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【連載小説】黒き夢みし vol.10

 エレベータが十一階に到着すると、細い廊下の先にロック式のドアがあった。
「9876012345だから」
 独り言のような小さな声でシャドウが言って、慣れた手つきでロック解除の番号を押して解錠してオフィスに入った。
 その部屋には窓がなく、倉庫というほうがふさわしいかもしれない。見たことのない大小さまざまの機器が積み上げられていたり、青や赤のケーブルが床に散らばっていた。起動している機器からはロボットが動き出すような稼働音がしている。明彦は雑多で汚いと思った。
 何人かの社員がパソコンに向かって何かを打ち込んでいたり難しい顔をしていたが、明彦たちが入ってきても無反応だった。
「ここが監視ルームで、君たちの席はあそこ」
 シャドウが指さした先には壁に机が並べられていて、そこにモニターが何台も並び、グラフのような画面が表示されていた。
「後で教えるけど、いくつかの監視ソフトを使って、動かしているサーバのステータスを監視してる。もし障害発生したら電話がなるから然るべき対応をとって対処することになります」
 相変わらず独り言のように聞き取りにくい声でシャドウが言った。メモをとるべき内容なのかどうか分からない。
「障害対応とかサーバ構築をするときはこの監視ルールでやりますが、隣に事務スペースがあって、普段私たちはそこにいます」
 大きなパーティションで区切られた先には小ざっぱりとしたオフィスが広がっていた。B V Tの営業課のようにデスクが並んで、何人かがパソコンに向かって作業をしていた。
「鞄はその辺りに置いて、その椅子に座ってしばらく待っていてください」
 明彦と馬ゾンビは言われるままに鞄を置いて、空いている椅子に座って待っていた。二人の存在にちらりと一瞥をする人もいたが、すぐに視線をパソコンに戻した。挨拶はしない職場なのだろうかと思った。
 しばらく待機しているとバチバチとドアロックを解除する音が聞こえて、タヌキ部長がやってきた。二人の姿を見て、にんまりと笑った後に、全員に声をかけた。
「ちょっとみんな手を止めて集まってもらえる?」
 タヌキ部長の声により、全員が事務スペースに集まった。シャドウやタヌキ社長も含めて全員で七人だった。
「今日から試用期間で今月いっぱい働いてもらうB V Tの方です。ちょっと全員で自己紹介しようか」
 明彦と馬ゾンビが自己紹介をした後に、七人は苗字だけを告げた。男性五人、女性二人、四十代もいれば、二十代もいた。年齢に偏りはないようだ。
「渋谷に本社があってそこにはもうちょっと人がいるんだけど、君たちはそこに行くことはないから、ここにいるメンバーと仕事をすると思ってくれればいいかな」
 タヌキ部長が言った。自己紹介が終わると何も興味がないと言ったようにそれぞれが自席に戻った。
「三週間よろしくお願いします。分からないことがあったら聞いてやってください」
 タヌキ部長も自席に戻り、シャドウだけが残った。
「じゃあ早速始めましょうか。データセンターに行く用事があるから施設案内します」
シャドウに連れてられてデータセンターに向かうこととなった。
「データセンターは三階なんだけど、入館手続きがいるから面倒でも一階の受付に行かないといけない。そこで入館用のカードがもらえるんで」
 一階に戻るとシャドウは休憩室と休憩室の場所を二人に教えた。
「休憩室はこのビル全員の人が使う可能性があるから、あまりだらしないことをしように。私は吸わないけど煙草を吸う人はそこに喫煙室があるから」
 休憩室にはマッサージチェアと自販機があった。疲れたらここで休めそうだと思った。馬ゾンビは喫煙室を覗いていた。
「受付で入館記録を書かないとデータセンターに入れないんで」
 シャドウは受付で警備員にデータセンターに入館する旨を伝え、記録用紙を受け取った。
「時間は一緒でいいから」とシャドウは記入し終わった用紙を二人に渡した。明彦と馬ゾンビはシャドウにならって名前と時間を記入して、入館用のカードを受け取った。
 データセンターへの通路はオフィスとは異なり、別のゲートを抜ける必要があった。そこにはカプセル式のゲートがあった。ボタンを押すとカプセルが開き、一人ずつ中に入ってカードをかざして認証できれば反対側が開き、先に進めるという具合だった。カプセルの中でカードのかざし方にコツがいるようで、何度が認証に失敗したが三人はデータセンターに入館することができた。

 *

 データセンターはいななくような機器の稼働音で満ちていた。室内は広くて寒い。床下からは空気が吹きつけていた。目の前には電話ボックスほどの大きさのロッカーのようなものが並んでいた。
「あれはサーバが格納されているラックというものです。そこにサービスを提供しているサーバやネットワーク機器がたくさん入っています」
 データセンターに入るとシャドウの声はかなり聞き取りづらくなっていた。かなり耳を集中させないと聞こえない。
「サーバ機器に熱を持たせると故障の原因になるからデータセンターは常に冷房がかかってるから」
 床下から吹きつける空気のおかげで冷気は室内に十分に巡っており、かなり寒い。長時間この部屋にいたら風邪をひくかもしれない。シャドウは一つのラックを開いた。中には機器が下から積み上げるようにして収納されていた。ラックを開くと機器の稼働音がさらに大きくなり、時にはいななくように激しくなることもなった。
 シャドウは口を動かして、指をさして何かを説明していた。だが聞きとることはできなかった。「わかった?」と尋ねるような仕草をしたが、明彦は首をふった。シャドウはラックを閉じると稼働音は少し落ち着いた。
「さっきから思っていたけど君は耳が遠いんですか?」
 シャドウは不機嫌にそう言った。そんなことはないと伝えたが、シャドウは苛立っているようだった。シャドウはそのあと、データセンターで自社が担当している範囲について簡単に説明した。相変わらず声は機器の音にかき消されることもあったが、耳を集中させて聞き取った。

 データセンターを退館すると外の暖かさが有り難く感じられた。受付で入館カードを返却してオフィスに戻った。ロック式のドアの前でシャドウは立ち止まり、明彦に言った。
「開けてみて下さい」
 シャドウは小さくつぶやくような声で言った。明彦はナンバーキーに手を伸ばしたが解除番号が分からなかったので「番号を覚えていないです」と言った。
 シャドウはチッと舌打ちをした。緊張が走り、体が熱くなった。
「さっき言ったんですけどね。9876012345」
 苛立っているのかバチバチと強めに番号を押してロック解除した。
「アホで覚えられる並びなんだから一回で覚えてね」
 シャドウは言った。馬ゾンビは一歩引いた目でその様子を見ていた。
「じゃあ、ちょっとサーバを触ってみましょうか」
 ひと息つく間もなくシャドウは監視ルームに机と椅子を用意した。明彦と馬ゾンビはそこに座り、シャドウはモニターを用意した。
「そこらへんのキーボードを適当に使ってください」
 雑多なオフィスにはキーボードやマウスがダンボールに入っていたり、棚に積み上げられていた。
「じゃあサーバに電源入れてみましょうか」
 サーバといわれる機器を見るのが初めてなので電源ボタンがどれか分からない。明彦が「電源はどこですか」と言った。
「本当に何も聞いてないですね。教えるだけ無駄ですね」
 シャドウは大きなため息をついた。もしかしたらデータセンターで声が聞こえなかったときに何か言っていたのかもしれない。
「これですかね」
 馬ゾンビが機器の右端になる丸いボタンを指さした。シャドウは頷いた。馬ゾンビがボタンを押すとサーバと呼ばれる機器は小さな稼働音を立て始めた。やがてモニターにログインアカウントとパスワードを求める真っ黒な画面が表示された。シャドウは手早く入力してサーバにログインした。
「ログインしたら最初に何をしますか?」
 シャドウは早口で言った。圧を与えるような言い方だった。研修ではやったことのない機器を触り、初めてみる画面だったので明彦は何をすべきか考えていた。
「返事ぐらいしろよ」
 ガンという小さな衝撃があり、椅子が動いた。シャドウが明彦の座っている椅子の足を蹴ったようだ。「すいません」と返事をしたが、声を出すのが精一杯だった。
 シャドウは冷たい目でモニターを眺めていた。


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