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意識と無意識

今回は、茂木健一郎著『無意識の鍛え方』を参照して、意識と無意識について考えます。

意識と無意識の違いとして、意識は順列的(一つひとつ順を追って行う)であるが、無意識は、並列的にいろいろなことを処理できる。
【余談:パソコンでいえば、パーソナルコンピューターは順列的であり量子コンピュータは並列的だと言われている。】

意識下の処理は、前頭前野を中心に行われるのに対して、無意識は、小脳、脳幹、大脳辺縁系といった、脳のあらゆる回路全体で行っている。

近年では腸と脳との関連性が明らかになっており、腸内細菌の働きも、無意識に影響を与えているとも言われている。確かに、風邪気味となったときは、腸にも違和感があります。

そうなると、無意識の決定は、脳、あるいは身体全体に及んでおり、かつ同時に複数の処理ができるという点では、意識よりも、はるかに優れている、と脳科学者茂木健一郎氏は述べている。

ネガティブ思考、ポジティブ思考も無意識から生じている。自分の思考の傾向を無意識から意識化することで、日々の行動や人間関係、あるいは人生そのものをさえも大きく変えてしまえることができる、と言う。

偉大なアーティストやクリエイターそして企業の経営者たちにスピリチュアルなマインドの傾向がしばしば見られる、と述べている。

脳科学的には、単なる気のせいとなるが、一つの理由としては、こうした人たちは、普通の人たちよりも無意識との対話をする機会が圧倒的に多いことが考えられるとのことです。

2024年5月11日に投稿した 脳と記憶 には、脳に電気信号を送ることで思い出すことができるが、怠ると消去されるという意味のことを書いています。つまり、脳に保存されている無意識を呼び出すために、頻繁に思考することによって脳を刺激している人たちということなのでしょうか。

先行きの見えない不確定なことを決定を下すには、自らの直観や閃きで行動するために、無意識との対話が必要だったのでしょう。

成功者に占い好きな人が多いのは、占い師を通して、自らの無意識と対話しているのだろう、と茂木氏は推測しています。

小説家が、ストーリーが降りてくるという言い方をするのをしばしば聞くことがあるが、何をオカルトなことを言ってるのかと思いますが、これも無意識の領域をほじくり返した結果だと推測すれば、納得できる。

大量の情報は意識を通過して、無意識に記憶として流れ込んでいく。これは、川と源泉の構造と似ていると言われている。

というのは、川は山などから水が流れてくることで形成されているが、その川をたどっていけば、葉っぱのしずくや湧き水、降り注いだ雨などいたるところから川を形成する水が流れ出しているからです。

【また余談ですが、五木ひろし「九頭竜川」という曲の出だしの「大河もたどればしずくから」という歌詞を思い出します。】

意識は記憶容量が少ないので、オーバーフローしてほとんどの情報は無意識の領域に流れこんでくる。

生活世界では意識がすべて判断しているように見えるが、「意識の謎」について で記したように、意識には認識の遅れがあり、無意識が判断していることになります。

ここから「自由意志」があるかどうかと、ややこしい話しとなってきますが、これまでも投稿してきましたので、今回は省きます。

ここからは、視点を変えて、現象学者竹田青嗣氏によって、無意識を本質観取するとどうなるかを、記述します。

無意識とは、本質的に、自己についての自己理解と他者の理解との「ズレ」の自覚として現われる観念であり(自分自身による気づきもある)、この「ズレ」を克服しようとする自己配慮を含んでいる。そうした事象=経験一般をわれわれはいわば「本体化」して「無意識」と呼んでいるのである。

竹田青嗣. 新・哲学入門 (講談社現代新書) (p.138). 講談社. Kindle 版.

自分自身の性癖、性格、独自の嗜好、関係態度などは、自分では自覚していないことがあり、それを他者から指摘されて初めて気づくことがある。これを「無意識」と名づけている。

哲学と脳科学では、無意識の捉え方には温度差があるものです。


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