大きなまちづくりについての考察その1
娘があまり行きたがらなかった海、今年は誘うとノリが良く、浮き輪で足の届かないところも少し行けるようになりました。
夕方の渡津海水浴場は穴場で夕食を持っていくとプライベートビーチを存分に楽しめます。
ここは島津島(しまづしま)という無人島で、私たちの住む有人島「知夫里島」(ちぶりじま)とは橋で繋がっており、歩いて渡ることができます。
島津島の北北西には渡津神社があり、その「渡津」を取って渡津海水浴場と名付けられたのでしょう。
渡津神社(わたつじんじゃ)
かつては「地触神 ちぶり神」「道路(海路)の神様」すなわち「道触の神:ミチブルのカミ」が祀られていました 渡津神社が鎮座する「知夫里」は 隠岐諸島のうちで 最も本土に近く 隠岐に渡航する門戸にあたり、古来日本海の航行の船舶が必ず寄港する所でありました この神と渡津の海の様子は「紀貫之(きのつらゆき)」の『土佐日記』にも詠われています。
島津島と渡津、これらに共通する「津」には船着場という意味があるそうです。
神社があり、島の名前に津が使われている。これは、かつては寄港地としてこの場所が使われていた証なのでしょう。
場所の話はさておき、離島には大量の漂着ゴミが流れつきます。
海水浴をしていても、海中に半分埋まったビニールや空瓶がちらほら。
浜には漁具やビニール、ロープ、プラスチック類、ビン類、厄介な発泡スチロールが打ち上げられています。
海洋プラスチック問題は見えないレベルで生物に危険を及ぼしており、深海に堆積するもの、食物連鎖の中に入り込むナノレベルのプラスチック、環境ホルモンなど地球規模で考えなければならない問題です。
さて、私たちができることは何でしょうか?たかが一人の人間が一つのゴミを拾ったところで大きな問題は解決に向かうのでしょうか?
このアクションが大きなまちづくりにとって重要な要素だと考えます。
知夫里島は近年、新たな事業が生まれ続け、個々の持続可能性を感じるられます。これは小さなまちづくりとして、とても大きな意味があり、このモチベーションが維持されることがさらなる産業の発展に寄与することでしょう。
さて、大きなまちづくりについてはどうでしょうか?
人口600余人の生活と未来をどうデザインするのか?また、それが日本社会及び国際社会の未来にどのような価値を提示できるのか?
私たちが生物の暮らすこの地で、普遍的営みを続けながら価値創造をおこなうために必要なアクションは、たった一つのゴミの始まりと終わりを考えることなのかもしれません。
そこで提案
渡津の先にリユース可能なゴミ袋を設置
ゴミを拾いたい人はそのゴミ袋を使って帰路にゴミを拾って帰る。
持ち帰ったゴミは回収するポイントがいくつかあり、そこへ届ける。
この小さな力の連続で渡津の景観が守られ続け、地域全体から社会全体へ繋がっていく。
拾う人は住民でないかもしれない。
大きなまちづくりは住民だけのものではない。
ゴミを拾う意味を個々それぞれが考えることが大きなまちづくりにつながっていくと考えます。