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天敵彼女 (58)

 気が付けば、下校時間になっていた。特に当番もなかった俺達は家路を急いだ。早坂の件で、佐伯を問い質すつもりだったが、今日はやめておくことにした。

 その理由はいくつかある。

 まず、この件は人前で話したい内容ではない事。かといって、空き教室に行ってしまえば、前回のように残された奏がスポ薦にエンカウントしてしまうかもしれない。

 それなら、奏達も連れて空き教室に行けばいいんだろうが、現時点では俺の勝手な思い込みかもしれないのでそれも躊躇われる。


 じゃあ、どうする? そもそも話を聞いた所で俺に何が出来るというんだ? そんな事を考えている内に、何となく面倒になってしまったのが一つ。

 次に、そもそも時間がない。前述の理由もあり、俺は学校に長居したくない。緊急の問題でないのなら明日に回すのがベターだと思った。これがもう一つ。

 最後に、俺は自分が佐伯と連絡先を交換する事も、奏の連絡先を佐伯が知る事も絶対に許したくない。だから、放課後に込み入った話をする気になれない。以上だ。

 とにかく、今は厄介事を避けたい。俺は、まだぼんやりしたまま廊下を歩いていた。

「あれぇ? 八木崎さんじゃん」

 あいたたたた……俺は、一気に現実に引き戻された。とりあえず、奏とスポ薦の間に入り、直接奏に接触されないようにした。

 奏も俺の意図を察し、素早く俺の陰に隠れた。普通なら、自分が嫌がられている事に気付き、いなくなってくれるのだが……もちろん、それでもスポ薦は付きまとってきた。

「ねぇ、それが彼氏なの?」

 奏は、何も答えなかった。少し俺との距離が近い気がした。

「そいつってトラウマ抱えてるんでしょ?」

 奏は、相変わらず無言だったが、俺の腕をつかみ身体を寄せてきた。

「やめた方が良いよ。女性恐怖症なんでしょ? そんな奴より俺とどこか行こうよ?」

 えっ? 何か腕が痛い。ものすごい握力で握りつぶされそうだ。間違いなく奏さんが静かにキレていらっしゃる。

 俺は、何とかスポ薦を引き離そうとした。

 これ以上はまずい。ブチ切れた奏の恐ろしさをこいつは知らない。相変わらず、ハイテンションのまま、奏の顔を俺越しに覗き込んでいる。

 今の所、奏はあからさまな態度をとっていないが、そろそろ空気を読んで欲しい。

 嫌な顔をしていないから大丈夫じゃないんだ。奏さんは、本当にブチ切れた時は無表情になるんだよ。

 そんな俺の心配をよそにグイグイ来るスポ薦。

「ねぇねぇ、ちょっと聞いてるぅ? そんな奴放っておいて俺とカラオケ行こうよ。もう予約してるんだよ。このままじゃ一人カラオケだよ。そんなのあんまりだと思わない? 思うでしょう?」

 そろそろ俺ですらウザくなってきた。それ以前に、これ以上は俺の腕がヤバい。

 俺は、スポ薦に身体を寄せた。普通なら、ムカつきそうな所だが、それでもスポ薦は上機嫌だった。

「行くの? 行かないの? どっち? ……えっ? うんうん。分かった。行こうっ! 決まりっ!」

 駄目だこいつ、早く何とかしないと。

 でも、例のやつにラりった奴にどう言い聞かせればいいんだろうか?

 ジャンキー相手の説得術など俺は知らない。

 にしても、こいつうまく偽装してるなぁと思った。天敵の警戒を突破するためのスキルをこいつなりに磨いてきたんだろう。

 俺からすれば、天敵にこんなに良い人はいないと錯覚させるレベルの偽装は上級レベルの神スキルに相当する。

 相変わらず、こいつなりに頑張ってるんだろうなとは思ったが、出来ればもう少し努力の方向性を見直してほしい。

 まだ、スポ薦はついてくる。満面の笑みを浮かべ、身体をくねらせながら、気持ち悪い声色で奏を誘惑している。

 俺は、本当にご機嫌だなぁと思った。

 こんないい顔、女絡み以外でする事ないんだろうな等と考えている内に、俺はふと小学生時代の事を思い出した。

(何してるの?)

 当時、俺は毒母が出ていった直後だった事もあり、今より重度のコミュ障を発症していた。

 そんな俺に、スポ薦(前)が声をかけてくれた。あの頃のスポ薦(前)は良い奴だった。みんなに分け隔てなく接する事が出来ていた。

 それが今ではこのざまだ。

 どこでこんな事になっちまったんだろうなぁ……そんな事を考えていると、敵意をむき出しにしたスポ薦(後)が俺を睨んでいた。

 ラりった頭でも、俺に邪魔されている事に気付き始めたんだろう。

「お前何だよ? 何か言えよ!」

 だんだん面倒になって来た。こういう時は、単刀直入に肉体言語で語り合いたい所だが、今高校からフェードアウトする訳にはいかない。

 かといって、俺のコミュ力でどう対処したものか?

 既に、奏さん側からヒト数人は呪殺出来そうなレベルのプレッシャーを感じる。俺の腕もそろそろ完全に血が止まりそうだ。

 俺は、仕方なくスポ薦に話しかけた。

「相変わらず、みんなに声かけてるんだな……お前、あの頃と変わってないな」

「アアッ?」

 スポ薦が不思議なものを見るような目で俺を見た。

 それと同時に、奏さん側からのプレッシャーが和らぎ、腕の血流が急激に改善されていった。

 この道しかない。微かな希望に俺は賭けてみる事にした。

「小学生の頃、俺に声かけてくれたよね? あの頃、色々辛い事あってさ、すごく声かけ辛かっただろうに、俺の事気にかけてくれてありがとな。ずっとお礼言えなかったからさ……あの時はありがとう。それだけだから」

「そっか……」

 一瞬、スポ薦の表情が変わった。すっかりナンパモードにカスタマイズされていたが、少しだけあの頃のスポ薦が戻って来た気がした。

「もういい? ごめんね」

「あ、ああ、いいよ」

「じゃあ俺達行くから」

「うん、じゃあな」

 もうスポ薦は追ってこなかった。

 これで大丈夫かどうかは分からないが、とりあえず俺の左腕は守られた…はずだった。

「ありがとう。カッコよかったよ」

 さらに奏の声が近い。俺の腕に柔らかい感触が押し寄せてくる。

「い、いや……」

 俺は、また奏の顔を見れなくなった。背後から、いつものウザったい声が聞こえた気がしたが、今は構う余裕がない。

 その内、俺達は校門を抜けた。

「今日は、ここまでという事で……後はよろしく」

「あ、ああ……」

 俺は、呆然としたまま佐伯を見送った。早坂をどうするつもりなんだと思っていると、斜め下から遠慮がちな声(高音)がした。

「すみません。しばらくお世話になります」

「えっ?」

 俺は、何がなんだか分からなかった。

「ごめん、しばらく都陽、うちから学校に通ってもらう事になると思う」

「そっか……」

 妙にすっきりした感じだったのはそういう事か。

 佐伯、〇す……俺は、奴の面を思い出し、拳を握りしめた。

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