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ユダヤ人とパレスチナ人

日本ではハマスーイスラエル紛争について、ほんとんど報道されなくなっていますが、いまだに続いています。今回は、ユダヤ人とパレスチナ人について触れた過去の記事をまとめました。

2022年5月2日投稿 『ユダヤ人の起源』シュロモー・サンド(著)について


           【追記2024年9月1日:副島隆彦著『真実の世界史』より】

2008年5月31日付 朝日新聞夕刊の記事には、テルアビブ大学のシュロモー・サンド教授著書『ユダヤ人の起源』が紹介された。主な内容を記述する。
・著書では、今のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は、実はパレスチナ人だ。
 ーーとの説が記されている。

・サンド教授は「ユダヤ人は民族や人種ではなく、宗教だけが共通点」と指摘。第二次世界大戦中に約600万人のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツが、ユダヤ人は民族や人種との誤解を広めたとする。

・イスラエル政府が標榜する「ユダヤ人国家」には根拠がないと批判。

・シオニズム運動は欧州で迫害された19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服されたという「通説」だった。これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀ユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。

・教授によると、古代ユダヤ人は大部分追放されず農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。(以上)

『ユダヤ人の起源』から引用する。
P470
ケストラー(『第13部族』の著者)が考えていたところでは、「ホロコーストを生き延びた世界のユダヤ人の大部分は東欧出身であり、したがって、主としてハザールの出自をもつ者といえよう。この意味は、これらのユダヤ人の祖先は、ヨルダン川の岸辺の出身者ではなく、ボルガ川流域平原の出身者だったということ、またカナンの出身者ではなく、アーリア人種の揺籃の地であったカフカスの出身者だったということである。遺伝的には、彼らの祖先は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫よりも、むしろフン族やウィグル族やマジャール人に近いつながりがあるだろう、もしそういうことであるとするなら、「反ユダヤ主義」という言葉には何の意味もなくなるだろう。

P471
古典的な作品『ゼロと無限』で共産主義の謎をみごとに解明したケストラーだったが、シオニズムの謎がどれほど全面的に、「種族的な」永遠の時間との神話的な過去との絆に依存しているかには気づいていなかった。また、1967年以降のシオニストの反発の容赦なさが、どれほどスターリン主義者のそれに似たものになるかも気づいていなかった。シオニズムとスターリン主義という二つの運動にとって、ケストラーは度しがたい裏切り者となった。

P494
シオニズム思想の発端は、19世紀後半の、ウィーンからオデッサまで広がる中欧および 東欧地域に位置づけることができる。この思想はドイツのネイション思想の陰でおずおずと 発展をとげ、やがてイディッシュ語を話す住民の沸騰するような文化の中心地まで浸透する にいたった。 シオニズムは事実、その周辺的な性格にもかかわらず、ヨーロッパにおけるネイション意識覚醒運動の最後のうねりに加わり、 この地域における他のアイデンティティ・ イデオロギーの高まりと軌を一にして出現した。 そこには集団として近代社会への同化を目 指す企図をみてとることができる。 それは当時初期段階にあった他のネイション意識の構築 を目指す企てとまったく同じなのだ。そのうえ、無視できない少数派のシオニストの 思想家たち (モーゼス・ヘス、テオドール・ヘルツル、マックス・ノルダウなど)が程度の差は 別としてドイツ文化圏に属していたとしても、理論を練りあげ普及させ有効な実践をおこな った人々の多くは、数百年前からポーランド・ウクライナ・リトアニア・ロシア・ルーマニ アの諸都市に密集して住んでいた偉大なイディッシュ民族のなかのインテリゲンツィアに属 していた。

P495
1880年代に繰り返された民衆によるポログラム(帝政ロシア・東欧でのユダヤ人に対する破壊・虐殺)の波には、すでにいくつかのネイション的要素がふくまれていたが、ロシアのツァリー体制やルーマニアの王政による旧来の迫害や制限に加えて、さらにこの波が押し寄せてたために、ショックを受けた何百万人のユダヤ人が、西方へ大々的に移住を急ぐこととなった。(中略)この大々的な移住の動きは、通過地点となった国ドイツに昔から潜在していた敵意を復活させる間接的なきっかけになるという、二次的な結果も生んだ。この強い憎悪にかかわるすべての要素はいまだに完全には解明されていないが、これが周知の通りに20世紀が経験した最も恐ろしいジェノサイドのひとつを引き起こすことになったのだ。

P504
ネイションを「種族的」実体として理解する考えは、程度の差こそあれ、シオニズム運動 のすべての系統に共有されていたので、生物学という新しい 「科学」は大きな喝采とともに 迎えられた。遺伝は極めつきの形で、パレスチナ返還請求の根拠の一つとなるわけであった シオニストたちは、古代ユダの地パレスチナを、 そこから救済の出てくる聖地としての み考えることをやめていた。このときからこの地は、大胆なパラダイム変換によって、世界 中のすべてのユダヤ人のネイションとしての祖国となることであろう。したがって歴史的な 神話は、都合のよい「科学的」 イデオロギーを採用する原因にもなった。なにしろもし仮に 近代のユダヤ人が最初の離散者たちの直接の子孫でなかったとすれば、「イスラエル人だけ の国」とされる聖地に彼らが定住することをどう合法化すればいいのだろうか。 ネイション 観念の世俗的な擁護論者は、全能の神に歴史の方向づけをゆだねる無気力な伝統に反抗して いたわけであって、彼らには神の約束だけでは十分でなかった。 そして正義は、もし宗教的 抽象論にないとすれば、必然的に、部分的にせよ生物学のなかに隠れているはずなのであっ た。

【所感:アーサー・ケストラーとシュロモー・サンド教授たちが説くように、古代ユダヤ人は、今のパレスチナ人となり、東欧のユダヤ人は、今のイスラエル人(ユダヤ人)となっているとするならば、世界で最も危険な地域といわれている中東での争いは、実はといえば、ユダヤ人同士という複雑な争いとなっている。しかし、現実には、古代ユダヤ人も、長い年月に、種々の帝国や国に支配されている間に、言語も、古代アラム語からアラビヤ語へ、宗教もユダヤ教からイスラム教と変化していったわけだから、古代ユダヤ人ではなくて、イスラム教を信仰するパレスチナ人であるので、戦いは、いつまでも続くことになるだろう。】

2023年10月24日投稿 ユダヤ人の起源

10月7日にハマスが、イスラエルを襲撃し、人質を取ったという大きな出来事が発生した当初は、その時の映像も全世界に流されていたので、ハマスを非難する声が高かった。

イスラエル軍がガザ地区を空爆するのも、地上戦突入するのも止むなしという雰囲気にあったと思う。

ところが、ガザの病院が爆発したあたりから、ガラリと変わったように感じる。

この爆発そのものは、どちら側によるものかは、いまだに未確定ではあるが、アラブ諸国は、これはイスラエル側の空爆のせいだと断定し、パレスチナを擁護する側に回っている。

イランが支援しているヒズボラが、戦闘モードとなっているせいか、イスラエルは、地上戦突入と何回も宣言していたが、行く行く詐欺状態になっている。

ロシアが提案した停戦決議案は、日、米、英、仏が反対して否決されたが、その後、ブラジルが提案したことについては、日本も含めて賛成した国が大半のなか、アメリカのみが反対したことによって、否決された。

アメリカではシオニスト集団が、かなりの圧力勢力なので、これを無視するわけがいかないという事情をかかえているため、彼らとしては、当然の判断なのだろう。

ユダヤ人とは、いったい何なんだろうと、調べてみると、紀元前1250年にまで遡ることになる。

紀元前1250年にモーセがユダヤ人の12支族を率いてエジプトを脱出し、40年間シナイ半島をさまよって、カナンの地(今のイスラエル及びパレスチナ)にたどりついたと、旧約聖書の「出エジプト記」に記されている。

モーセに率いられたイスラエル(ユダヤ)の民というが、ユダヤ人というのはこのとき「発明された」のであって、その前はいなかった。イスラエル(ユダヤ)というコトバは、この時はまだ表れていない。

だからイスラエルの民とは、エジプト人だ。モーセ集団と同じようにエジプトからやってきた別の移住開拓農民はペリステ人である、ということをテルアビブ大学のシュロモー・サンド教授が主張している。

モーセたちは、「もともとの自分たちの先祖に土地に帰った」とは、「出エジプト記」には書かれていない。「ここはヤハウェ神が約束した土地だ」と書いてあるだけだ。そこを奪い取ったのだ、と述べている。

ハリウッド映画「十戒」では、カナンの地に辿りついたところで、終わっているが、その後、モーセ集団が来る以前から住んでいたペリステ人から土地を収奪したことになる。まさに今の、ネタニヤフ首相が企んでいることと同様のことが行なわれていた。

2023年10月27日投稿 ユダヤ人ーイスラエル人ーシオニスト

ユダヤ人については、10月24日付けの記事「ユダヤ人の起源」で記載しました。この記事を書いてから、シオニストはどこから発生したのかに関して、モヤモヤとしたものが残っていたが、それを、解消してくれる動画を見つけたので、記事にします。

「ユダヤ人の起源」の記事では、テルアビブ大学名誉教授シュロモー・サンド氏が、「今のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は、実はパレスチナ人だ。」などの主張をしていることを紹介したものでした。

第一次世界大戦後にドイツでは、ナチスが台頭していたので、皆は警戒していた。そこで当時経済的実権を持っていたユダヤ人は、ナチスに経済的封鎖をして、ナチスの台頭を止めようとしていた。

ところが、一部のユダヤ人に、封鎖破りをしてナチスに寝返って金儲けを企む連中がいた。これがシオニストというのである。

動画では、コロンビアのイスラエル大使が下記のように衝撃的なことをコロンビア大統領に話した内容を掲載している新聞の記事が紹介されている。

  • ハマスはイスラエルのモサドが作った集団である。

  • シオンの長老たちがアラブの王族たちを作った。

SNS上では、陰謀論的に、ハマスは西欧が作ったテロ集団であり、ネタニヤフ首相が自己の政権維持のためにマッチポンプとして利用していたというのが流布されていたのは見聞していた。

しかし、これは、イスラエル大使が言ってしまっているので、事実と判断しても良いだろう。

シオンの長老たちを道具として使っていたのが、イギリスだった。イギリスの実体は金であり、ロスチャイルドが金を出して、シオニストの背後にいる長老たちを動かした。

第二次世界大戦後に、イギリスは、ナチスに寝返ったシオニストを利用して、イスラエル国を無理矢理建国した。
イスラエル建国前は、パレスチナ人とユダヤ人は、普通に共存して住んでいた。ところが、シオニストたちは、このユダヤ人を乗っ取って、ユダヤ教に背乗りした。これを支援したのが、イギリスであり、国連だというのである。
イスラエルには、マトモなユダヤ人と、仮面を被ったユダヤ人、つまりシオニストが混在しているということである。

2023年11月11日投稿 アシュケナージ・ユダヤ人とは

X(旧Twitter)で、下記の記事の一部「第二次世界大戦後に、イギリスは、ナチスに寝返ったシオニストを利用して、イスラエル国を無理矢理建国した。」を引用して、「アシュケナージ=偽ユダヤはここからきたもの?」と疑問を呈していました。これについて考えました。

アシュケナージ・ユダヤ人について、アーサー・ケストラーが著書『第13支族』で説明しています。

カザール王国の人々が、ユダヤ教(モーセ5書)を信仰しながら、徐々に、800年代から200年ぐらいかけて、ハンガリーやポーランドや、ドイツ、ロシアなどに移動していったことを描いた。これが、アシュケナージ・ユダヤ人である。彼らはこのあとアメリカ合衆国やイスラエルに移住した。

彼らは、古代イスラエル=パレスチナにいたユダヤ人とは異なる。  アシュケナージ・ユダヤ人は、1880年ぐらいから、ポグロム(迫害)を避けて、外国に移住した。また、同時期に興った「父祖の国であるイスラエルに帰ろう」というシオニズムに共感して、どんどんイスラエルに戻った。

副島隆彦著『真実の世界史』P819

陰謀論者として名を馳せている副島氏の説ということではなく、国際的にも著名な哲学者アーサー・ケストラーの説なので、信頼性はあると思われる。ただ、副島氏によると、日本の学者は評価していないのが問題である、ということである。

この説によると、アシュケナージ・ユダヤは、偽のユダや人ではないが、古代イスラエルーパレスチナにいたユダヤ人ではない、ということになる。

今のイスラエル国民の8割ぐらいは、このアシュケナージ・ユダヤ人であり、残りはスファラディ・ユダヤ人である。

スファラディ・ユダヤ人は、1492年のディアスポラ(大離散)で、スペインから世界各地に追放され、移住していったユダヤ人、ということになっている。

すると、第二次世界大戦中に、ナチスに寝返ったシオニストのユダヤ人は、ネタニヤフ首相と彼を支持している過激な極右勢力連中だと考えられる。

10月7日のハマスによる襲撃事件があるまでは、ネタニヤフ首相による法制度の改革や自身の汚職不祥事で裁判にかけられているなどの問題などで、国民の大半はネタニヤフ首相の政権に不満を抱いていた。

シオニストも、ネタニヤフ首相周りのシオニストとアシュケナージユダヤ人及びスファラディ・ユダヤ人のシオニストに分割しているということになる。

ユダヤ人問題は、中々スッキリとはいかず、モヤモヤ感が残ってしまう。


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